2018年2月23日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#260 東京都美術館「ブリューゲル展」~「バベルの塔」だけじゃない!150年続いた画家一族 栄華の秘密!~】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
この記事ではピーテル・ブリューゲル1世の息子たち(長男:ピーテル2世、次男:ヤン1世)の作品についてまとめていきます。
《鳥罠》ピーテル・ブリューゲル2世
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
なんだかどこかで見た事あるような感じがしますね…
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
じつはこの《鳥罠》は父親のピーテル1世の作品のコピーなのです。
長男のピーテル・ブリューゲル2世は、生涯に渡って父親の作品のコピー版を描いた画家でした。
(晩年にはちょっと変えて、オリジナルの要素も入ってくるようです)
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
親のコピーばかりやるというのは、ある意味で楽そうに思えます。
しかし山田五郎さんは、ここには「長男は辛い」というこの展覧会の隠れテーマがあるといいます。
長男というのは家を継いでいかないといけません。
そして継いだ以上、ブリューゲル家のお家芸をしないといけなかったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
息子たちの代になると、父のピーテル1世の作品は非常に人気が高くなっていました。そしてそれらの作品は富裕層が所有していました。
一方で、絵が買えるようなお金に余裕のある一般市民も出てきます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そこで長男のピーテル2世は、そういった市民向けに父親の作品のコピー版を制作していったのです。
さらに”ピーテル1世の息子によるコピー”という事で、出所も信頼できる事から、どんどん流通していくのです。
ピーテル2世は、コピー版を制作する際に父親の作品を直に見て、制作したわけではありません。
完成版は既に貴族や大商人の家に飾られていましたので、ブリューゲル家に残されていた素描を基に作品を作りました。
また色に関しては父親の素描に色のメモが書かれている場合があったので、それを参考にしていました。
ですが、その色のメモがない場合は、ピーテル2世は自分の好きな色で描いています。
ですので、オリジナルと比べると色が微妙に違うものもあるといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
特にこちらの『鳥罠』の主題はブリューゲル一族のお家芸としてたいへん人気があり、100枚コピー版が描かれたといいます。
ピーテル2世はその内の約半分(約40枚)くらいを制作し、残りは一族と全然関係のない人が商売目的で製作していました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
それだけ人気のある作品のコピー版を作っていたと聞くと、とても儲かったのでは?と思われるかもしれません。
しかし実際の所は、コピー版は庶民に向けて作られたものであり、作品一点あたりの値段はそれほど高くありませんでした。
また大量のコピー版を作るにあたり、弟子を工房で雇う必要があり、人件費も多くかかりました。
その結果、父ピーテル1世の作品を世に広めるという役割は果たしましたが、生活そのものは苦しいものになっていました。
《田舎道をいく馬車と旅人》ヤン・ブリューゲル1世
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらはピーテル・ブリューゲル1世の次男のヤン・ブリューゲル1世の作品です。
縦12.2cm・横20cmの非常に小さな作品です。
ヤン1世も当初は父親の作品のコピー版を描いていましたが、だんだんと独自の作風を打ち出していきました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
非常に小さい画面ですが、細部まで丁寧に描き込まれています。
丸で囲った部分に、白い点々のようなものが見えます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ここには放牧された羊が描かれており、一匹一匹ちゃんと羊の姿が描かれています。
ヤン1世はこのように小さいサイズの絵画を得意としました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ヤン・ブリューゲル1世には貴族や枢機卿など、お金持ちのパトロンがついていました。
彼は自分を支援してくれるパトロンや市民向けに数多く作品を残しました。
保存状態が良い訳は?
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
色がたいへん綺麗に残っていますが、これには理由があります。
じつは描かれている素材が木の板ではなく、銅の板なのです。
銅板に描かれた絵は珍しいですが、17世紀のフランドル地方では多くみられるものだといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
木の板に描かれた場合、経年変化による湾曲で絵具のひび割れなどが起こる場合があります。
しかし、銅板ですと経年変化自体が起きにくいので、絵具が描いた当時のまま残るのです。
こんな綺麗に残るなら全部銅板に描けばいいのに。
と思われた方もいると思いますが、やはり銅板は木の板やカンバスに比べて高価なため、そこまで流通しなかったと考えられます。
またこの作品のサイズ(縦12.2cm・横20cm)からも分かるように、銅板を大きく伸ばすというのは難しく、大画面の絵画に銅板は使えなかったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
では何故フランドル地方では他の地域と比べて、銅板の絵画が多く描かれたのでしょうか?
この地方では他国に絵画を輸出していました。
船でそれらを運ぶ際に、銅板の絵画の方が軽くて薄いので、一度の輸出で多くの作品を運ぶことができるという利点があったのです。
そこに木の板にはない耐久性の高さも相まって、銅板の絵画が多く制作されたのです。
ブリューゲル兄弟の格差
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
このように次男のヤン1世は銅板の絵画を大量生産し海外に輸出、さらにお金持ちのパトロンも多かったので裕福な暮らしをしていました。
家を6軒も持つほどの資産家だったといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そのような背景もあり兄のピーテル2世と弟のヤン1世は経済的には正反対でした。
それぞれに付けられたあだ名も正反対で、兄のピーテル2世は「地獄のブリューゲル」、弟のヤン1世は「楽園(天国)のブリューゲル」とされていました。
結局この後のブリューゲル一族の主流は、弟のヤン1世の方になっていくのです。
ルーベンスとヤン1世
ヤン1世はあのルーベンスとも親交があり、共同で作品を描いたりもしています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ヤン1世の家族の肖像画も描くほど親密な間柄でした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
画家の一族で二代、三代まで続くことは珍しいことではありません。
ところがこのブリューゲル一族はピーテル1世から数えて5代あとまで続きました。
その理由はヤン・ブリューゲル1世が、父親のピーテル1世とは違う新たな新機軸を打ち出したからといえるでしょう。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
その新機軸に一つが”花の静物画”で、ヤン1世が最も得意とするものでした。
その見事さから、人々は彼を「花のブリューゲル」と呼びました。
今回の記事はここまでになります。
パート3へと続きます(こちら☚からご覧いただけます)
コメント
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