2018年2月23日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#260 東京都美術館「ブリューゲル展」~「バベルの塔」だけじゃない!150年続いた画家一族 栄華の秘密!~】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
イントロダクション:ブリューゲル展
今回は2018年に東京都美術館で開催された『ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜』についてまとめていきます。
ブリューゲルといえば、こちらの『バベルの塔』を描いたピーテル・ブリューゲル1世(1525-1530年頃~1569年)がよく知られています。
ピーテル・ブリューゲル1世は16世紀のフランドルを代表する画家です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この『ブリューゲル展』は副題に”画家一族150年の系譜”とあります。
ブリューゲルはその人だけでなく、彼の子供や孫、さらにひ孫や玄孫の代まで画家であり、現代でも高値で取引される等、高い評価を確立しています。
この展覧会はまさに”ブリューゲル一族”の作品を集めた展覧会だったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
出展作品のほとんどがプライベートコレクション(個人が所有しているもの)という事で、日本初公開のものが数多く展示されていました。
《三連祭壇画》ピーテル・クック・ファン・アールストと工房
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
展覧会の冒頭を飾るのはこちらの作品です。
描いたピーテル・クック・ファン・アールストは《バベルの塔》を描いたピーテル・ブリューゲル1世の師匠といわれている人物です。
その師匠の娘とピーテル1世は結婚しているので、ピーテル・クック・ファン・アールストは義理の父親という関係性になります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ピーテル・クック・ファン・アールストはネーデルラント(今のベルギー、オランダ)を支配していたハプスブルク家のカール5世の宮廷画家として活躍しました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ブリューゲルといえば、”変な生き物”や農民の結婚式をユーモラスに描いた作品で知られています。
しかし師匠の祭壇画を見ると、ピーテル1世は特に影響を受けていないように感じられます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ピーテル・クック・ファン・アールストはイタリアで7年ほど絵の勉強をした後、ネーデルラントに帰国。イタリアの作風とフランドル地方の描写力を融合させた作品を描きました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
子供(幼子イエス)の姿があまり上手ではない気がしますが…
山田五郎さんは「この辺が北方らしい描き方」だと言います。
イタリアに頑張って寄せてますが、どこか不健康な感じになるのが特徴です。
師匠と同じくピーテル・ブリューゲル1世もイタリアに留学しています。
しかし、彼はそれほどイタリアからの影響は受けなかったといいます。
北方絵画の保存状態が良い理由
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この『ブリューゲル展』で展示されている作品は、保存状態良いものが多かったといいます。
北方絵画の保存状態が良好なのには、理由がありました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
その理由の一つに、油絵自体がネーデルラントの発祥であるという点が挙げられます。
油絵自体はその前からありましたが、技法を確立したのが北方の画家だったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
また支持体(描かれているもの)も北方と、それより下の地域とは違っていました。
この時代はまだ木の板に絵を描いていましたが、南の地域はポプラの木の板を使っているのに対し、北方では樫の木を使っていました。
ポプラの木は柔らかく、また温度・湿度の変化で湾曲やひび割れが起こると、その上に描かれた絵具も剥落してしまいます。
一方で樫の木は堅く、湾曲しにくいため絵具へのダメージも少なく、綺麗なまま今日まで残っているのです。
《種をまく人のたとえがある風景》ピーテル・ブリューゲル1世/ヤーコブ・グリンメル
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらはブリューゲル一族の祖であるピーテル・ブリューゲル1世(《バベルの塔》を描いた)の作品です。
ピーテル1世は40代半ばで亡くなっているため、油絵の作品はおよそ40点しか残っていません。
こちらの作品はヤーコブ・グリンメルという画家との共同制作の作品になります。
ヤーコブ・グリンメルはピーテル1世と同時代の画家で、風景画を得意としていました。
『種をまく人』という主題はバルビゾン派のミレーやポスト印象主義のゴッホなども描いています。
元々はイエス・キリストが集まってきた群衆に向かって、説教をする前にしたとされる例え話に由来しています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
種をまく人の周りには、鳥・石・いばらが描かれています。
蒔いた種が畑に落ちれば、その実りは何十倍にもなります。
しかしこの絵のように種を畑じゃなく道にまいてしまった場合実りはならず…
- 道に落ちる→鳥がついばんで食べてしまう
- 石の上→根がはれず、すぐ枯れてしまう
- いばらの間→芽が出てもいばらに邪魔されて伸びる事ができない
といずれも実を結ぶ事ができないのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ここで蒔かれている「種」は、「キリストの言葉」に置き換える事ができます。
そしてその落ちた先(鳥・石・いばら)というのは、話を聞いている人の態度や心持ちを表しています。つまり…
- 道に落ちて鳥についばまれている→初めから聞く気がない人
- 石の上→話を聞いても忘れる人
- いばら→聞いて芽も出るが、欲に負けて信仰を貫けない人
を表しているのです。
しかしこの種がちゃんと畑に落ちる、すなわち言葉も聞いて、信仰を貫けば”何十倍もの実りになる”という事を表してるのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ピーテル1世はこのように宗教的な主題を、風景画の一部のように描く事を得意としました。
この時代の風景画はこの作品のように、高い所から見下ろす・パノラマ的な視点で描かれたものが多く見られます。
ところでここはどこの風景なんでしょう?
じつはここは合成された”架空の風景”なのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
山の部分はピーテル1世がイタリア留学に向かう途中に見た、アルプスの風景から持ってきたものだと思われます。
イタリアの絵画よりもイタリアまでの道中の方に影響を受けたのですね。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この作品には山や川から海といった自然から、田舎や都市、城壁といった人工物まで描かれています。
このように自然の要素と人工物、それら全てを一つの風景に描いた作品の事を「世界風景」と呼びます。
ピーテル1世の死後
ピーテル1世は1569年に30代末~40代前半の若さで亡くなっています。
(生年がはっきりしていないため)
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ピーテル1世が亡くなった時、彼の子どもは幼く、長男のピーテル2世が5歳、次男のヤン1世は1歳そこそこでした。
画家一族の家系ですが、子ども達は直接父親から絵を教わる機会はなかったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そこで子供たちに絵を教えたのが、ピーテル1世の義理の母(ピーテル2世・ヤン1世からみた祖母)のマイケル・ヴェルフルストでした。
彼女は当時としては非常に珍しい女流画家だったのです。
子ども達は彼女から絵の手ほどきを受けたのです。
今回の記事はここまでになります。
続くパート2では、ピーテル1世の子ども、ピーテル2世とヤン1世の作品についてまとめてまいります。
こちら☚からご覧いただけます。
コメント
[…] 今回の記事はパート2になります。 前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。 […]
[…] 『種まく人』の詳しい解説は、過去記事にまとめていますので、 よろしければご覧ください☟☟ 【ぶらぶら美術・博物館】ブリューゲル展①【美術番組まとめ】 […]