2021年2月2日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#368 横浜埠頭で動くガンダム!日本の美術館の底力「トライアローグ展」〜ピカソやシュールはなぜ生まれた?激動の20世紀美術まるわかり!〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧頂けます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
フォーヴィスムとは
キュビスムとフォーヴィスムはそれぞれ”形の革命”と”色彩の革命”と呼ばれています。
《帽子の女》1905年
アンリ・マティス
サンフランシスコ現代美術館
*「トライアローグ展」の出展作品ではありません。
フォーヴィスムといえば!の代表作、アンリ・マティスの《帽子の女》という作品です。
人物の影を緑色に塗るなど、見たままではない自由な色彩で描かれています。
このような表現はそれまでの古典絵画では考えられない、革新的なものだったのです。
《サン=タドレスの浜辺》デュフィ
《サン=タドレスの浜辺》1906年
ラウル・デュフィ
愛知県美術館蔵
そのアンリ・マティスから影響を受けた画家がラウル・デュフィです。
浜辺を描いた作品ですが、赤・黄色・橙・緑など自由な色彩で表現されています。
浜辺にこんな色はありませんよね。
フォーヴィスムはその活動自体はそれほど長くなく、わずか数年で終息してしまいます。
《待つ》マティス
《待つ》1921-22年
アンリ・マティス
愛知県美術館蔵
《帽子の女》からおよそ15年後に描かれた本作品では、フォーヴィスムの要素がなくなっているのが分かります。
この時期の西洋画家の多くは、「古典に立ち戻ろう」という傾向があったといいます。
フォーヴィスムのような色彩の激しさはなく、温和な画面構成になっています。
そんな中でもマティス独特の装飾性がこの作品には見られます。
マティスの作品は”窓”をモチーフにしたものが非常に多いです。
窓を描くと、どうしても縦の線や横の線が入るので画面が堅い印象になってしまいます。
そこで窓の下部にレースのような斜めの模様を入れることで、画面に動きを与えているのです。
また、そのレースの色彩と窓の外の色彩(赤・青・黄・白)を同じ配色にする事で、画面に安定感をもたらしています。
《イプセン「幽霊」からの一場面》ムンク
《イプセン「幽霊」からの一場面》1906年
エドヴァルド・ムンク
愛知県美術館蔵
こちらは《叫び》でお馴染みのエドヴァルド・ムンクの作品です。
ムンクその人はノルウェーの出身ですが、ベルリンで活躍しました。
19世紀から20世紀にかけてのアートの変革はフランスが中心となりましたが、ドイツでも近代美術の運動が盛んでした。
そのドイツの近代美術に影響を与えたのがムンクです。
ムンクは表現主義の画家といわれます。表現主義とは、感情など目に見えない人の内面を表現しようとする考え方です。
ムンクの持っている表現主義の要素が「ドイツ表現主義」の作家たちに受け継がれていったのです。
この作品はノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセン(1828-1906)が書いた『幽霊』という戯曲を公演する際に、その舞台美術の構想画として描かれたものです。
山田五郎さん曰く「イプセンはシェイクスピアの次に世界中で知られる劇作家」とのこと。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この作品は愛知県美術館が所蔵していますが、個人の方からの寄付で購入されたものになります。
その額なんと5億5千万円!!
いやぁすごい方がいらっしゃいますね~
《網の中の赤》カンディンスキー
《網の中の赤》1927年
ヴァシリィ・カンディンスキー
横浜美術館蔵
ドイツ表現主義の運動の中から、この作品のような抽象画の作品が生まれてきます。
描いたのは「抽象画の父」と呼ばれる、ヴァシリィ・カンディンスキーです。
カンディンスキーは1866年、ロシアのモスクワの裕福な家庭に生まれました。
モスクワ大学で法律や政治経済を学んでいましたが、クロード・モネの『積みわら』という作品に感銘を受けて、画家を目指すようになります。
ミュンヘンを舞台に活動を始めたカンディンスキーは、表現主義的な作品を制作していきます。
表現主義は「目に見えないものを視覚化する」事を目的としていました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そこでカンディンスキーは音楽を絵で表現しようと試みます。
そこからだんだんと「具体的なものを描かなくてもいいんじゃないか、逆にものが邪魔しているのではないか」と考えるようになります。
純粋に絵画だけを楽しむために、物を描かないというスタイルになっていくのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ここまで見てきたピカソやマティスにしても、西洋美術史に革命を起こした存在でしたが、”描く対象”はそれまでと変わってはいませんでした。
それに対してカンディンスキーは”描く対象”さえも削ぎ落して、抽象絵画へたどり着くのです。
それ故に「抽象絵画の父」と呼ばれるのです。
横浜美術館の学芸員の方はカンディンスキーの絵画は音楽に例えると分かり易いといいます。
音色と音階、そして音量の3要素で音楽は楽しむことができます。
それを絵画に置き換えるならば、色・形・大きさの組み合わせによって”純粋な美しさ”が表現されるのです。
歌詞は入っていないですよね?
ここでいう音楽の「歌詞」は、絵画でいう「描く対象」になるのです。
音楽も歌詞がある事で、聞いている人はその作品をよく理解する事ができます。
しかしその一方でメロディーそのものに対するイメージはかなり制限されてしまいます。
抽象絵画も同様で、描く対象(人やもの)があれば「あぁ、人を描いているんだな」「ものを描いているんだな」と簡単に分かりますが、それ以外の発想はできません。
抽象絵画は描く対象がない分、見ている人が自由に想像力を働かせて楽しむことができる絵画なのです。
今回の記事はここまでです。
この続きはパート3にて!
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