2021年2月2日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#368 横浜埠頭で動くガンダム!日本の美術館の底力「トライアローグ展」〜ピカソやシュールはなぜ生まれた?激動の20世紀美術まるわかり!〜】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
イントロダクション:トライアローグ展
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今回は横浜美術館で2021年2月28日まで開催の『トライアローグ展』についてまとめていきます。
2020年から2021年にかけての新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、海外から美術作品を借りる事が非常に難しくなっています。実際に多くの美術館で予定されていた展覧会が中止を余儀なくされてる状況です。
そこで横浜美術館、愛知県美術館、そして富山県美術館の3館合同で、それぞれの収蔵作品を集めた展覧会がこの『トライアローグ展』です。
展覧会名の「トライアローグ」とは、”3人による話し合い”や”鼎談(ていだん)”といった意味になります。
まさにコロナ禍だからこそ生まれた展覧会ですね!
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらの3館は主に20世紀の美術作品を収集している、という共通点があります。
実は国内にも素晴らしい美術作品が揃っており、結果的に20世紀の西洋美術の歴史を網羅できる展覧会になりました。
実際に展覧会の準備をしている時も、美術館同士で競争意識が芽生え、各館が名品を出展、結果的にたいへん充実した展覧会になりました。
70人の作家の合計120作品が展示されています。
美術展も今後こういったものが新スタンダードになるかもしれませんね!
20世紀美術までの流れ
20世紀美術、その流れの始まりは19世紀の終わり、1874年に開催された『第一回印象派展』です。
モネやルノワールといった印象派の画家が活躍します。
そこから印象派の影響を受けた”ポスト印象主義”の画家に繋がります。
ポスト印象主義の時代には、セザンヌやゴーギャン、ゴッホらが活躍しました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
さらに20世紀に入って間もなく、1905年にアンリ・マティスらによるフォーヴィスムが始まります。
さらに1907年にはピカソが《アヴィニョンの娘たち》を発表、キュビスムがスタートします。
このフォーヴィスムとキュビスムから20世紀美術が始まるのです。
写真の登場と絵画
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
14世紀イタリアで始まったルネサンス。
その後500年間、ルネサンス美術は西洋美術の規範とされ、美術史に大きな変化はありませんでした。
しかし先述したように19世紀の終わりごろから印象派、20世紀に入るとフォーヴィスムやキュビスムが出てきます。
なぜそれまで500年間変わらなかったものが、ここに来て大きく変化したのでしょう?
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
その理由は産業革命など様々ですが、最も大きな影響が”写真の登場”でした。
それまでの絵画の役目は陰影法や遠近法を用いて、見たものをそのまま、”リアル”に描く事でした。
しかし、その役目は写真の登場で奪われてしまいます。
「見たものをそのまま描いてもダメだ」と考えた画家たちは、”絵画にしかできない表現”を模索していったのです。
ピカソ×トライアローグ
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
同じ画家の作品でも、3館が所蔵する作品の年代がそれぞれ違うので、見比べる事で画業の変遷が分かるようになっています。
特にピカソは時代によって作風がガラッと変わりますしね!
《青い肩かけの女》ピカソ
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらの作品はピカソのキャリアの中でも「青の時代」と呼ばれる頃の作品です。
描かれた1902年はピカソがパリに出てきて間もない頃、20歳になるかならないかの時です。
「青の時代」には、文字通り”青い色合い”で悲しげな題材の作品が多く展開されました。
そのきっかけはパリへ共に上京してきた友人の画家が拳銃自殺した事でした。
そのショックによりピカソは青い色彩の絵を描くようになったといわれています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
その後1904年頃からフェルナンド・オリヴィエという恋人ができ、そこから「バラ色の時代」と呼ばれる、明るい色調の作品を展開します。
そこから更に「アフリカ彫刻の時代」を経て、「キュビスム作品」の時代に繋がるのです。
《座る女》ピカソ
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらは1960年、ピカソ70代後半の頃の作品です。
20代の後半にキュビスムの実験を展開したピカソは、そこから様々な画風の変遷を経て、最終的にキュビスムに戻っています。
若い時、バルセロナからパリに出てきて間もない頃は中々芽が出ませんでした。
元々写実的に描くことのできる画家でしたが、上手いだけでは評価を得られない時代になっていたのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そんなピカソが影響を受けたものが3つあります。
1つはピカソと40歳近く離れた画家、アンリ・ルソー。
2つめはポスト印象派の画家、ポール・セザンヌ。
そして最後がアフリカから輸入された”アフリカ彫刻”でした。
これらに共通しているものは、山田五郎さんは「わざとやってできない下手さ」だといいます。
写実的に描けるピカソからすると、彼らの芸術は”逆にすごいもの”だったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
特にセザンヌはこちらの作品のように、一つの画面の中に様々な視点から見た対象が描かれていますが、このように現実ではあり得ない画面構成は、キュビスムに大きな影響を与えました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この《座る女》でも、人物の前から見た顔と、横から見た顔が一つの画面に描かれています。
これこそまさに、”写真では表現できない芸術”だったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
一見すると誰を描いたのか分からないこの《座る女》ですが、じつは絵のモデルがいるといいます。
ピカソの2番目の妻のジャヌリーヌです。
ピカソが亡くなった後にジャヌリーヌ自ら「この絵のモデルは自分だ」と公表した事により判明しました。
それまでは誰がモデルか、またモデルがいるかもわかっていませんでした。
とてもモデルがいるような絵に見えないですが…
一説にはピカソは、この絵のように形態を崩した作品ほどモデルを使って描いたと言われています。
山田五郎さんや学芸員の方は、ジャヌリーヌをモデルにした作品と並べて見ると、なんとなくジャヌリーヌ感はあるといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらの《肘かけ椅子で眠る女》という作品も、ピカソを見慣れている人であれば、「モデルがマリー・テレーズだな」と分かる絵だといいます。
特に髪の毛の部分にマリー・テレーズの特徴が良く出ているといいます。
今回の記事はここまでです。
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