2023年11月22日にNHKにて放送された「歴史探偵」の【天下の名香 蘭奢待(らんじゃたい)】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
今回の記事はパート2になります。
パート1の記事はこちらかあご覧いただけます☟
【歴史探偵】蘭奢待①【美術番組まとめ】
権力者が求めた香り
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
前回のパート1の記事では足利義政と香道の観点から蘭奢待の凄さについてまとめました。
今回のパート2では蘭奢待が歴史の中で果たした”重要な役割”についてみていきます。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
足利義政の隣に並ぶ織田信長の名前。
信長が蘭奢待を切り取ったのは室町幕府を滅ぼし、天下人への道を進み始めた頃でした。
なぜ信長は蘭奢待を手に入れようとしたのでしょうか?
この答えは信長が蘭奢待を切った”場所”と深く関係しているのです。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
それが東大寺から西へ1キロほど進んだ場所にかつて存在した多聞城(たもんじょう)です。
多聞城は永禄2(1559)年に松永久秀が築城した、当時としては珍しい4階建てのやぐらの城です。
現在は中学校となっていますが、今でもその屋上からの景色を見れば、当時の信長の狙いが分かるといいます。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
多聞城のあった場所からは東大寺の大仏殿がはっきりと見えます。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
そのすぐ隣には正倉院の屋根も確認できます。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
奈良の中心部に建てられ、その周囲を一望することができた多聞城。
まさに”支配のシンボル”のような場所だったのです。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
この頃の信長は、天下統一を目指し各地の制圧を進めていました。
しかし支配下に置いても従わない武士が多く、不安定な状態が続いていました。
そんな信長にとって「大和(奈良)」という場所は重要な意味を持っていたのです。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
支配の象徴的存在である多聞城という場所で、正倉院の蘭奢待を切り取るという行為。
それは非常に大きな意味を持ちました。
蘭奢待を切り取る場合、朝廷の許可を得る必要があります。
さらにその切り取った蘭奢待を天皇に献上した信長は、朝廷・天皇との関係性を築いていったのです。
室町幕府が滅んだ後、信長が新たな支配者になっていく。
蘭奢待を切り取ったことは朝廷との深い結びつきを見せつける効果を発揮したのです。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
やがて蘭奢待は”天下人の証し”という特別な意味を持っていくようになります。
信長は蘭奢待を二片切り取りました。
そして一つを自らのものとし、もう一つを天皇に献上したのです。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
織田信長から天皇の元に渡った蘭奢待は、その後切り分けられ、上の図のように受け継がれていきました。
当時の有力な武将であった毛利家に渡っていたりと、外交手段として使われていくのです。
「香木は切り分けられるという点で、茶器などとは一線を画す特徴を持っています。その中でも特に力を持っていたのが蘭奢待でした」(京都府立大学文学部 准教授 濱崎加奈子氏)
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
江戸幕府を開いた徳川家康も大の香木好きで、蘭奢待を手に入れた際には「この上ない喜びを示した」と伝わります。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
さらに家康は幕府を開いた翌年に正倉院の大規模な修復事業を命じました。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
家康の正倉院への関心は後の将軍にも受け継がれていきます。
こちらは宝物を保管しておくための箱、唐櫃(からびつ)です。
通常、唐櫃にはいくつかの宝物がまとめて収められていましたが、この唐櫃は蘭奢待専用のものになります。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
蘭奢待専用唐櫃の製作を命じたのは5代将軍の徳川綱吉でした。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
さらに11代将軍の徳川家斉(いえなり)の治世には盗難防止用の鍵が取り付けられました。
「それぞれの天下人が蘭奢待というのを”権力の象徴”として脈々と大事にしてきた」(正倉院事務所・中村力也氏)
明治天皇と蘭奢待
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
滋賀県の三井寺に蘭奢待の切れ端が残されています。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
こちらがその蘭奢待の断片です。
明治初期頃に切り取られ、三井寺に伝わったと考えられています。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
この断片を三井寺に納めたとされるのが町田久成です。
明治政府の官僚を務めた町田は文化財の保護に尽力した後、三井寺法明院の住職となりました。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
明治天皇が明治10年に正倉院に行幸した際に、同行していた町田は天皇に命じられ、蘭奢待を切り取りました。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
この時代は新政府が発足して10年近く経っていましたが、それでもまだ各地で不満をもつ士族による反乱が起こっていました。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
「民衆の心をつかむにはどうすればいいか?」
考えた明治天皇は「行幸」という形で全国に足を運び、民衆の支持を集めようとしたのです。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
なかでも奈良は古代に都が置かれた場所でもあり、また天皇家ともゆかりが深いことから重要視されました。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
切り取れた蘭奢待は、明治天皇自らその断片を焚いたと伝わります。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
信長が蘭奢待を切り取ってから約300年の歳月が流れた明治の時代。
高貴でかぐわしい香りが明治天皇のお側に解き放たれたのです。
蘭奢待は一体どんな香り
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
歴史上の権力者を魅了してきた『蘭奢待』。
では、その香りは一体どのようなものなのでしょうか?
本物の蘭奢待からは、お香のような香りがするといいます。
1300年前の木から今でも香りがするのは驚きですね!
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
では、実際に焚いたときはどのような香りを放つのでしょうか?
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
2000(平成12)年に蘭奢待の科学調査が行われました。
蘭奢待の成分が分析され、その結果が残されています。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
この論文では、蘭奢待は五味六国の中の伽羅(きゃら)に属すると考えられる記載があります。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
それがわかるのが「クロモン」という物質です。
クロモン類は伽羅特有の成分だといいます。
しかし科学的に香木の種類を特定することは出来ても、伽羅の中でも1つ1つ香りに個性があるので、「蘭奢待の香りはコレだ!」と断定するのは難しいといいます。
蘭奢待は杏仁豆腐の香り?
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
それでは、実際に蘭奢待の香りを聞いた(嗅いだ)人はどういった感想を残しているのでしょうか?
京都市内の香木店に資料が残されています。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
そこには「五味が順番に出て、それが九たび返される」と書かれています。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
さらに具体的な記述があります。
それが資料の中に何度も登場する”あんにん”という言葉です。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
この”あんにん”は文字通り、「杏仁豆腐」のことを指しているといいます。
蘭奢待は焚くと甘いに香りがする、ということでしょうか?
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
神奈川県平塚市にある香料メーカーで調査が行われました。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
香気を表現で”奇気”という言葉があります。
この”奇気”に杏仁の香りが含まれており、伽羅の特に上等なものに存在するといわれています。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
そこで奇気を持つ貴重な伽羅の一つ、初音(はつね)という香木で実験を行いました。
初音から奇気の香りを抽出し、蘭奢待を聞いたときの感覚に近い香りを探します。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
まず初音から発せられる香りを集め、それを分析。
香りに含まれる成分が分解されます。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
さいごに検出されたバラバラの成分を組み合わせて、”奇気”の香りに近くなるものを探します。
画像出展元:テレビ番組「歴史探偵」より
二週間に及ぶ作業の後、杏仁のような香りが完成しました。
これらの物質から構成される香りは、揮発性が高く、熱を加えたときに早い段階で立ち上ってくる成分だといいます。
実際に嗅いだ感想は「おなじみの杏仁豆腐より少し複雑で、どこか上品さを感じさせるような香り」だといいます。
この香りが蘭奢待の香りの一部と考えられるのです。
今回の記事はここまでになります。