2021年3月30日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#374 英国が誇る風景画の巨匠「コンスタブル展」〜印象派の先駆け!好敵手・ターナーと共演〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《フラットフォードの製粉所》
《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》1816-17年
ジョン・コンスタブル
テート美術館蔵
この時代、一流の画家としてやっていくためには、ロンドンに居を構えないといけないという事でコンスタブルは40歳にして故郷を離れます。
この作品は故郷サフォーク時代の集大成ともいえる作品です。
こちらの作品も完成までのほとんどの工程を戸外で行われました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
縦・横ともに1メートルを超える大きな作品です。
当時の風景画は基本的にここまで大きく描かれませんでした。
山や川だけでは、大きな画面を作るのは難しいと考えられていたのです。
コンスタブルがここまで大きなサイズで風景画を描いたのは、当時の展覧会の展示方法に理由がありました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらが当時の展覧会の様子です。
壁一面にびっしりと絵画が飾られているのが分かります。
こちらはイギリスの展示室の様子ですが、フランスのサロンも同様だったといいます。
小さいサイズの作品だと、サロンでの展示の際に埋もれてしまうので、存在感を出すために風景画でも大きな画面に描く必要があったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
下から2段目の一番目立つ位置は「オン・ザ・ライン」と呼ばれ、最高の場所とされました。
この場所に飾られる事が非常に大事な事だったのです。
この《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》はただ大きな画面に風景を描いただけでなく、コンスタブルの技量の向上も見られます。
様々な色の緑を使って、木や草を丁寧に描き分けています。
それまでの風景画家は、木肌はなんとなく茶色、葉はなんとなく緑だったのに対して、コンスタブルは一つ一つを丁寧に観察し、違いを出しながら描いています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
雲の表現もたいへん見事です。
水分を多く含み、これからにわか雨が降りそうな雲。その隙間から、陽の光が入り大地を照らしています。
当時はこの作品にみられる、”緑の表現”が新しかったといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
18世紀までは例え緑に見えても、茶色に描くのが良しとされていました。
その方が古めかしく、趣があると考えられていたのです。
それをコンスタブルは見たままの緑で木々を描いていったのです。
彼が生前にそこまで評価されなかった理由の一つは、この”生々しすぎる緑”にあるといいます。
特に芸術先進国のフランスでは、そういった伝統(緑に見えても茶色で描く)を重んじる風潮があり、コンスタブルの絵は、「雑だ。未完成なのでは?」とみられ、評価されなかったのです。
しかし、美術後進国だったイギリスでは、フランスほどルールが決まっておらず、逆にこういった表現がどんどん進んでいく事になるのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
「この作品をフランスに持っていったら話題になるかもしれない」と考えた画商がフランスに持ち込んだところ、ドラクロワやバルビゾン派のコローたちの目に留まり「こんな風に描いてもいいんだ」と、彼らに影響を与えることになったのです。
結果としてターナー以上にコンスタブルがフランスでは特別視されたのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
もう一つ新しかったのが、木々に見られる”白い点々”の表現です。
これもそれまでには考えられない表現でした。
印象派以降であればこういった表現は普通ですが、この頃は理解されず「コンスタブルの雪」といわれていたそうです。
筆触分割のように”離れて見れば自然に見える”のですが、当時はそういった発想はなく、単に「荒っぽい。未完成」と取られてしまったのです。
《ヤーマスの桟橋》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
コンスタブルは40歳の時に、マライアという女性と結婚します。
そしてそれを機にロンドンへ居を移します。
夫妻は7人の子宝にも恵まれました。
《ヤーマスの桟橋》1832年以降
ジョン・コンスタブル
テート美術館蔵
この時期のコンスタブルは、描くのに時間がかかる大作ではなく、比較的小型で且つ売れ筋の絵を描き、生計を立てていきます。
こちらの《ヤーマスの桟橋》は縦32.4センチ、横50.5センチの非常に手ごろなサイズになっています。
だんだんと時代が進むにつれて、絵の中に”難しい物語”や”ややこしい主題”を求めなくなっていくようになります。
そういった作品よりも、この《ヤーマスの桟橋》のような「見ていて楽しい、夏のバカンスの思い出」的な絵が好まれるようになっていきます。
この作品では画面の約3分の2が空を占めています。
雲の表現もかなり完成されたものになっているのが分かります。
雲にどのように太陽の光が当たり、それがどのように雲間から海に降り注ぐのか、それが丁寧に観察され描かれています。
イギリスは一日の中でもどんどん天気が変わっていくといいます。
突然雨が降ったと思えば、すぐに晴れたりする、そういった変化をコンスタブルは印象派よりも約50年早く捉えていたのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
作品からは海辺の湿気感も伝わってくるようです。
あるロイヤル・アカデミーの画家がコンスタブルの絵を見て、「彼の絵を見ていると傘が欲しくなる」と言ったという逸話も残っているほどです。
今回の記事はここまでです。
パート4へと続きます。
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