2024年11月3日にNHKにて放送された「日曜美術館」の【天平の輝き ふたたび 〜第76回正倉院展〜】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
イントロダクション:第76回正倉院展
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
年に一度開かれる正倉院の扉。
毎年秋に奈良国立博物館で天平の至宝が一般に公開されます。
今年で第76回目となる正倉院展。
全57件の宝物が出陳され、そのうち11件が初出陳です。
正倉院展に出陳される宝物は、一度出陳されると保存上の観点から、以後十年は出陳されません。
いまこのタイミングで見られる宝物自体が貴重ということですね!
1300年の時を経てもなお色褪せない正倉院宝物。
そこには当時の卓越した職人技と、人々の思いが込められているのです。
正倉院宝物の成り立ち
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
正倉院は東大寺の北にある倉です。
現在、正倉院の中は元々宝物を納めていた箱(唐櫃(からびつ))だけが残されており、宝物自体は東大寺内の西宝庫・東宝庫に移されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
聖武天皇が756年に亡くなった際に、妻である光明皇后が、夫の遺愛の品を東大寺の大仏に納めたことが正倉院宝物の始まりです。
『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』には、そのとき光明皇后が献納した宝物がまとめられています。
この『国家珍宝帳』もまた、宝物と共に大仏に納められました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
正倉院宝物の最大の特徴は、”発掘品”ではなく、約1300年の間に人から人へと受け継がれた”伝世品(でんせいひん)”であるということです。
また伝世品ゆえに保存状態もたいへん良く、宝物の当時の色彩や輝きが残っているだけでなく、素材の材質までも見て取ることができるのです。
『鹿草木夾纈屛風』
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
『鹿草木夾纈屛風(しかくさききょうけちのびょうぶ)』は、聖武天皇の四十九日法要の際に納められた100畳の屏風のうちの一つです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
文様は左右線対象に表されています。
これは「夾纈(きょうけち)」と呼ばれる技法です。
夾纈とは同じ文様を掘り出した2枚の板で、半分に折った布を挟んで染め上げることで、線対象な文様を表す技法です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
平安時代以降に夾纈の技法を用いた複数色の作品はほとんど見つかっていません。
『花鳥背円鏡』
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
『花鳥背円鏡(かちょうはいのえんきょう)』は聖武天皇が身近に置いていたと伝わる、直径約30センチほどの鏡です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
6つの唐花や瑞雲は中央から文様が放射状に表されていますが、それらは1つずつデザインが変えられています。
これらの特徴から8世紀前半の唐で制作され、遣唐使によって日本にもたらされたと考えられています。
『紅牙撥鏤尺』
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらの『紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)』も、『花鳥背円鏡』と同じく唐からもたらされた宝物です。
長さはおよそ30センチで、物差しとして使われました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
皇帝が家臣に尺を与えるという唐の儀式で用いられたものです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
この宝物に使われている技法が、名称にも含まれている「撥鏤(ばちる)」です。
まず象牙の表面を赤色に染め上げ、そこ彫ることで元の白色を出して、文様をつくり上げています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
当時の職人の細やかな仕事ぶりを見ることができます。
『紫地鳳形錦御軾』
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
『紫地鳳形錦御軾(むらさきじおおとりがたにしきのおんしょく)』は、聖武天皇が実際に使用したと伝わる肘置きです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
側面の錦の文様には当時の国際色豊かな表現が見て取れます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
中国神話に登場する鳳凰。
その周りを取り囲むのは西アジア伝統の葡萄唐草です。
複数の文化の融合が見られます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
角の部分は破れや表面の錦の変色具合から、聖武天皇が長年愛用していたことを思い起こさせます。
今回の記事はここまでになります。
パート2へと続きます。