【ぶら美】ビュールレ・コレクション④【セザンヌ】

ぶらぶら美術・博物館

2018年4月17日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#266 世界的収集家の慧眼!「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」~ルノワール、モネ、ゴッホ、ピカソ…誰もが知る傑作が勢揃い!~】の回をまとめました。

今回の記事はパート4になります。
前回のパート3はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ビュールレ・コレクションは印象派、ポスト印象派の作品が中心ですが、その中でもセザンヌの作品がたいへん充実しています
ビュールレ氏が一番好んだ画家がセザンヌでした。

この展覧会では6点のセザンヌ作品が来日しました。

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《パレットを持つ自画像》セザンヌ


《パレットを持つ自画像》1890年頃
ポール・セザンヌ
ビュールレ・コレクション

セザンヌ生涯に自画像を25点描いていますが、その中でも本作は最大級のサイズのもので、また画家としての制作中の姿を描いた唯一のものになります。

セザンヌとしても相当気合の入った自画像である事が分かります。

セザンヌは第一回印象派展に参加しながらも、その後は故郷に帰り、いつしか”忘れ去られた画家”となっていました。
故郷へ帰ってからは父親の遺産があったので食うには困りませんでしたが、それ故に絵が売れる必要性もなかったので、自分の好きなようにやりたい事を追求しました。

そのセザンヌが注目されるきっかけとなったのが、1895年に画商のアンブロワーズ・ヴォラールがパリで開催した個展でした。これを機にパリでも注目をされるようになっていくのです。

《赤いチョッキの少年》セザンヌ


《赤いチョッキの少年》1888-90年
ポール・セザンヌ
ビュールレ・コレクション

こちらの《赤いチョッキの少年》は、ルノワールの《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》と共に展覧会のメインビジュアルにもなっている、セザンヌ作品の中でもよく知られた一枚です。

パッと見「なんだか良い絵だなぁ」という感じですが、細かく見ていくと色々とおかしな点がある事に気づかされます。


先ず右腕が長すぎます。その右腕も肩から肘までが異様に長くなっています。
左腕もなんだか棒のようになっていますし、肘を置いている部分もよくわかりません。

このように探していくと、色々とツッコミどころが満載です。
セザンヌの絵は分からないことだらけ」と解説の深谷克典氏も言います。

そもそもこの少年はいったいどこに座っているのか?

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

腰から下には青い部分と茶色い部分があるように見えますが、これはオーバーズボンと呼ばれるものを履いているのだと考えられます。

カウボーイがよく履く、”ズボンの上に履くズボン”がオーバーズボンです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

解説の深谷克典氏が指し示している箇所がお尻の部分だといいます。
それから考えると、上半身がやけに長くなります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

なぜこんなツッコミどころの多い絵をセザンヌは描いたのでしょう?
彼は例え人体のバランスがおかしくても、「これはあくまでも絵だ」という考えだったのです。

絵画として見た時にいかにバランスが良いか、そこに重点を置いているのです。
ですので、普通の人体の比率とは異なっていても、「絵として見た時に良ければ、それでいい」という発想なのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

セザンヌ以前の絵画というのは、”見たものをどれだけそっくりに、写実的に描くか”が重要であり、画家に求められたものでした。
それは写真のようなリアルで写実的なものであり、また印象派のような光や色彩の移ろいをどう表現するかと、いう事だったのです。

しかしセザンヌは、自分の求める構図に合わせて、対象の形を崩してしまうのです。
彼にとっては、構図・構成が最も優先されるのです。


この《赤いチョッキの少年》では、セザンヌは左下から右上への斜めの線が欲しいのです。
その線に合わせて、少年の人体バランスも変えてしまうのです。

番組内で山田五郎さんは次のように述べています。
セザンヌは基本的に絵が下手。そっくりに描こうとしても描けない。だったら自分が描けるように世界を作り変えていこう。この発想の転換が近代絵画への大きな一歩。
セザンヌ以降、絵が上手くなくても(そっくりに描く事だけじゃない)画家になれた

苦手なものを克服するのではなく、良い所を伸ばそう、という発想ですね。

この作品は美術史上に残る傑作として有名ですが、じつはもう一つ別の事でも有名になりました。

史上最大の絵画盗難事件

じつはこの《赤いチョッキの少年》は、ビュールレ氏の自宅を改装した美術館から2008年に盗難の被害に遭っているのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

盗まれたのはこの作品を含めゴッホモネドガと名だたる画家の作品が4点。
被害総額は180億円で、史上最大の絵画盗難事件といわれました。

この盗難事件がきっかけになって、ビュールレ美術館からチューリヒ美術館にコレクションが移管されることになったともいわれています。

元々が自宅を改装した美術館という事で、セキュリティ面も万全ではなかったのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

盗まれた4点のうちゴッホモネの作品は、事件から一週間後に近くの駐車場に放置されていた自動車の後部座席から発見されました。

そして《赤いチョッキの少年》は事件から4年後、セルビア共和国の首都ベオグラードで、犯人逮捕の際に一緒に見つかっています。
作品があまりにも有名なものという事で、おおっぴらに売れず、また買い手もつかなかったのです。

結果的には4点すべての作品が、傷一つなく戻ってきました

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この展覧会では、その盗難被害にあった4点すべてが出品されていました。

《庭師ヴァリエ(老庭師)》セザンヌ


《庭師ヴァリエ(老庭師)》1904-06年
ポール・セザンヌ
ビュールレ・コレクション

これはずいぶんとお洒落な作品ですね~

亡くなる直前の作品で、セザンヌの絶筆ともいわれています。

セザンヌは1900年頃を境に、評価が急速に高まります
ピカソら当時の若い画家たちが「セザンヌは逆にすごい!」となって、それまでの評価が一変するのです。


「何が描かれているか」とか、「写実的に描かれているか」というのは、もはや重要ではなくなってきているのが分かります。

そういう事ではなく、色と形、そしてそのバランスが抜群に良いのです。
ここまでくると、「具体的なものを描かなくても絵画として成立する」という段階で、ほとんど抽象画の表現になっているのです。

このような点から、セザンヌは「近代絵画の父」と呼ばれているのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

晩年のセザンヌは糖尿病を患っており、体調があまりよくなかったといいます。
描かれている庭師のヴァリエは、庭の手入れだけでなく、晩年のセザンヌの身の回りの世話もしていました。

作品をよく見てみると、口元や帽子の部分、体の一部分で元の紙の色のままの部分があります。

セザンヌがこの状態で完成作としたのか、それとも製作途中で亡くなってしまい、結果塗り残しになってしまったのかは分かりません。

この作品が描かれたのは1904から1906年
ピカソがキュビスムの初期の傑作《アヴィニョンの娘たち》を発表したのが1907年でしたので、まさにキュビスムの幕開け、その直前の作品といえるでしょう。

今回の記事はここまでになります。
続くパート5では、ゴッホの作品についてまとめていきます。
こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] 今回の記事はパート5になります。 前回のパート4はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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