2021年3月30日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#374 英国が誇る風景画の巨匠「コンスタブル展」〜印象派の先駆け!好敵手・ターナーと共演〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《イースト・バーゴルト・ハウス》
《イースト・バーゴルト・ハウス》1809年
ジョン・コンスタブル
テート美術館蔵
コンスタブルの風景画、その初期の作品です。
解説の法政大学教授の荒川氏は「本当に初期の頃の作品で、おっかなびっくり描いている。ちょっと素人っぽい写生のような(作品)」といいます。
画面左に描かれているのが、コンスタブルが生まれた家です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
コンスタブルといえば、”雲の表現”が見事な事で有名ですが、この作品の頃はまだ「なんとなく白く塗っている感じ」があります。
コンスタブルはこの絵に描かれている、イングランド東部、サフォーク州イースト・バーゴルトに⽣まれました。
彼はこの地を非常に気に入っており、生涯に渡って画題に取り上げました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この当時はこの作品のように、自分の家とその周り風景を絵にするのが流行しました。
(《イースト・バーゴルド・ハウス》はコンスタブルが自発的に描いたものですが)
ロンドンで仕事して、地方にお屋敷を持つような富裕層は画家にそういった絵の依頼をしていました。
現代の私たちから見ればそれらは紛れもない”風景画”ですが、当時の人たちにとっては”土地と不動産の肖像画”という側面があったのです。
「ご先祖さまはこんな広大な土地とお屋敷がありましたよ!」と後世の人に伝える役目を果たしていたのです。
このような需要があれば風景画で食べていくこともできそうに思えます。
しかし、コンスタブルは注文を受けて描くのが苦手でした。
ライバルのターナーは「何を描けば売れるか?評価されるか?」を考え、画壇の中で頭角を表していきますが、コンスタブルは売れる事よりも「自分が何を描きたいか」を優先していたのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
「なまじお金があったのもいけないですよね」と山田五郎さんは言います。
ターナーは貧しい階級の出身だったこともあり、売れる事に対して非常に貪欲だったのです。
しかし、コンスタブルの流行にとらわれない、自身の芸術に邁進する姿勢が、後世のバルビゾン派や印象派に影響を与えることになるのです。
自分のやりたい事を突き詰めた結果、コンスタブルはいつの間にか時代を先取りしてしまっていたのです。
《デダムの谷》
《デダムの谷》1805-17年
ジョン・コンスタブル
栃木県立美術館蔵
こちらの《デダムの谷》もコンスタブルの地元の風景を描いた作品です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
画面中央に見えるストゥーア川の流域の景色を、最初に描いた1802年以降、コンスタブルは20年以上に渡って描き続けました。
実際の風景を描いた作品ですが、構図は少しアレンジされており、実景と全く同じというわけではないといいます。
コンスタブルは屋外にキャンバスや絵具、画材一式を持ちだして作品を制作しています。
19世紀初め頃は、彼以外にも屋外で絵を描く画家が現れはじめます。
しかしそのほとんどはスケッチどまりで、完成作をアトリエで仕上げていました。
その点コンスタブルは完成まですべてを屋外で描いたのです。これは非常に挑戦的なことでした。
その何十年か後に、フランスでモネら印象派の画家が戸外で製作を始めていますが、コンスタブルが1800年代初頭の画家である事を考えると、いかに先駆的な事をしていたのかが分かります。
また、印象派の画家は“チューブ入り絵具”が発明された事により、自由に戸外で製作ができるようになったといわれますが、コンスタブルの頃は、豚の膀胱(ぼうこう)に絵具をつめて使っていたといわれています。
戸外での制作は、かなりの手間だったんですね!
コンスタブルは、見えたまま・見たままに描くにはその場で描かないといけない、と考えていたのです。
ほとんど現実の景色を描いているので、今でもコンスタブルが絵にした光景が実際に残っており、それらは”コンスタブル・カントリー”と呼ばれ、観光名所になっています。
もう一つの新しい点
コンスタブルの革新さの一つは「戸外で完成まで仕上げたこと」です。
そしてもう一つが「実景を描いた点」、これも当時としては他に誰もやった事のない事だったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらはコンスタブルも影響を受けたクロード・ロランの作品です。
彼はフランス人でしたが、そのほとんどをローマで過ごしました。
ロランの描く風景は「理想風景画」と呼ばれます。
これは現実にある風景を描いたものではなく、自分の描きたいもの組み合わせたり、また古代の建築物など時代も関係なく、画面を作っていく風景画です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この作品には”ハガルと天使”という旧約聖書のエピソードも盛り込まれています。
じつはこれが”西洋美術の決まり事”で、ただ風景だけでは作品として見なされず、そこにストーリー、物語がないといけなかったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
コンスタブルは画面両脇に木立があるこの構図を、自分の故郷の風景に落とし込んでいるのです。
ロランの絵は古代の理想の風景ですが、コンスタブルはその時の自分が暮らすイギリスを舞台に描き、さらに物語やストーリーを排除し、純粋な風景として作品にしたのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
コンスタブルの作品自体は地味なものが多いですが、西洋美術の歴史で見た時には「誰もやったことのないことやった」、非常に革新的な画家だったのです。
今回の記事はここまでです。
この続きはパート3にて!
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[…] 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。 […]