2020年5月13日にNHKにて放送された「歴史秘話ヒストリア」の【正倉院宝物 守られた奇跡の輝き】の回をまとめました。
今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《螺鈿紫檀五絃琵琶》
画像出展元:「宮内庁ホームページ」より
こちらは正倉院宝物の中でも最高傑作の呼び声の高い宝物《螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)》です。
全長108センチの大きさで、世界で唯一の五弦の琵琶です。
(琵琶は通常は四弦です)
こちらは日本ではなく、唐で作られました。
画像出展元:「宮内庁ホームページ」より
裏面は表面よりも豪華な仕上がりです。
螺鈿で作られた花が全体を埋め尽くしています。
花の赤い部分は琥珀が使われていますが、さらに赤や黄色の絵具で模様が細かく描かれています。
画像出展元:「宮内庁ホームページ」より
表面にはヤシの木とラクダに乗って琵琶を奏でるペルシャ人らしき人物が螺鈿で表現されています。
(面白い事にこの人物が弾いている琵琶は”四弦”です)
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
よくよく見ると表面のペルシャ人の頭の上付近に、細かな傷があるのが分かります。
これは実際に琵琶を演奏した際に撥(ギターのピックのようなもの)が当たる場所なのです。
つまりこの琵琶は持ち主である聖武天皇によって実際に演奏されたことが分かります。
なんだかこういう跡を見ると、より一層聖武天皇の愛用の品であることがリアルに伝わりますね。
光明皇后の悲しみ
ではどうしてこれら正倉院宝物は大事にされ、今日まで伝えられることになったのでしょう。
そのきっかけは756年に聖武天皇がこの世を去った事です。
夫に先立たれた妻の光明皇后はその死を嘆き悲しみました。
光明皇后は、天皇の愛用の品を目にするたび悲しみ、泣き崩れてしまったといいます。
そこでそれら品を奈良の大仏に捧げたのです。
こうして聖武天皇の遺品は東大寺の倉である正倉院に収められる事となりました。
これが正倉院宝物の始まりです。
宝物の受難
正倉院宝物は1300年の間、決して安泰だったわけではありませんでした。
平安時代末期に起こった源平合戦では、東大寺の大仏殿が全焼しています。
炎は正倉院の目前まで迫りましたが、奇跡的に勢いが衰え難を逃れました。
鎌倉時代の1254年には、雷が正倉院に直撃します。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
今もその焼け跡が正倉院には残っています。
1300年の歴史の中には幾度となく宝物に迫る危険があったのです。
そんな中で一つの宝物が自らを犠牲にする事で、他の宝物を守った例があります。
宝物を守った香木《黄熟香》
画像出展元:「宮内庁ホームページ」より
一見ただの流木のように見えますが、こちらもれっきとした正倉院宝物です。
その名を《黄熟香(おうじゅくこう)》、別名を『蘭奢待(らんじゃたい)』といいます。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
「蘭奢待」のその一文字ずつの中には、「東」「大」「寺」の三文字が隠れているという何とも洒落た別名です。
こちらは香りを楽しむ「香木」です。
産地はベトナムからラオスにかけての山岳部とされており、たいへん貴重な品です。
この宝物が他の宝物を守ったというのはどういうことでしょうか。
じつはその痕跡が宝物自体に残されているのです。
画像出展元:「宮内庁ホームページ」より
こちらの付箋には「足利義政」と「織田信長」の名前があります。
これは時の権力者が宝物の一部を切り取った事を示します。
このような跡は全体でおよそ50箇所もあるといいます。
彼らは権力を手にすると、東大寺に宝物を見せるように迫ったといいます。
これに対し東大寺側はこの『蘭奢待』を持参、一部を切り取り所有する事を許可したのです。
これにより他の宝物に手を出されることを防いだのです。
しかしなぜ彼らは小さな香木の欠片で満足したのでしょう?
香道(こうどう)と呼ばれる天然香木の香りを鑑賞する芸道があります。
かつてこの香道は茶道と同様に、貴族や武士の嗜みとして流行していたのです。
つまり『蘭奢待』のような名高い香木を持つことは、有名な茶器を所有するのと同じくらいの名誉だったのです。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
香道の家元のもとには、明治天皇が切香した「蘭奢待」の一片が残されていました。
代々丁重に扱われ、この家元の家宝として大切にされているといいます。
香りを聞いた人の書きつけによると、「蘭奢待」は五味を兼備しているとか。
普通は二味(甘い辛い・甘い酸っぱい)ぐらしかない所、「蘭奢待」は「甘い 辛い 酸っぱい 苦い 塩っ辛い」の五味を持っているというのです。
今回は一旦ここまでです。
続くパート4では、どのようにして1300年もの間、宝物が輝きを伝えてくる事ができたのか見てまいります。
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