2024年11月3日にNHKにて放送された「日曜美術館」の【天平の輝き ふたたび 〜第76回正倉院展〜】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
今回の記事はパート2になります。
『黄金瑠璃鈿背十二稜鏡』
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
第76回正倉院展では”ガラスに関する宝物”と、現代の職人が正倉院宝物を再現した”再現模造”を見られるのが特徴です。
ガラスは今は身近なものですが、当時はたいへん貴重なもので、天皇や皇后、貴族や役人といった身分の高い人しか手に入れることができませんでした。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
『黄金瑠璃鈿背十二稜鏡(おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう)』は直径18.5センチの豪華な鏡です。
正倉院宝物の中でも有名な宝物で、今回の正倉院展のポスター等、メインビジュアルにも使われています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
鏡の裏面には、大小18枚の花弁から成る極楽浄土に咲く空想上の花が表されています。
この花は「七宝」と呼ばれる技法でつくられています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
これらの豪華な花模様は、一枚一枚七宝で作られたのちに組み上げられ、つくられたことが分かっています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
「七宝」とは、金属の板にガラスの粉末を焼き付けることで文様を表現する装飾技法です。
エジプトなどからシルクロードを渡り、唐を経て日本にもたらされました。
正倉院には全部で56面の鏡が伝わっていますが、七宝が使われているのはこの『黄金瑠璃鈿背十二稜鏡』だけです。
『造仏所作物帳』
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
『造仏所作物帳(ぞうぶつしょさくもつちょう)』は、奈良・興福寺の西金堂(さいこんどう)の造営に関する報告書です。
この中には、当時国内でガラスが生産されていたことが記録されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
西金堂はかつて興福寺の境内にありました。
光明皇后が母の橘三千代の冥福を願い、734年に建立しました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
興福寺の境内からは数多くのガラス玉が発掘されています。
その中には奈良で作られたものもあるとされています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
当時ガラスは「瑠璃」の名称で呼ばれており、金銀に並ぶ価値があったとされていました。
ここには15万枚を超える数のガラスが製造されていたことが書かれており、これらはお堂や仏像の装飾に使われました。
『瑠璃玉原料』
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
『瑠璃玉原料(るりだまのげんりょう)』は、ガラスの塊を砕いた、カケラの宝物です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
主成分である鉛に、金属などの着色剤を混ぜて色を作るのが当時のガラスの特徴でした。
『瑠璃魚形』
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ガラスは当時の人のアクセサリーとしても使われました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
『瑠璃魚形(るりのうおがた)』は大きさ6センチほどで、手のひらサイズの魚を模したガラス細工です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
顔の部分に小さな穴が開いています。
当時の高貴な人々はここから紐を通し、帯にぶら下げてお洒落を楽しんだと考えられています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
また線のように見える部分は、彫った後に、さらに金や銀の顔料で彩色されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
『瑠璃魚形』は国内の工房で加工されたと考えられています。
再現模造『瑠璃魚形』
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらは現代の職人が製作した『瑠璃魚形』の再現模造品です。
”再現模造”といってもただ同じ形のものを作ったわけではありません。
宝物の素材・材料、そして制作過程さえも忠実に再現したものです。
正倉院宝物の再現模造の製作は明治時代から行われ、現在では正倉院事務所が中心となって進められています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
正倉院宝物はどれも1300年前のものですので、状態が良いものがある一方、欠損していたり、退色していたりするものもあります。
再現模造ではそういった経年劣化した宝物の、当時の姿を現在に甦らせる取り組みを行っているのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
岡山県の倉敷に『瑠璃魚形』の再現模造を制作したガラス職人がいます。
迫田岳臣さんです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
迫田さんはこれまでに様々な古代のガラス作品を復元してきました。
しかし正倉院宝物は他の作品と違い、触れることができないため、その製作作業はひときわ大変なものだったといいます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その中でも特に苦労したのが『黄瑠璃魚形(きるりのうおがた)』の黄色の再現だといいます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
迫田さんは正倉院事務所が行ったガラス玉の分析結果を元に、何度も調合を試みました。
その回数は180回から200近い回数にのぼるといいます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
しかし材料の調合だけでは、『黄瑠璃魚形』の黄色は再現できませんでした。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
そこで迫田さんは当時のガラスの製作環境を考えました。
当時は薪や炭で火をおこしてガラスを溶かしていたため、炭がガラスに入り込む可能性を考えたのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
竹串を使い当時のガラス作りの環境を再現します。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
800度以上のガラスの中に竹串を入れることで竹を一瞬燃やし、その時に出る微量の炭を混入させました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その結果、宝物により近い黄色が再現されました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
出来上がった長方形のガラスの塊は、ろくろに似た機械や砥石を使って、魚の形へと成形されます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
次に迫田さんを悩ませたのは、線で刻まれた目やエラの部分です。
この線は現在あるガラス工芸の道具では表現することができないといいます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
そこで迫田さんは道具を自作しました。
また削る刃の部分も宝物が作られた当時にもあったとされる、ヤスリや水晶を用いるという徹底ぶりです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こうして作られた『瑠璃魚形』の再現模造の製作は4年の歳月を要しました。
今回の記事はここまでになります。
パート3に続きます。