2020年7月7日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#351 ぶらぶらプロデュース!夢の特別展③~死ぬまでに見たい日本絵画10選!山下裕二x仏画の最高峰から琳派、若冲、隠し玉まで~】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《天橋立図》雪舟
国宝《天橋立図》16世紀・室町時代
雪舟
京都国立博物館蔵
読み方は「あまのはしだてず」です。
”画聖”と呼ばれた雪舟の80代の頃の作品です。
じつは今回の「死ぬまでに見たい日本絵画10選」を監修した山下裕二先生のご専門は「雪舟」なのです。
その専門の山下先生が全部で6作品ある雪舟の国宝作品の中からこの《天橋立図》を選んだ理由はなぜなのでしょうか。
この時代に実際の景色をこれだけリアルに描いた作品は他に例がないというのがその理由だそうです。
実際にこのように見える場所や視点というのは存在しません。
それでも建物のディテールや描かれているお地蔵さんまで、実際の景観をたいへんよく表しているのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この作品と同じ視点から見るためには、ヘリなどを使って上空およそ900メートルまで上がらないと見る事ができないと言います。
つまりはこの作品は雪舟が想像力を駆使しながら描いたという事になります。
画面右側に見える大きな山、その上には成相寺(なりあいじ)という現在もあるお寺が描かれています。
この成相寺の位置がここの近辺だと一番標高が高く(およそ300メートル)、全体を見渡せる場所になっています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
つまりこの成相寺から橋立を見下ろすと絵の景色とは逆向きになります。
雪舟はそれを頭の中で裏返して、そのイメージで存在しない位置からの絵を作り上げているです。
さらに現地を隅々まで巡って、ディテールを詰めていったのです。
成相寺までは今でも車で10分ほどかかると言います。
当時80代の雪舟にとって、この山を歩いて登るのはかなりしんどかった事でしょう。
そのせいもあってか、この成相寺のある山は実際の高さよりも高く描かれています。
ここに雪舟の(疲れちゃった)気持ちが出ちゃってるんですね(笑)
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
画面左側には黒い小さな山があります。
山の麓に鳥居がある点から、板列八幡神社(いたなみはちまんじんじゃ)というこちらも現存する神社だと分かります。
この神社もかなりの数の辛い石段が続くといいます。
成相寺で疲れ切った雪舟はこの山には足を運んでいないのではないか?と山下先生は推測します。
ですので、ある種「適当」こちらの山を描いたと考えられます。
国宝《天橋立図》は完成作ではない?
山下先生によるとこの《天橋立図》は下絵である可能性が高いと言います。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
その理由はこの作品が小さな紙を継ぎ足して描いているという点です。
大小20枚の紙が繋ぎ合わされ、画面が作られています。
恐らくは現地で紙を調達しようとした所、この大きさの紙がなく、間に合わせでこの紙に描いたと考えられます。
山下先生はさらに現在の《天橋立図》をベースにして完成作を描く予定だったのでは?と推測します。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
さらに面白い事がもう一つ。
画面中央左側のお寺と塔、こちらには朱色が使われています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
一方中央右側、海面の上にも朱色が確認できます。
じつは丁度真ん中の位置で作品を折りたたむと、お寺の朱色と海面の朱色の部分がピタッと重なるといいます。
ですので山下先生は雪舟が朱色が乾く前に折りたたんだ=完成作ではない、と考えているのです。
《松林図屏風》長谷川等伯
国宝《松林図屏風》
安土桃山時代・16世紀
長谷川等伯
東京国立博物館蔵
撮影:masaya(2020年1月)
長谷川等伯の代表作《松林図屏風》、こちらももちろん国宝です。
ちなみに山下先生は自身の卒業論文では、この《松林図屏風》を題材にされたといいます。
今でこそ、この作品が展示されるとなると多くの人が足を運ぶような人気作になりましたが、山下先生が卒論を書いた当時は常設展示でこの作品が出ていても、誰も人がいなかったといいます。
今だとなかなか考えられないですね。
30代になって能登の田舎から京都に出てきた等伯。
一代で長谷川派を築き、あの狩野派と渡り合いました。
等伯の運命を変えたのが、茶人の千利休との出会いでした。
等伯は千利休を介して豊臣秀吉ともつながる事になります。
また千利休は等伯に牧谿(もっけい)という中国の宗・元時代の画家の作品を見せます。
それを見て大変感激をした等伯は、そのスタイルを取り入れ、完成させたのがこちらの《松林図屏風》です。
撮影:masaya(2020年1月)
しかしこの《松林図屏風》には中国っぽさは見られません。
松とそれを包む大気だけが描かれています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
また山下先生はこの作品は「筆さばきが以上に早い」と言います。
こちらの松の描写もまるで筆を叩きつけるかのように表されています。
その筆運びからも《松林図屏風》はあっという間、一気呵成に描かれた事が分かります。
それでこれだけ見事な空気感を表している作品は他にはないといいます。
紙継ぎの謎
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この《松林図屏風》は幾つかの紙をつなげて描かれています。
長方形の紙を縦に4枚、そしてその上下に細い紙があるのが分かります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
普通紙継ぎの線は上の図のように、同じ位置であるはずなのですが、
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらの右隻では右側2枚(第1扇・第2扇)の紙がずれているのが分かります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
つまりこの作品は、本来このように大きな画面だった可能性があるのです。
これは後世の人がこのように切り詰めたのでは?と山下先生は言います。
撮影:masaya(2020年1月)
元々この絵はもっと大きな画面の襖絵の下絵で、それを後の時代の人が切り詰めて屏風に仕立てたと山下先生は考えます。
そう考えると、”切った人もかなりセンスが良かった”という事になります。
この《松林図屏風》を下絵にしたと考えられる完成作は残ってはいません。
ですが逆に、下絵だからこそこれだけ瑞々しい表現になったのかもしれないのです。
今回の記事は以上になります。
この続きはパート3で!
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コメント
[…] 今回の記事は以上になります。 続くパート2では、雪舟の《天橋立図》と長谷川等伯の《松林図屏風》についてまとめていきます。 こちら☚からご覧いただけます。 […]
[…] 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。 […]