2020年7月19日にNHKで放送された「日曜美術館」の【蔵出し!西洋絵画傑作15選(3)】の回をまとめました。
今回の記事で3週に渡り放送された「蔵出し!傑作選・西洋絵画」のラストで、パート9になります。
前回のパート8はこちら☚からご覧頂けます。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
今回の記事は前回からの続きでムンクの《叫び》、そしてピカソの《ゲルニカ》についてまとめていきます。
《叫び》ムンク
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ムンクは《叫び》を15年以上に渡って、画材や手法を変えて執拗なまでに描きました。
中でも最も有名なのが現在オスロ国立美術館に収蔵されている、29歳の時に描かれたものです。
1893年に発表された当初は世間からは全く評価されませんでした。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
挙げ句の果てに作品に落書きまでされる始末に。
「こんな絵を描けるのは正気を失った人間だけだ」
ムンクはこの言葉をどのように受け止めたのでしょう?
彼はその落書きを消さずに、あえて作品の一部として残しました。
この落書きの言葉を彼は否定しなかったのでしょうか?
精神科医 斎藤環の分析
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
2013年の日曜美術館では「夢のムンク 傑作10選」と題してムンクの作品を取り上げました。
司会の井浦新さんはムンクについて「心の病を持っているからといえども、どこか理性的な面があったのではないかと感じる」と述べています。
ゲストは精神科医の斎藤環氏、ムンクの心情を分析しました。
《叫び》は非常に巧みな絵であり、もしムンクがただ狂気の真っ只中にいるだけなら、このような作品は描けなかっただろうと言います。
「巧みさ」というのはそれまで培ってきた技法や画家としての才能に由来しますが、その「巧みさ」を十分に発揮するためには、きちんとした理性が保たれているのが必須なのです。
精神は非常にぎりぎりの所だったかもしれませんが、それが保たれていた時期の作品と考えられます。
ムンクは次のような言葉を残しています。
「不安と病がなければ、私は舵(かじ)を失った舟のようなものだ」
この言葉にはその自分の病や精神の状態さえも「表現の中で活用していこう」というムンクの姿勢が見て取れます。
作家 五木寛之氏の考察
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
小説家であり随筆家の五木寛之氏は《叫び》が誕生した背景について語っていました。
ヨーロッパではキリスト教文化を中心とする”宗教”が土台にあり、その上に”科学”乗っかるというような絶妙なバランスをもって発展してきました。
ところがそれが近代に入ると産業革命により、科学が一方的な発達をしていきます。
19世紀の終わり頃になると世界中の人たちが、”バランスを失った心なき病んだ時代”に生きているという不安を抱くようになりました。
つまりムンクだけが不安を抱いて、それを芸術家的な幻想として描いたのではないのです。
《叫び》は時代そのもののあり方を象徴しているのです。
《ゲルニカ》ピカソ
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
スペイン・バスク地方の小さな田舎町、ゲルニカ。
「蔵出し!傑作選・西洋絵画」のラストの作品はこの町が舞台になっています。
1937年、ナチスドイツがこの町に無差別爆撃をします。
罪のない大勢の人々が命を奪われました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その知らせを受けて筆を取った画家が、スペイン出身のパブロ・ピカソです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ピカソが描いた《ゲルニカ》。
高さ約3.5メートル、横幅はおよそ8メートルの大画面の作品です。
画面には両手を上げて叫ぶ女性、逃げ出そうとする女性。
爆撃による惨劇がまるで子供の絵のように描かれています。
岡本太郎氏の考察
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
1980年放送の日曜美術館。
ピカソへの思いを熱く語るのは岡本太郎氏です。
《ゲルニカ》について「全体が締まっていて、大したコンポジションだ」と話す岡本氏。
殺されている、悲しんでいる、叫んでいる、そして馬までもが絶望している。
その上で岡本氏は《ゲルニカ》を不気味な絵だとも発言しています。
心地よくない、だからこそ素晴らしいのだと。
日本語には「醜悪美(しゅうあくび)」という言葉がありますが、まさにこの《ゲルニカ》がそれに当てはまるのです。
醜悪なものはきれいではありません、しかし美しいのです。
”きれい”というのは型にはめたものであり、”美しい”という言葉と”きれい”という言葉は違うのです。
北野武氏の考察
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
2017年の日曜美術館では、北野武さんが《ゲルニカ》と向き合いました。
北野さんは《ゲルニカ》を単なる抗議の絵ではなく、宗教的な面を持つ絵画だと言っています。
ここには善悪の問題、苦しみ、悲しみ、そして人間社会の愚かさ、これら全てを入れたような達観した作品になっているのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
当時の番組司会の井浦新さんが注目したのは、手に持たれた一輪の花でした。
ここには「こんな状況でも植物はまた芽を出して咲き、生き続けていく」という意味が込められているのではと語っています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
《ゲルニカ》は人間、そして生きものの儚さと愚かさの全てが描かれているのです。
映画監督 大林宣彦氏の考察
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
2020年4月に他界した映画監督の大林宣彦氏。
2018年のNHKの番組で学生たちに《ゲルニカ》について語りました。
《ゲルニカ》は20世紀を象徴する絵画と言われますが、発表当初の評価は高くありませんでした。
しかしここにはピカソの哲学があるのです。
もしこの作品が無差別爆撃の様子を克明に、リアルに、写真のように表現したらどうだったでしょう?
かなりの衝撃を見る人には与えますが、その一方「もう見たくない、忘れたい、なかったことにしたい」という感情が起こり、風化していく事になるでしょう。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
そこでピカソはまるで子供が描いたような絵で、戦争の悲惨さを表現したのです。
ピカソの描く横顔は目が2つあるような横顔なのはご存じでしょう。
小さい子でも表現できる、そして分かる絵なので彼らも飽きることなくこの絵を見る事ができるのです。
この絵を見た子供が尋ねるのです。
「どうしてこの人はこんな歪んだ顔をしているの?」
「え?戦争というものがあったの?それで人が殺されたの?」
真っすぐな「戦争は嫌だ」というメッセージが、今でも世界中の子供たちに伝わるのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
大林監督の映画も周囲から「こんなもの映画じゃない」と言われる事があるそうです。
その時には「横顔に目が2つある映画なんですよ」と語るといいます。
それは実際の横顔ではない”嘘”ですが、”誠”を伝えているのです。
横顔に目が2つあるような映画は儲かったり、ヒットしたりはしません。
けれども大林監督はそれを誇りに生きてきました。
それが後世の人たちに伝わって、未来をつくる力になるのです。
今回の記事は以上になります。
最後までご覧頂きありがとうございました。
コメント
[…] 今回の記事はここまでです。 続くパート9で、ムンクがどういった思いでこの《叫び》描いたのか。 そして「蔵出し!傑作選」西洋絵画のラスト、ピカソの《ゲルニカ》についてもまとめていきます。 こちら☚からご覧いただけます。 […]