2021年3月30日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#374 英国が誇る風景画の巨匠「コンスタブル展」〜印象派の先駆け!好敵手・ターナーと共演〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート4になります。
前回のパート3はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《ハムステッド・ヒース、「塩入れ」と呼ばれる家のある風景》
《ハムステッド・ヒース、「塩入れ」と呼ばれる家のある風景》1819-20年頃
ジョン・コンスタブル
テート美術館蔵
「ハムステッド・ヒース」はロンドン中心部から地下鉄でおよそ15分のところにある場所で、都会の喧騒を嫌った人々が、この地に移り住みました。
ロンドンから15分のところとは思えないですね!
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ハムステッド・ヒースの”ヒース”は「荒野」という意味です。
何もない、広大な空き地のような場所でした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
19世紀のロンドンは、”霧の都”と呼ばれるほど大気汚染が深刻化しており、コンスタブルの妻のマライアも体調を崩してしまいます。
妻の療養のために当初は夏の間だけハムステッドへ滞在していましたが、後に一家で移りここで暮らすようになります。
その後1828年にマライアは亡くなってしまいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ハムステッドという場所はロンドンよりも少し高台に位置しており、3階くらいの高さからですとロンドンの街並みも見えたといいます。
《雲の習作》
《雲の習作》1822年
ジョン・コンスタブル
テート美術館蔵
ただ「雲」だけが描かれたこちらの作品。
とても面白い作品ですね!
コンスタブルはハムステッドに移住して以降、高台で見晴らしがよいこの地で、雲のスケッチを繰り返し描きました。その数は2年間で約100枚といわれています。
彼は「空がすべての絵画の基調」になると考えていました。
自然の変化を表すものとして空が重要であり、また感情を映し出すものでもあると考えていました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この時代は気象学が発達していきました。
雲自体は昔から絵に描かれてきましたが、そこに「夏の暑い日にはこういう雲が起こりやすい」などどいった科学的な視点が入るようになってくるのです。
それまでの「古い絵画の伝統」に「科学的な知識」をプラスして自然を眺めるという動きが出てきます。いわば「サイエンスの意識」が芽生えていくのです。
じつはこの作品にはメモが書き留められており、そこには「8月27日」の日付と「南西の風向き」と書かれており、さらに絵の裏には「11時」と「正午」と書かれている事から、この作品が1時間ほどで描かれたことも分かるのです。
観察日記としての側面もあるような作品ですね。
《チェーン桟橋、ブライトン》
《チェーン桟橋、ブライトン》1826-27年
ジョン・コンスタブル
テート美術館蔵
縦127センチ、横幅182.9センチに及ぶ大作で、「コンスタブルの6フィート絵画」と呼ばれる作品です。
展覧会で存在感を出すためには、このくらいの大きさで描く必要があったのです。
しかしライバルのターナーの作品でも、これほどの大きさのものは中々ないといいます。
作品の舞台となっているブライトンは、ロンドンから特急でおよそ1時間ほどのところで、「日本でいう湘南のような場所」と山田五郎さんは言います。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
画面一番左端の建物は「ロイヤル・アルビオン・ホテル」という三ツ星ホテルで、今でもあるホテルです。
しかしコンスタブルの関心は、この真新しいホテルや奥に見える繁華街ではなく、なんの変哲もない浜辺の光景にありました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
波打ち際には、日傘をさした女性や、正装した紳士の姿が見えます。
コンスタブルもこの海辺の観光地を楽しんだのかと思いきや、「ロンドンのピカデリーのようでここは嫌だ!」と手紙に残しています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
じつはコンスタブルという人はあまり性格がよろしくなく、じっさい彼の手紙には他人の悪口ばかりだといいます。
生前評価をされなかったのも、その性格が一因になっていたかもしれません。
しかし妻のマライアの事は非常に大切にしており、ブライトンを訪れたのも彼女の療養のためでした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この時代は「海の水が体に良い」と信じられており、健康目的の海水浴が流行しました。
今でいう温泉のような感覚だったとか。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
画面奥には馬車が並んでいます。
じつはこれはイギリスで流行したもので、この中で女性が水着に着替えました。
しかしここで着替えて海に行くと、水着姿が人目に触れてしまうので、馬車のまま海辺へ向かい、そこから海水浴をしたのです。
気合いを入れた大作を描いたコンスタブルですが、この《チェーン桟橋、ブライトン》には結局買い手がつきませんでした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
とくに雪が降ったような白い点々が物議を醸しました。
「生クリームが散らされたようだ」等々、散々な言われようだったようです。
この時代はまだ伝統的に、絵の表面は滑らかに、筆跡の残らないようにして、初めて”完成作”という意識が強かったのです。
コンスタブルの描き方は、「絵具をなすりつけただけ」とみられ、「未完成だ」「アマチュア画家だ」などの批判が相次ぎました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
コンスタブルが1837年に亡くなった翌年に、作品の売り立てが行われます。
この《チェーン桟橋、ブライトン》に付けられた値はわずか45ポンドでした。
その当時のターナーの作品が1000ポンドだったことを考えると、ターナーの20分の一以下の値だった事になります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
コンスタブルはターナーについて「尊敬はしているけど、僕とは違う人間だ」と語っていたといいます。
今回の記事はここまでです。
次のパート5ではコンスタブルとターナーの直接対決となった作品についてまとめていきます。
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