【日曜美術館】大阪中之島美術館②【美術番組まとめ】

日曜美術館

2022年2月27日にNHKで放送された「日曜美術館」の【大阪中之島美術館〜蒐(しゅう)集もまた創作なり〜】の回をまとめました。

今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧ください。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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実業家 山本發次郎

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

モディリアーニの《髪をほどいた横たわる裸婦》を所有し、美術館設立のきっかけとなった人物が山本發次郎(やまもとはつじろう、1887-1951)です。

大阪の実業家で、20世紀の初めにメリヤス業で才覚を発揮した商人です。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

当時の大阪市の人口は日本一を誇り、「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれていました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

發次郎は繊維の仕入れや販売事業を拡大させるなどして経営の手腕を発揮しました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

發次郎の孫の西園寺幸夫さんは幼少の頃、兵庫県の芦屋市にあった發次郎の邸宅によく訪れていました。
發次郎の印象について西園寺さんは「何事にもこだわりの強い姿が印象的だった」と話します。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

モダンな感覚で、個性を発揮できるようなものを好んだ發次郎

そんな彼が美術品の蒐集を始めたのは40代の頃から。
新築した自宅に飾るためでした。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

發次郎がまず興味を持ったのは「墨跡(ぼくせき)」でした。
墨跡とは、僧侶が書いた文字や絵のことです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

こちらは江戸時代中期に活躍した高僧、白隠(はくいん)が描いた《達磨図(だるまず)》です。
近年、「奇想の画家」としても注目を集める画僧です。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

こちらは七福神の一神、布袋さんを描いた墨跡。
作者は仙厓義梵(せんがいぎぼん、1750-1837)、白隠と同じくお坊さんでありながら絵も描きました。
とてもユーモラスな作風が特徴です。

發次郎は普通の絵画と比べてシンプルな作品だからこそ、作者の個性が現れる墨跡を好んだといいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

發次郎は自分の趣味に合わない絵ならば、例えセザンヌの油絵でも見向きもしなかったといいます。
そんな彼が運命の画作品と出会うのは45歳の時のことでした。

佐伯祐三作品との出会い

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

洋画家・佐伯祐三(さえきゆうぞう、1898-1928)が描いた《煉瓦焼(れんがやき)》です。
佐伯は大正から昭和初期にかけて活躍しましたが、30歳の若さでこの世を去っており、發次郎が作品と出会うのは画家が亡くなった後のことでした。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

これまで發次郎が好んでいた”墨跡”とはうって変わって、大胆な構図と独特な色使いに特徴のある油絵です。

發次郎はこの絵を一目見て、購入を即決したといいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

佐伯の作品と出会った時の衝撃を發次郎は次のように残しています。
胸に動悸打つ異様な感じで長い間我を忘れて眺め入った。美術の鑑賞ということの結局は好悪であって、好悪には理屈はないと私は思います

また發次郎は作品そのものの魅力だけでなく、佐伯の人生そのものにも惹かれたと考えられます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

佐伯の画家人生は短いものでしたが、その間にパリに二度滞在しています。

20代中頃に初めてパリを訪れた際には、フォーヴィスムの画家であるヴラマンクの元へ作品を持参していきますが、「お前の絵はアカデミズムだ」と一蹴されてしまいます。
以降、佐伯の画風には変化が現れるようになり、「何をどう表現するか」を追求するようになっていきます。

パリに2年滞在した後、健康上の理由から日本に一旦帰国するも翌年再びパリに渡り、同地で亡くなります。
佐伯は体を壊してもなお、絵を描き続けたといいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

佐伯は美術館のある大阪の出身で、その独特な画風が知られています。
彼は肉体的にも精神的にも追い込みながら、自分にしか描けない作品を追求したのです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

画家がこの世を去った数年後、發次郎佐伯の絵と出会い、5年足らずの間に約150点を蒐集します。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

しかし發次郎の美術蒐集という行為には厳しい視線が向けられました
当時は日本が戦争に向かう真っ只中という事で、美術品の蒐集は”時節をわきまえない行為”と見られたのです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

これに対して發次郎は、「美術品の蒐集はこの時代では道楽のように見られ、誤解を招く恐れがあるが、美術品の蒐集は”永遠的の文化事業”であると信じている」と語っています。

蒐集もまた創作なり
發次郎は生涯に渡ってこの言葉を大切にしていたといいます。

佐伯祐三《郵便配達夫》

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

佐伯の代表作である《郵便配達夫》は亡くなるその年にパリで描かれた作品です。

この頃の作品について發次郎は「生命を刻み込まんばかりの佐伯の気迫が感じられる」と評しています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

描かれている男性は、たまたま佐伯の元に郵便を届けに来た人だったといいます。
男性を一目見るなり、佐伯は「あなたを描きたい」と直接お願いし、絵のモデルになってもらいました。

佐伯の妻・米子の記録によると、この絵を描いた後、モデルとなった郵便配達夫が佐伯宅に配達に来ることは一度もなかったといいます。

普通、郵便配達というとその地域の担当のような感じで、
それ以降も顔を合わせそうなものですが…

妻米子は、「この絵のために来てくれた人かもしれない」と書き残しています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

それまでは書・墨跡の作品をコレクションしていた發次郎は、どうして佐伯の絵に惹かれたのでしょう?

こちらの《煉瓦焼》で描かれている線の部分をよく見ると、非常にはっきりと力強く描かれているのが分かります。
特に屋根の外側の輪郭線は、それだけで一つの形になっているようです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

この”線の魅力”という部分に、墨跡と佐伯作品の共通点を見出していたのかもしれません。

山本發次郎は書が大好きですから、自分の中では一番、書のコレクションというのが中心なんだというようなことを話しています。そうすると、そういうお互い(墨跡と佐伯作品)その線の持っている力というところに何か反応するところがあったんじゃないかと考えています」(大阪中之島美術館館長・菅谷富夫氏)

今回の記事はここまでになります。
この続き(パート3)はこちら☚からお読みいただけます。

コメント

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