2020年12月1日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#362 上野の森美術館「KING&QUEEN展」~中野京子さん解説!知れば知るほど面白い!英国王室ドラマティックな500年~】の回をまとめました。
展覧会の公式ページでも、「背景を知って観覧することでより深い鑑賞体験ができる画期的な展覧会です」と紹介されているこの『KING&QUEEN展』。
そんな展覧会を、『怖い絵シリーズ』でお馴染みの中野京子さんの解説で見ていきます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
イントロダクション
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
「肖像画には物語がある━」
”肖像画を楽しむコツ”は「人物の背景を知ること」だと中野先生は言います。
イギリス人は肖像画や伝記が凄く好きだと言われています。
ですので、イギリス人は今回の展覧会で展示されている王族の人たちをよく知っているので、非常に楽しめるのです。
しかし私たち日本人は、そこまでイギリス王室やその歴史に詳しくはないかと思います。
描かれている人物が「どういうことをした人なのか?」「どういう生き方をしたのか?」知ってからみると、この「KING&QUEEN展」をより楽しめると中野京子先生は言います。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今回の「KING&QUEEN展」は、イギリスにある肖像画専門美術館の「ロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリー」に収蔵されている作品が来日しています。
その数は90点、英国王室の肖像画や写真が来日しています。
教科書で見たような人物や、出来事に関連する人物がたくさん登場するのもこの展覧会の見どころです。
《ヘンリー8世》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
イギリスは現在の女王エリザベス2世のウィンザー朝までに、何度か王朝名が変わっています。
まず最初に見ていくのは、テューダー朝の時代です。
日本で言うと、室町から安土・桃山の頃ですね。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
テューダー朝の頃のイギリスは”カトリック”の国でした。
ここが後々重要なポイントになってきます!
《ヘンリー8世》
作者不詳
今に繋がるイギリス王朝の礎を作った言われるのが、ヘンリー8世です。
テューダー朝の第二代目のイングランド王で、1509年から1547年までのおよそ40年間在位しました。
彼の有名なエピソードは、6度結婚し、その内2人と離婚、更には別の2人を処刑してしまいました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そんな、いわば”やりたい放題”のヘンリー8世ですが、その残忍さは王位に就いて間もなく現れます。自身の父王の時代から国を支えてきた重臣を二人処刑してしまうのです。
”絶対君主”の名を欲しいままにした「最強の王」だったのです。
「反対する者は皆殺す」というスタンスだったのですね!
そんなヘンリー8世ですが、イギリス歴代の王様の中で「最もカリスマ性のある王」と言われ、現代でも映画化や舞台にもなっているほどです。
日本でいう織田信長のような感じなのかもしれません。
それにしても、ヘンリー8世はなぜ何度も離婚し、更には処刑までしたのでしょう?
ヘンリー8世の父であるヘンリー7世から始まったテューダー王朝ですが、じつはその出自が怪しまれており、「本当の王の流れではないのでは?」と疑われていました。
ですので、正当な血統を示すために、男子の世継ぎにこだわっていたのです。
しかし結婚する妻が男の子を生むことができなかったので、次々と離婚や処刑したりを繰り返したのです。
そんなヘンリー8世の歴代の妻の内の何人かの肖像画もこの展覧会に出展されていますので、一人ずつ見ていきましょう。
最初の妻 キャサリン・オブ・アラゴン
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
*こちらは「KING&QUEEN展」の出展作品ではありません。
ヘンリー8世の最初の妻は、キャサリン・オブ・アラゴンという名のスペイン王家出身の女性です。
このキャサリンですが、じつは元々はヘンリー8世の兄のアーサーの妻でした。
ものすごい額の持参金を持ってアーサーと結婚しますが、体が弱かった夫に先立たれてしまいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
アーサーの死後、キャサリンの財産を手放したくないと考えたヘンリー7世(アーサーとヘンリー8世の父親)が結婚しようとします。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
それが嫌だったキャサリンは結局、死別した夫の弟のヘンリー8世と結婚するのです。
しかしキャサリンは女の子一人しか生むことができませんでした。
男子の世継ぎが欲しかったヘンリー8世は、何としても離婚したいと考えていましたが、カトリック教会では離婚が認められていませんでした。
そこで「どうにかしたい!」と考えたヘンリー8世は、彼女を小さな田舎の城に幽閉し、そこで亡くなるのを待ったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ちなみにキャサリンが生んだ一人娘がのメアリー1世、通称”血まみれメアリー”、”ブラッディ・メアリー”と呼ばれる女王です。
彼女についてもこの後の記事でまとめていきます。
今回のパート1の記事はここまでです。
続くパート2では2番目の妻から最後の6番目の妻まで、一気にまとめていきます。
こちら☜からご覧ください。
コメント
[…] 今回の記事はパート2です。 前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。 […]