【ぶらぶら美術・博物館】横浜の仏像①【横浜市歴史博物館】

ぶらぶら美術・博物館

2021年3月2日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#371 横浜市歴史博物館「横浜の仏像-しられざるみほとけたち」〜弥生時代の遺跡と仏像で知る、奥深い!ヨコハマの歴史〜】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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イントロダクション「横浜の仏像-しられざるみほとけたち」

今回は横浜市歴史博物館で2021年1月23日から3月21日まで開催の『横浜の仏像-しられざるみほとけたち』についてまとめます。

「横浜の仏像」というのは、あまり聞きなれない感じもしますが…

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今の横浜・栄区周辺はかつては鎌倉の一部でした。
じつは歴史あるお寺や、貴重な仏像が数多く存在します。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今回の展覧会では、初公開の仏像もあり、また飛鳥時代から南北朝時代までの仏像の変化を体系的に見る事ができるようになっています。
飛鳥・平安と都で発展した仏像は、関東地方に伝わると少し変わったお姿になるといいます。

鎌倉時代には運慶快慶が活躍し、リアルで豪快な仏像が作られるようになっていくのも見どころです。

如来坐像(伝阿弥陀如来像) (鶴見区・松陰寺)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらは横浜に伝来する飛鳥時代の仏像で、神奈川県最古の仏像でもあります。
伝来の経緯は不明との事ですが、いずれにしても飛鳥時代の仏像が横浜にあるという、たいへん貴重な仏様になります。

横浜市鶴見区の松陰寺(しょういんじ)に伝わる御像です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

元々はその松陰寺の近くの西寺尾八幡神社に御神体として祀られていました
しかし明治初年に神仏分離令の影響で、現在の松陰寺に移されたのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの御像は銅で鋳造され、その上に金メッキを施して金色にした、金銅仏の様式で作られています。
また肘から手首までが短かったっり、口元の微笑み(アルカイックスマイル)など、飛鳥時代の仏像の特徴が随所に見られる御像です。

菩薩坐像(金沢区・龍華時)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの御像は横浜市金沢区の龍華寺(りゅうげじ)というお寺に伝わる『菩薩坐像』です。
奈良時代・8世紀に造られた御像だと考えられています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

金沢区は八景島のある所で、こちらの龍華寺も港のすぐそばにあります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの仏様は脱活乾漆(だっかつかんしつ)造りと呼ばれる、奈良時代に多く用いられた技法でつくられています。
先ず粘土でお像の形を作り、その後漆を染み込ませた麻布を表面に貼っていきます。
そこにペースト状した漆で細部の形を作っていき、像の形が出来上がると最初の粘土を掻き出し、木枠で内部を補強します。

脱活乾漆造りの仏像は、木彫や金銅仏よりも温かみのある柔らかい表現が特徴だといわれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

脱活乾漆造りの仏像は、都のある西の方での作例が多く、関東地方ではあまり見られません。
そこから推測すると、こちらの『菩薩坐像』は奈良の都で作られて横浜に移された、と考えられます。

薬師如来立像(栄区・證菩提寺)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ここからは平安時代の仏像を見てまいります。
こちらの『薬師如来立像』は平安時代・11世紀の仏像で、栄区・證菩提寺(しょうぼだいじ)に伝わっています。

こちらの御像は寺外初公開の御像で、たいへん貴重です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

かわいらしいお顔で、素朴な味わいのある仏様です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

陸奥(今の東北地方)では都での仏像の作り方や流行が正確に伝わっていませんでした。
平安後期になると、都では美しい仏像が次々に作られますが、横浜や陸奥などの地方では素朴な仏像が作られていきます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの『薬師如来立像』も頭部の螺髪(らほつ)が省略されていたり、全体のシルエットも子どものような立ち姿になっています。
もしかすると正式な仏像の作り方を知らない人が作ったのかもしれません。

横浜は仏像が伝わるのが遅かった?

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

仏像の伝わり方は、先ず京都から始まって、若狭から越後と北陸に伝わっていきます。
そこから南に降り、横浜を含む関東方面へと伝わっていきました。

この流れですと、関東への伝わり方はとても遅く、東北地方よりも遅かったともいえるかもしれません。

菩薩立像(伝千手観世菩薩像) 青葉区・真福寺

仏像の後進地域だった平安時代の横浜では、個性的な仏像が作られていきます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの『菩薩立像(伝千手観世菩薩像)』は横浜市青葉区の真福寺(しんぷくじ)に伝わる御像で、平安時代・12世紀頃につくられました。

(伝千手観世菩薩像)と名付けられていますが、千手観音にしては腕の数が少ないです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

頭上にあるお顔と八本ある腕の中の一番後方の腕は、後から付け足されたものだと考えられています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ですので、現在のお姿は”十一面八臂”ですが、当初は”一面六臂”だったと考えられます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

通常ですと、こういった御姿の仏様の場合、それぞれの腕は肩から出ているのがほとんどです。
しかし、こちらの『菩薩立像』では肘の部分からそれぞれの腕が出ています。

山田五郎さんはこれについて「伝来ミスなのでは?」といいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

非常に不思議な表現で、一面六臂の千手観音は類例がないといいます。
まさに「横浜ならではの仏像」なのです。

今回の記事はここまでになります。
この続きはパート2にて!
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コメント

  1. […] 今回の記事はパート2になります。 前回のパート1はこちら☚からご覧頂けます。 […]

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