2020年10月10日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【ベルト・モリゾとメアリー・カサット 印象派の二大女性画家】の回をまとめました。
今回の記事はパート2で、メアリー・カサットについての記事になります。
前回のパート1(ベルト・モリゾ)についてはこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
画家メアリー・カサット
ベルト・モリゾと並び、印象派の二大女性画家と言われるのがメアリー・カサット(Mary Cassatt、1844-1926)です。
家族やその日常を、温かなタッチで描いた作品で人気のある画家です。
彼女は元々アメリカの生まれであり、また印象派展に参加した唯一のアメリカ人画家でした。
アメリカのペンシルヴェニア美術アカデミーで学んだのち、フランスに渡ります。
パリの画塾で学び、サロンにも出品するなど当初はアカデミックな方面で活動していました。
そんな彼女が印象派展に加わるきっかけとなったのが、ドガとの出会いでした。
カサットはドガの弟子となり、印象派展に作品を出品します。
ドガの影響から、彼女の興味は光の表現よりも同時代の人々に向けられ、作品の大半が人物像でした。
《娘に読み聞かせるオーガスタ》1910年
メアリー・カサット
アーティゾン美術館蔵
撮影:masaya(2020年3月)
特に女性たちの日常を描いたものが多く、女性たちのお茶会や母と子の姿、家庭生活が主たる画題でした。
生涯独身で子どももいなかったカサットは、甥っ子や姪っ子を我が子のように可愛がったといいます。
《オペラ座の黒衣の女》カサット
《オペラ座の黒衣の女》1879年頃
メアリー・カサット
ボストン美術館蔵
優しい母と子の姿を描いたカサットですが、もう一つ彼女の作品の特徴があります。
それは同時代に生きる女性の姿を、生き生きとキャンバスに表現したことです。
舞台はパリのオペラ座。
少し身を乗り出し、オペラグラスで熱心にステージを眺める女性の姿が描かれています。
当時の劇場は舞台を見る場所でありながら、重要な社交の場でもありました。
着飾って劇場に行くことやそこでの出会い、語らいなども楽しみの一つだったのです。
師匠のドガをはじめ、多くの印象派の画家が劇場を舞台に作品を描いています。
こちらはルノワールが描いた作品で、第一回印象派展にも出品されたものです。
カサットの作品と同じく、劇場の桟敷席にいる女性の姿を描いています。
ファッショナブルな装いに身を包み、こちらを見つめる女性。
アクセサリーや髪飾りで、華やかさが強調されています。
女性の視線がやや上方に向けられている事から、舞台ではなく客席を見ているようです。
一方、カサットの作品はルノワールのそれとは少々様子が異なります。
まず服装です。黒一色なシックな装いで、特別華やかさを強調してはいません。
またルノワールの作品のように、花やアクセサリーの類も身につけてはいません。
手にしている扇子も多くの場合、女性の華やかさを引き立てるために描かれました。
しかしのこの作品では閉じられています。
ルノワールの作品では、男性がオペラグラスを使って舞台とは違う方向を見ています。
この男性は舞台よりも、客席に自分の知り合いや有名人、あるいは美しい女性がいないか気になっている様子です。
じつはカサットの作品にもそんな男性の姿が描かれています。
画面奥、身を乗り出してこちらを見る男性の姿です。
舞台そっちのけで客席に興味津々の男性と、対照的にステージを熱心に眺める女性。
この作品にはどこか男女の本質をついた、皮肉めいたメッセージが込められているようにも感じられます。
カサットは女性に対する様々な困難に対しても積極的に取り組み、女性参政権運動にも参加しました。
画像出展元:テレビ番組「アートステージ」より
今回取り上げたベルト・モリゾもメアリー・カサットも、家族やそこにある愛情を描いた点では共通していますが、描き方や作風は異なっています。
その違いが、逆にこの二人の画家が並び称される理由なのかもしれません。
画家マリー・ブラックモン
印象派の二大女性女性画家といえば、モリゾとカサットですが、三代女性画家という言われ方をした時にそこに加わるのが、マリー・ブラックモンです。
マリー・ブラックモン(Marie Bracquemond、1840-1916)は、第4回・第5回そして第8回の印象派展に出品しています。
彼女の夫は版画家のフェリックス・ブラックモンです。
彼は『北斎漫画』から着想を得たテーブルウェア発表し、大成功をおさめています。
マリー・ブラックモンはモリゾやカサットのような裕福な家庭の出身ではありませんでしたが、10代から絵を習い始めて、17歳の時にサロンに入選しています。
その実力は新古典主義の巨匠、ドミニク・アングルも認めるほどでした。
《ランプの下で》1877年
マリー・ブラックモン
個人蔵
夫のフェリックス・ブラックモンが印象派の画家たちと交流があった事から、マリーは印象派展に作品を出品するようになります。
しかし夫の成功の影で、マリーの存在は次第に人々の記憶から消えていってしまい、最終的には絵を描く事をやめてしまいました。
そして1916年に75歳でこの世を去ります。
もし彼女が絵を描き続けていたなら、と考えると非常に残念な話ですし、それだけ女性が画家を続けていくのが難しかったいうのが彼女の決断から分かります。
いかがでしたでしょうか。
今回の記事は以上になります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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[…] 今回の記事はここまでです。 続くパート2では、今回のもう一人の主役、メアリー・カサットについてまとめていきます。 こちら☚からご覧いただけます。 […]