2019年7月23日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#315 国立西洋美術館「松方コレクション展」~ゴッホ、モネ、ルノワール…歴史に翻弄された奇跡の名画が大集結!~】の回をまとめました。
今回の記事はパート6になります。
前回のパート5はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《マネとマネ夫人像》ドガ
《マネとマネ夫人像》1868-69年頃
エドガー・ドガ
北九州市立美術館蔵
画面右側が切り取られている?のが気になりますが・・・
この作品を描いたのは、フランス印象派の画家のエドガー・ドガです。
描かれているのはドガと交流のあったエドゥアール・マネと彼の奥さんのシュザンヌです。
たいへんドガらしい、ポーズを取らせず、まるで覗き見ているようなスナップショット感のある作品です。
ドガとマネは同じブルジョワの出身という事もあり、仲が良く、お互いの作品を送り合うほどだったといいます。
なぜ右側が切り取られているのか?
ドガが描いたこの作品をマネに送ったところ、「奥さんの顔が気に食わない!」という理由で、画面右側を切ってしまったのです。
それを知ったドガが「何てことをするんだ!」という事で、作品を取り返してキャンバスを継ぎ足しましたが、そこから描かれる事なくそのままの状態になっているのです。
マネとその妻シュザンヌの関係
山田五郎さん曰く、「マネの最大の謎は奥さんに対する態度が妙」なところだといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
これにはある一つの疑惑があるといいます。
マネの奥さんで、彼より2歳年上であるシュザンヌは、1852年にレオンという名の男の子を生みます。
レオンはシュザンヌの弟として届け出が出されましたが、父親はマネだと言われていました。
そしてマネとシュザンヌ、レオンの3人で暮らしていました。
しかしそのレオンの父親は、マネではなくマネの父親のオーギュストだという説があるのです。
シュザンヌは元々、マネの弟たちの為にマネの父親が連れてきたピアノの先生なのです。
しかし、どうもマネの父親と関係を持っていたのではないか?と言われているのです。
マネは結婚した後に、レオンの本当の父親が自分では無い事を知ったのかもしれません。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
それを知ってからみると、この作品のマネの表情も何か含んでいるように感じます。
マネは非常にお洒落なパリジャンで、スマートな人間関係を築いていましたが、「奥さんが絡むとどこかおこしな所があった」と、山田五郎さんは言います。
ハンセン・コレクション
この作品は元々、デンマーク・コペンハーゲンの実業家のヴィルヘルム・ハンセンが所有していたハンセン・コレクションにあった作品でした。
松方は1932年にそのコレクションから質の高いフランス絵画34点を入手します。
それらの作品は一旦はロダン美術館に保管されましたが、その後日本に輸送されています。
しかし国内の松方コレクション散逸期に、この《マネとマネ夫人像》を含めてその多くが国内外の美術館に売却されました。
《マネとマネ夫人像》は現在、北九州市立美術館に収蔵されています。
第二次世界大戦と松方コレクション
パリで美術品を購入していた松方ですが、第二次世界大戦中も作品はパリのロダン美術館の礼拝堂に置かれたままでした。
なんでとっとと日本に送ってしまわなかったのでしょう?
それには理由があります。
じつは日本政府が美術品などの贅沢品の輸入に対して、厳しい関税(100%!)をかけていたのです。
多額な費用が掛かる事になり、松方は国内にコレクションを、持ってきたくてもできない状態だったのです。
そうしている間に1939年、第二次世界大戦が勃発します。
作品を保管しているロダン美術館にも、ナチス・ドイツが侵攻してしてきます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そんな時に松方コレクションを守った日本人がいました。
それが日置釭三郎(ひおきこうざぶろう)です。
日置さんは松方が社長を務める川崎造船所の航空技師をしていましたが、彼がナチス・ドイツからコレクションを守るために、ロダン美術館に置いてあった作品を疎開させたのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
疎開先はパリ近郊のアボンダンという村でした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
しかしこの疎開が良かったのかどうかは様々な見方があるといいます。
当時の日本はドイツ、そしてイタリアと三国同盟を結んでいました。
つまり、「同盟国である日本人の持ち物だ」と主張した方が、もしかしたら手を出されなかったかもしれないのです。
日置さん自身もそのように言っていたといいます。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
しかし一方でナチス・ドイツはユダヤ人からは略奪同然に美術品を集めていました。
ですので、日本人のコレクションとはいえ、「作品を持っていかれるのでは?」という危機感もあったのです。
ヒトラーやナチス・ドイツの高官は美術品をかなり集めていましたからね…
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
松方は日置さんに対して、「必要であれば、絵を売ってお金を作るようにと」告げます。
そうして日置さんはやむにやまれぬ思いで数十点の作品を売却しました。
今回の記事はここまでです。
続くパート7では、その日置さんがやむなく手放した作品についてまとめていきます。
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