【アートステージ】ベルト・モリゾ【美術番組まとめ】

アート・ステージ

2020年10月10日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【ベルト・モリゾとメアリー・カサット 印象派の二大女性画家】の回をまとめました。

番組内容に沿ってそれでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

今回は印象派の二人の女性画家ベルト・モリゾメアリー・カサットを取り上げます。
先ずはベルト・モリゾの方から見てみましょう。

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画家ベルト・モリゾ

ベルト・モリゾ

「印象派の女性画家」として先ず名前があがるのが、ベルト・モリゾ(Berthe Morisot、1841-1895)です。

裕福な家庭に生まれたモリゾは、姉と共に絵を習い始めます。
ルーヴル美術館に足を運んでは作品を模写して勉強する中で、画家ジャン=バティスト・カミーユ・コローと出会い、彼に師事します。


《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》1872年
エドゥアール・マネ
オルセー美術館蔵

印象派の父と呼ばれるエドゥアール・マネと知り合ったのは26歳の頃。
すぐに親しくなり、モリゾマネの作品のモデルをするようになります。
マネが描いた《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》はよく知られています。

それではモリゾがどのような作品を描いたのか見てみましょう。

《ロリアンの小さな港》モリゾ


《ロリアンの小さな港》1869年
ベルト・モリゾ
ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵

港町でしょうか。船が何隻か停泊しているのが見えます。
画面横には日傘を持った女性の姿が。その姿はどこか物憂げのようにも見えます。

この作品はロリアンというフランス北西部、ブルターニュ地方を舞台にした作品です。
穏やかで繊細な画風で知られるモリゾらしい一枚です。

日傘を差したこの女性のモデルは、モリゾの姉のエドマです。
姉妹は共に画家を目指す、同志のような存在でした。

この作品が描かれた1869年にエドマは結婚します。
彼女は結婚を機に画家の道を諦めて、海運将校だった夫に従い、パリを離れて作品の舞台となったロリアンで暮らすのです。

女性が画家として生きる事

裕福な家庭に生まれたモリゾは17歳の頃から姉と共に絵を習い始めます。
”女性の画家”というのがまだ珍しかった時代、両親の理解もあって彼女は画家を目指すことができました。

しかし姉エドマが画家の夢を諦めてしまったように、当時女性が画家を目指すというのはたいへんな事でした。

この時代の画家のエリートコースの入り口でもある「官立美術学校」。
女性はこの学校に入学することが許されていませんでした。

さらに厄介だったのが”外出”です。
信じ難い事に、当時のブルジョワの女性は一人で自由に外出することが許されておらず、夫など付添人がいなければ外に出られなかったのです。

戸外で自然の光の下で絵を描く
これがモットーだった印象派の画家にとって、この制約は女性画家の作品の幅を狭める事になったのです。

この作品で大半を占めるのは風景で、姉エドマは隅の方に追いやられているようにも見えます。
時代の波に阻まれた画家という夢への思い、さらにはモリゾ自身の虚しさも表現しているかのようです。

ベルト・モリゾの幸運

それではなぜモリゾは画家の夢を諦める事無く、絵を描き続けられたのでしょう?
その一つの理由は、彼女の夫が画家マネの弟のウジェーヌだったことが挙げられます。

ドガ《ウジェーヌ・マネ》

ウジェーヌは兄であるエドゥアール・マネの制作活動を間近で見ていたという事もあり、モリゾが画家を目指す事に理解を示していたのです。

もう一つの理由は、彼女が自身の活躍の場に「印象派展」を選んだことです。
当時「官立美術学校」が女性の入学を許可していなかった点からもわかるように、アカデミックな場では女性の活躍は制限されていました

一方、印象派はまだ新しい組織のため、そのような制約はありませんでした。
彼女は印象派の画家たちとの出会いをきっかけに、印象派グループの中心的存在として活躍する場を確保することができたのです。
実際にモリゾは、全部で8回開催された印象派展に7回参加しています。
(第4回印象派展は娘の出産のため不参加)

《ブージヴァルの庭とウジェーヌ・マネと娘》モリゾ


《ブージヴァルの庭とウジェーヌ・マネと娘》1881年
ベルト・モリゾ
パリ、マルモッタン美術館蔵

ウジェーヌとの間には一人娘のジュリーがいました。
娘が生まれてからは、我が子が成長する姿を数多く描きました。

この作品で描かれている場所はパリ近郊、セーヌ河畔にあるブージヴァルという町です。
一家は1881年から1884年まで、毎年夏をこの地で過ごしました。

父親の膝を借りて、ミニチュア模型で遊ぶ娘。
膝を動かさないようにしながら、優しく見つめるウジェーヌ
家族の穏やかでほほえましい時間が、キャンバスからは伝わってきます。

モリゾの最期

1892年に夫ウジェーヌが亡くなります。
そしてその3年後、1895年にモリゾ54歳の若さでこの世を去るのです。


残された一人娘のジュリーはまだ10代でした。
両親を早々に亡くしたジュリールノワールモネといった、夫妻の友人だった画家たちが面倒をみました。

ジュリーはその後1900年に、画家アンリ・ルアールの息子エルンストと結婚しています。

今回の記事はここまでです。
続くパート2では、今回のもう一人の主役、メアリー・カサットについてまとめていきます。
こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] 今回の記事はパート2で、メアリー・カサットについての記事になります。 前回のパート1(ベルト・モリゾ)についてはこちら☚からご覧いただけます。 […]

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