【ぶら美】ビュールレ・コレクション⑤【ゴッホ作品】

ぶらぶら美術・博物館

2018年4月17日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#266 世界的収集家の慧眼!「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」~ルノワール、モネ、ゴッホ、ピカソ…誰もが知る傑作が勢揃い!~】の回をまとめました。

今回の記事はパート5になります。
前回のパート4はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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イントロダクション

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ポスト印象主義の三大画家といえば、セザンヌゴーギャン、そしてゴッホ(1853-1890)です。

ビュールレ・コレクションはその画家の様々な時代の代表作をおさえており、ビュールレ・コレクションを見るだけで、画家の画風や様式の変遷が分かるようになっています。

ゴッホも同様で、オランダ時代から始まり、パリ、アルル、サン=レミゴッホの全時代を追えるようになっています。

《自画像》ゴッホ


《自画像》1887年
フィンセント・ファン・ゴッホ
ビュールレ・コレクション

こちらは1887年、パリにいた頃に描かれた作品です。
日本初公開のゴッホの自画像です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

背景は点描のようなタッチで描かれています。
オランダにいる頃は暗い作品を描いていたゴッホですが、パリに出てきて以降、印象派の明るい画風を知り、画風が変化していきました。

さらにパリからアルルへ引っ越すと、そこでゴッホの色彩感覚が爆発します。
次の作品は、そのアルルで描かれた一枚です

《日没を背に種まく人》ゴッホ


《日没を背に種まく人》1888年
フィンセント・ファン・ゴッホ
ビュールレ・コレクション

こちらは《日没を背に種まく人》という作品です。
山田五郎さん曰く「アルルに行き、色彩に目覚めて、一番イキイキしている頃の作品」。

種まく人』と聞くとバルビゾン派のミレーの作品を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。


《種まく人》1850年
ジャン=フランソワ・ミレー
ボストン美術館蔵
*「ビュールレ・コレクション展」の出展作品ではありません。

ゴッホミレーを敬愛しており、その代表作から着想を得て《日没を背に種まく人》を描きました。


まさに色彩が爆発している1枚です。
空がこんな風に黄色になるという事はありえないでしょう。

パート4の記事でご紹介したセザンヌとはアプローチの仕方こそ違いますが、実景をそのまま描くのではなく、色と形を優先して画面を作っていっている点は共通する部分があります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

先ほどのパリ時代の自画像は、点描の細かいタッチで描かれていましたが、アルルに来ると、その点描一つ一つがぐいぐいと大きくなっています。
色の面を作るようにして、力強い筆のタッチになっています。


この作品の構図は、日本の浮世絵からの影響がみられます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

画面を大胆に横切る木の構図は、歌川広重に代表される浮世絵に倣ったものだと考えられます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ゴッホは画家になる前、キリスト教の伝道師を目指していました。
単に「ミレーが好きだから」という理由で『種まく人』の主題を選んだのではありません。

種まく人というのは「神の言葉をまく人」、すなわち伝道師のような意味合いがあり、宗教的な意味を込めて描いたのです。

『種まく人』の詳しい解説は、過去記事にまとめていますので、
よろしければご覧ください☟☟
【ぶらぶら美術・博物館】ブリューゲル展①【美術番組まとめ】

伝道師という夢は叶わなかったゴッホは、今度は「画家として、絵画を通じて教えを伝えたい」という思いがあったのかもしれません。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

画中の太陽は、ちょうど種まく人の背後に描かれています。
ちょうど光背のように見え、『種まく人』がまるで聖なる存在であるかのように表されています。


一見すると、何気ない普通の風景画のようにも見えますが、その中に宗教的な意味合いが込められている作品です。

《二人の農婦》ゴッホ

アルルで生活していたゴッホは、次第に精神を病んでいくようになります。
「耳切事件」を起こし、翌年には自ら望んで、サン=レミの病院で一年近い入院生活を送ります。


《二人の農婦》1890年
フィンセント・ファン・ゴッホ
ビュールレ・コレクション

その入院中に描かれたのがこちらの《二人の農婦》という作品です。
アルル時代には見られなかった、ゴッホ特有のうねる表現が出始めます。


この《二人の農婦》も先ほどと同じくミレーの《落穂拾い》から着想を得ています

ゴッホが《落穂拾い》を描くとこうなるんですね~

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ゴッホがサン=レミで入院生活を送っている時、弟のテオはパリで画商として働いていました。
その弟から絵の具などの画材道具や、ミレー作品の版画や画集を送ってもらっていました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この作品をよく見てみると、土に見える茶色い部分があります。
じつはこれは絵具で描いた茶色ではなく、元の紙の茶色い部分が残っているのです。

茶色の紙の、いわば塗り残しの部分がちょうどよく土のように表されています。

ゴッホは油彩画作品を制作する際には、ほとんど全てカンヴァスに描いており、紙に描いているものはほとんどないといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

二人の農婦》が紙に描かれている理由について、解説の深谷克典氏は次のように推測します。
ゴッホは油彩作品をほとんどカンヴァスに描いていますが、習作や下書きは紙に描いています。
ひょっとするとこの《二人の農婦》は当初は油絵にするつもりはなかったのでは?
最初は鉛筆を使って習作のように描いていたのが、その内下絵に出来栄えが気に入り、途中から油絵にしたのでは?」


自分でも精神状態が不安定だと思っていたゴッホは、この時自ら進んで入院しています。
ミレーの作品を描くという行為”は、彼にとってリハビリのようなものでもあったといいます。

敬愛するミレーの作品を模写する事で、精神の立て直し、そして画家としての再起を目指していたのかもしれません。

今回の記事はここまでになります。
続くパート6で『ビュールレ・コレクション』のラストです!

コメント

  1. […] 今回の記事はここまでになります。 続くパート5では、ゴッホの作品についてまとめていきます。 こちら☚からご覧いただけます。 […]

  2. […] 今回の記事はパート6になります。 前回のパート5はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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