2021年3月30日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#374 英国が誇る風景画の巨匠「コンスタブル展」〜印象派の先駆け!好敵手・ターナーと共演〜】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
イントロダクション『コンスタブル展』
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今回は三菱一号館美術館で2021年5月30日㈰まで開催の「コンスタブル展」についてまとめていきます。
コンスタブルの大規模展が日本で開催されるのは、実に35年振りになります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
コンスタブルという名前を聞いた事がない方もいるかもしれませんが、じつは美術史上、非常に重要な画家です。
彼はあのイギリス風景画の巨匠ターナーのライバル的存在でした。
ターナーがコンスタブルの絵に触発されて、自分の作品を手直ししたという話や、フランスでコンスタブルの絵が展示された時には、それを見たドラクロワが代表作の《キオス島の虐殺》を手を加えた、というエピソードが残されています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今回の出展作品多くはロンドンのテート美術館からのもので、その数約40点です。
テート美術館は1879年にヘンリー・テート卿のコレクションを基に、ナショナル・ギャラリーの分館として開館しました。
ターナーのコレクションが充実していることでも知られています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
二人が生きた19世紀前半までは、教会に収めるために描かれた「宗教画」や、神話や歴史を題材にとった「歴史画」が一流とされていました。
それらの絵画の後ろに描かれる風景は、あくまで”背景”だったのです。
なので、その”背景”を主役に据えた絵画というのは考えられないことであり、「風景画家は三流だ」とまで言われるほどでした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そのような時代の流れに風穴を開けたのが、ターナーとコンスタブルの両巨匠でした。
山田五郎さんは二人の関係性について次のように述べています。
「ターナーが金なら、コンスタブルは銀。
ターナーが火なら、コンスタブルは水。どちらかといえばコンスタブルは地味」
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
しかしコンスタブルは屋外で絵画制作を始めた先駆的存在でもあります。
その姿勢は、以降の印象派やバルビゾン派に影響を与えました。
肖像画家としてのコンスタブル
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
最初の展示室に入ると、まずコンスタブルの肖像画作品が目に入ります。
あれ?風景画家なんじゃないでしたっけ?
コンスタブルの生きた19世紀前半は、まだ風景画の地位が確立されていませんでした。
そんな中で画家として食べていくためには、需要のある肖像画を描く必要があったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
イギリスでは肖像画は長い伝統があり、ニーズもかなりありました。
肖像画専門の美術館(ナショナル・ポートレート・ギャラリー)もあるほどです。
確実に画家として成功しようと考えた時に、まず手っ取り早いのが、「肖像画を描くこと」でもあったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
生計を立てるために肖像画を描いていったコンスタブルですが、彼の家庭は非常に裕福でした。
父親が地主でありながら、製粉所も所有しており、お金に困ることはまずなかったといいます。
コンスタブルも約7年間、家業を継ぐために勉強をしていました。
そんな事情もあり、コンスタブルは”遅咲き”の画家でした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今でこそターナーと並ぶ存在ですが、それも没後100年の年月かけて評価が高まったからです。
ライバルのターナーと比較された時に、コンスタブルの方が若干分が悪いのは、画家としてのスタートが遅かったのが理由の一つです。
今回の記事はここまでです。
続くパート2では、コンスタブルの初期の風景画作品についてまとめていきます。
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[…] 今回の記事はパート2になります。 前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。 […]