【ぶら美】死ぬまでに見たい日本絵画10選!③【美術番組まとめ】

ぶらぶら美術・博物館

2020年7月7日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#351 ぶらぶらプロデュース!夢の特別展③~死ぬまでに見たい日本絵画10選!山下裕二x仏画の最高峰から琳派、若冲、隠し玉まで~】の回をまとめました。

今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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国宝《夕顔棚納涼図屏風》久隅守景


国宝《夕顔棚納涼図屏風》
江戸時代・17世紀
久隅守景
東京国立博物館蔵

読み方は作品名が「ゆうがおだなのうりょうずびょうぶ」、作者名が「くすみ もりかげ」です。

ちなみに英語表記は「Cooling Off」となっています。シンプル!!

国宝に指定されている作品ですが、どこかゆるさを感じる作品です。
国宝指定されたのは最近ではなく、かなり早い時期(昭和20年代)にされています。
山下先生曰く「癒し系の国宝」。

久隅守景(生没年不詳)は江戸時代前期に活躍した絵師で、元々は狩野派のエリート狩野探幽の門下)でした。
更には狩野探幽の姪とも結婚しており、狩野派ともたいへん近しい存在でした。

しかし相次ぐ身内の不祥事娘の駆け落ち、息子が島流し)のせいで、狩野派を破門されてしまい、石川県金沢市に居を移す事になります。
この《夕顔棚納涼図屏風》はその都落ちの後に描かれた作品です。

狩野派時代には「ザ・狩野派スタイル」とも言える作品を残していますが、久隅守景江戸を離れて以降、自分のスタイルを確立していきました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この作品は豊臣秀吉の甥木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)が詠んだ和歌がモチーフになっていると言われています。
夕顔のさける軒端の下すずみ男はててれ女(め)はふたの物
(”ててれ”は男性が来ているような服の事で、”ふたの物”は女性の腰巻の意)

その和歌のイメージだけはなく、彼が都落ちした先の地方での農民の暮らしぶりなども反映させたものだとも考えられています。


描かれている三人は皆、同じ方向を見つめ何かを見ているかのようです。
しかしその視線の先の物は画中には描かれていません。

研究者によっては、この作品の左側にも続き(視線の先のもの)があったと唱える人もいますが、山下先生はこの画面で完結していると考えています。
つまり「さぁ親子三人は何を見ているのか?」と画家が見ている人に問いかけているといいます。

もしかすると見ている物が重要ではなく、親子でのんびり夕涼みをしているという事に重きを置いているのかもしれません。
身内の不祥事が続き、バラバラになってしまった彼の家族の事を思うと、この光景もどこか感慨深い作品でもあります。

「この頃は良かったなぁ」なんて思いながら描いたのかもしれませんね。

《動植綵絵》伊藤若冲

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

続いての作品は伊藤若冲の描いた《動植綵絵(どうしょくさいえ)》です。

今から約250年前に描かれた作品とは思えないほど、鮮やかな色彩です。
当時の最高品質の絵具が使われています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

動植綵絵》の中の『群魚図』という作品では、当時いち早くベロ藍(プルシャンブルー)が使われています。
おそらくは長崎を通じて輸入されたもので、山下先生曰く「日本で使われた(ベロ藍で)一番早いもの」だそう。

若冲は《動植綵絵》に対して、最高の絵具と最高の絹、そして最高の集中力をもって取り組みました。


伊藤若冲(1716-1800)は青物問屋「枡屋」を営む家に長男として生まれます。
23歳の時に4代目として店を継ぎますが、40歳の時に「これからは絵で生きていこう」と考えて、弟に家督を譲ります。

人生五十年」と言われていたこの時代、若冲はそこから逆算して、40歳から10年かけて《動植綵絵》という大作を完成させようと考えたのです。

そんな若冲ですが、結果的には84歳まで長生きすることになります。

『動植綵絵』の内「群鶏図」

若冲の作品の特徴として、「色も形も濃い」という点が挙げられます。
特にこの鶏を描いた『群鶏図』は、全て部分にピントが合っており、作品全体からものすごい圧を感じます。
「”空気感”のようなものがなく、真空状態の中を描いているようだ」と山下先生は言います。

『動植綵絵』の内「南天雄鶏図」

こちらも同じ《動植綵絵》内の『南天雄鶏図(なんてんゆうけいず)』という作品です。
こちらは毒々しいまでの赤が特徴的です。
画面上部の赤い実をつけているのがナンテン(南天)です。

またほとんど全ての葉の一部が赤茶色に変色し、病気になっているのが分かります。


そんな中でも若冲の遊び心が表現されている箇所が一つ。
こちらの黄色い鳥がナンテンの実を一粒ついばんでいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

動植綵絵》は動物や植物を描いたもので、全部で30幅からなります。
そこに釈迦三尊図の3幅を合わせて、計33幅若冲は京都の寺の相国寺(しょうこくじ)に寄進しました。

”相国寺”といえば、あの雪舟も若い頃そこで修業していますね。

この《動植綵絵》には、「草木国土悉皆成仏」と呼ばれる仏教の思想が反映されています。
(読み方は「そうもくこくどしっかいじょうぶつ」です)

これは”動物も植物もありとあらゆる生きとし生けるもの全てに仏性が宿っている”という考え方です。
若冲はこの思想に基づいて《動植綵絵》を仕上げたのです。

だからお寺に寄進する事になったのですね!

しかしこの相国寺も明治になると、廃仏毀釈の影響でお金に困る事になります。
そこでやむにやまれず《動植綵絵》の30幅を皇室に献上しました。
それにより御下賜金(当時の金額で一万円)を受け取り、寺は救われる事になるのです。

そこから持ち主は変わっておらず、現在も宮内庁が管理し、三の丸尚蔵館に納められています。
今日まであまり公開される事がなかったのも、結果として良い保存状態を保つ事ができた理由の一つです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

昨今たいへん人気のある絵師で、展覧会が開催されれば多くの人が足は運ぶようになった伊藤若冲

2019年に福島県立美術館で開催された『伊藤若冲展』では一カ月弱の会期にもかかわらず、約11万人の来場者数を記録し、人気の程を見せつけました。

じつは山下先生は今日の「若冲ブーム」の火付け役的な存在なのです。
元々は山下先生の恩師である辻惟雄(つじ のぶお)先生が著書『奇想の系譜』で、それまであまり評価をされていなかった画家を取り上げたのがきっかけです。
その中に伊藤若冲も含まれていたのです。

辻先生が築き上げた研究の基礎を、弟子である山下先生が”多少煽ってきた(笑)”結果、今日の若冲ブームへと発展していったのです。

今回の記事は以上になります。
お読みいただきありがとうございました。

続くパート4では、円山応挙酒井抱一の作品についてまとめていきます。
こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] 今回の記事は以上になります。 この続きはパート3で! こちら☚からご覧いただけます。 […]

  2. […] 今回の記事はパート4になります。 前回のパート3はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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