【日曜美術館】ヤン・ファン・エイク《ヘントの祭壇画》【まとめ】

日曜美術館

2020年2月16日にNHKで放送された「日曜美術館」の【光の探求者ヤン・ファン・エイク よみがえる“ヘントの祭壇画”】の回をまとめました。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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イントロダクション

今回取り上げるのはファン・エイク兄弟が描いた《ヘントの祭壇画》です。
ベルギーのヘントにある教会、シント・バーフ大聖堂にこの作品はあります。

驚異的な細密技法で描かれており、宝石や真珠は本物のように輝いています。
この絵を描いたファン・エイク兄弟はたぐいまれな技法で、油絵を新しい次元へ押し上げました。

この《ヘントの祭壇画》は現在ベルギーで修復作業が行われています。
最新の技術を用いた調査により、これまでとは異なる制作当初の姿が明らかになってきました。

今回はファン・エイク兄弟の弟で、神の手を持つといわれたヤン・ファン・エイクと《ヘントの祭壇画》についてまとめていきます。

聖バーフ大聖堂

ベルギーのヘントは、首都ブリュッセルそしてアントウェルペンに次ぐベルギー第三の都市です。この街の中心に《ヘントの祭壇画》を所蔵する聖バーフ大聖堂があります。

この作品は元々ファン・エイク兄弟フーベルトヤンがによって製作が始まりました。

開閉式のパネルに外面12枚内面12枚大小24枚の絵からなる祭壇画です。
そこにはキリスト教にまつわる人物が緻密な油彩画で描かれています。

今回の修復プロジェクト

2012年から始まった修復作業には、最新の科学技術が用いられました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

例えば、作品に赤外線を投射することで表面の下に隠れた制作当初の絵を確認することができます。

今回の調査で判明した事は、作品の多くの部分が後の時代による加筆や修正が施されていたことでした。
その割合はなんと画面の約70%にも及びます。
修復前まで見ていた《ヘントの祭壇画》は描かれた当時の姿とは異なっていたのです。

ヘント大学教授のマクシミリアン・マルテンス氏によると、
絵が完成して100年程経った頃には、すでに加筆が始まっていたと言います。
600年の間、損傷個所を直すために、今日とは異なる方法で修復が行われてきました。
それだけでなく、時代の風潮に合わせて絵自体もも書きかえられていったのです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

今回の修復で最も驚きの発見だったのが、「子羊の顔」です。
ヘントの祭壇画》は別名、『神秘の子羊』や『神秘の子羊の礼拝』と呼ばれるほど子羊は象徴的な存在でした。
しかしその顔が制作当初と、修復前の状態とではかなりの違いがある事が分かりました。

《ヘントの祭壇画》の歴史的背景

ではどうしてここまで後世による加筆や修正が行われたのでしょう?
その秘密はこの絵が持つ、歴史的背景にあります。

18世紀、ベルギーに侵攻したナポレオンは祭壇画をフランスに持ち帰り、ルーブル宮殿に作った美術館に飾りました

その後20世紀に入り、第二次世界大戦が勃発します。
ここではヒトラーに奪われ、オーストリアの岩塩坑に隠されていたところを救出されます。

度重なる略奪によって祭壇画は激しく損傷し、その度に修復されてきました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

こちらは絵の断面の写真です。
ご覧の通り、後世による加筆やニス層が厚みの半分を占めている事が分かります。

ヤン・ファン・エイクについて

ヤン・ファン・エイクの自画像とされる《ターバンの男の肖像》

ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck、1395年頃~1441年)は15世紀初頭に活躍したベルギーの画家です。
時代的にはレオナルド・ダ・ヴィンチよりの前の時代で、日本史でいうと室町時代、応仁の乱より少し前の時代です。

ヤン・ファン・エイクには兄のフーベルトがおり、当初は兄弟二人で《ヘントの祭壇画》に取り組んでいました。
しかし途中で兄は亡くなってしまい、ヤンが一人で完成させます。


《アルノフィーニ夫妻の肖像》1434年
ヤン・ファン・エイク
ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

こちらはヤン・ファン・エイクもう一つの代表作である《アルノフィーニ夫妻》の肖像です。

ヤン・ファン・エイクが活躍したフランドル地方は、毛織物工業が発達したおかげでいち早く市民文化が栄えていました。

また、油絵具の原料となる亜麻仁油(アマニ油)の産地でもありました。
そもそも「油彩画(油絵)」とは、
顔料(岩石や鉱物から作られる色のもとになる粉)を亜麻仁油(亜麻の実から採れる油=リンシード・オイル)などで溶いた絵具をテレピン油で薄めたもので、描かれています。

フランドル地方では、早くからこの油絵具が用いられていました。
また空気遠近法と呼ばれる、ものが遠ざかるにつれて空気の層を通して青く淡く見えていくという原理を初めて使いました。
この技法は《ヘントの祭壇画》でも使われています。

そんなヤン・ファン・エイクの記録に残る最初の油彩画が《ヘントの祭壇画》でした。

パート1は一旦ここまでで。
パート2では、祭壇画に描かれている聖人たちについてまとめていきます。
【日曜美術館】ヤン・ファン・エイク②【美術番組まとめ】

コメント

  1. […] 見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪ 前回のパート1はこちらからご覧いただけます☟☟ 【日曜美術館】ヤン・ファン・エイク①【美術番組まとめ】 […]

  2. […] 当ブログの過去記事では「日曜美術館」の「光の探求者ヤン・ファン・エイク よみがえる“ヘントの祭壇画”」の回もまとめています。 よろしければこちらもご覧下さい。 ☛【日曜美術館】ヤン・ファン・エイク《ヘントの祭壇画》【まとめ】 […]

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