【開運!なんでも鑑定団】小早川清の美人画/焼き物・茶道具【美術情報まとめ】

美術番組

2025年12月23日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【小早川清の美人画/谷文晁の掛軸/その他(焼き物・茶道具)】についてまとめました。

番組内容に沿ってそれでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より

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近代美人画の名手 小早川清

夏の夜、衝立(ついたて)の前でそっと帯を解く日本髪の女性。
気品がありながら、青白い襟足と物憂げな表情は何ともなまめかしい。

一方、こちらは水玉模様のノースリーブを着たショートカットの女性。
真っ赤な口紅を塗り、タバコをくゆらせ、艶っぽい視線をこちらに投げかけている。

この2枚、女性の雰囲気から、画風や色使いまで全く異なるが、一人の日本画家の作である。

小早川清(こばやかわ きよし、1899~1948)。
大正から昭和にかけて、美人画の名手として活躍した。

1899年、福岡県福岡市の生まれ。

19歳で上京すると、美人画の大家・鏑木清方に師事。

同門には伊東深水がおり、共に切磋琢磨しながら、

それぞれ理想とする女性美を追求した。

実は小早川は、幼い頃に患ったポリオの後遺症で右手が使えず、左手で描くことを余儀なくされた

しかし筆致は極めて流麗で、ハンデを微塵も感じさせない。

34歳のとき《旗亭涼宵(きていりょうしょう)》が第14回帝展で特選を受賞。

料亭の一室で佇む女性は戦前の日本で一世を風靡した歌手であり、芸者の市丸(いちまる、1906~1997)である。

小早川は彼女をいたく気に入り、モデルに採用。
同時代を生きる女性を描くきっかけとなった。

手入れの行き届いた庭園を背景に、うちわを手にして涼をとる市丸は、一分の隙もなく、凛とした美しさをたたえている。

黒い絽の着物から透けて見える襦袢(じゅばん)
その繊細な表現は小早川の真骨頂と言えよう。

一方で浮世絵の収集や研究にも熱心で、自ら木版画の製作にも挑戦

1930年から翌年にかけて制作したのが『近代時世粧(きんだいじせいそう)』である。

モデルは昭和初期に西洋文化の影響を受けたモダンガール(いわゆる『モガ』)。

そこには彼女たちの抱える、危うい心模様までも感じさせるリアルさがある。

小早川はこう語っている。

私は今の動いている社会、生きた人間、現前の風俗環境を描きたい
その点では、昔の浮世絵師と同じ態度であります。(中略)
私は現代の風俗を現代人の目で見、筆で描いているつもりであります

小早川は浮世絵師として、

また日本画家としても更なる活躍が期待されたが、

1948年、脳溢血により急逝。
48歳であった。

masaya’s memo

個人的にとても気になったのがこちらの《乱菊》という作品。
ぜひ一度生で見てみたいと思い、所蔵先を調べてみたが、ネット上では全くといっていいほど情報がない。

そこで今回の依頼品が元々収蔵されていた目黒雅叙園について調べると、かつてに目黒雅叙園美術館という美術館があったことが判明(現在は閉鎖)。

「もしかすると、この美術館にあったのでは?」と思い、色々と調べたところ、以下の書籍が見つかりました。

『近代の美人画 目黒雅叙園コレクション』(ISBN:4-7636-0047-8)。
さっそく図書館でこの本を見ると、その中に《乱菊》の情報が載っていました。

No.328 《乱菊》 昭和13(1938)年 273×193 第2回新文展

また《乱菊》の他にも以下の作品がこの画集には載っていました。

  • 旗亭涼宵
  • 時雨

現在の所蔵先については、調べたが不明。
Wikipediaには以下のように書かれていた。

「美術館は2002年(平成14年)に閉鎖されて、多くの作品群は散逸し個々の所在は不明である。」

出展:Wikipedia「目黒雅叙園」より

つまりは、2002年まで《乱菊》は目黒雅叙園美術館が所蔵されていた可能性があるが、それ以降は所蔵が分からない状態(なので番組でも所蔵先の記載がなかった)と考えられる。

目黒雅叙園の壁画だった 小早川清の美人画

改めて依頼品を見てみよう。
小早川清の屏風である。

着物姿の女性たちが興じるのは盤双六。

一人はキセルくゆらせ、

もう一人は片手に駒を持ち、思案顔で盤を見つめている。

香道具などの調度品から、

蒔絵の双六盤に至るまでじつに精緻に描かれており、

上品な面差しはいかにも小早川らしい。

この作品はもともと、雅叙園の百段階段に行く途中の廊下の欄間の上に貼り付けてあった。
それを表具師だった依頼人の父が、屏風に仕立てたものとのこと。

左側の女性の頭の近くに傷が確認できる。
これは雅叙園の従業員が無理に剥がそうとしてしまい、切れてしまったものだとか。

それを依頼人の父が金泥で補修したとのこと。

果たして鑑定やいかに?

名品 150万円!

なんと150万円!

小早川清の真筆に間違いありません」

「江戸初期の遊楽の様子を描いた作品なんですが、この作品の面白さは、そういった江戸初期の風俗図、それをそのまま踏襲するのではなくて、大正から昭和初期にかけての感覚で描いていることです」

「例えば、この2人の女性は正座をしているんですが、江戸時代の女性の座り方としては立て膝。それから胡坐(あぐら)というのが一般的です」

「正座が一般的になるのは明治時代以降です」

「またこの女性の顔。これは江戸時代の顔ではなくて、小早川清が得意にした近代美人画の顔をしています」

「壁から剥がす時に画面をちょっと痛めてしまったというのはかなり惜しいことなんですけども、屏風に直して保管をされてたっていうのは、最善の策だったんじゃないかなと。(この傷がなければ)倍ぐらいの値段になっていた」

伊万里焼の鉢

依頼品は伊万里焼の鉢。
依頼人がご近所さんからタダでもらったものとのこと。

結果は80万円!

「江戸時代、17世紀の伊万里焼です」

「『青磁菊流水紋三足鉢』といわれるもの」

「染め付けの色がちょっとふわっとにじんでね、味わいがありますよね」

「高台の部分、幅広く釉ぐすりが塗っていないところがありますよね。ここに窯道具と呼ばれるものを当てて、ちょっと浮かせて焼きます」

「そして脚の先まで釉ぐすりがかかるんです」

当時の最新の技術を使った高級品。ぜひ大切になさってください」

古九谷様式の角皿

次の依頼品は古九谷様式の角皿。

17世紀の伊万里焼です」

「古九谷様式ですけれども、染め付けの青と赤で地紋を細かく描いている」

「ちょっと全体に淡い感じっていうのが、この時代の特徴」

「これ角皿でろくろでひけないんですよ。板を作って型の上に当てて、切り取ってっていう技術がこの時代にとても伊万里では流行っています」

「裏に面白い模様がついています」

「丁子が大きくバンと描いていある。とても珍しい。大切になさってください」

谷文晁の掛軸

依頼品は谷文晁の掛軸。
依頼人の実家の押し入れの奥から出て来たものとのこと。

谷文晁、ニセモノです。おそらく明治くらいに描かれたと思うんですけれども、かなり文晁風ではある」

「ただ幹、薄墨で二重に描かれているというか。そういう描き方はしない」

「梅にハハチョウ、幸運の鳥ということでおめでたい図柄」

三代 徳田八十吉の壺

依頼品は三代徳田八十吉の壺。
20年ほど前、依頼人が金沢で15万円で購入したとのこと。

三代徳田八十吉の作品です。彩釉という技法でして、もともと真っ白い白磁なんです」

「けれども、そこの上に青とか緑とか黄色っていう、九谷焼の色彩を細く細く重ねていく。それを焼くことで溶けて、まるでガラスのような輝きになっている」

「もっとこう紫が強かったり派手なタイプもあるんですけれども、これはちょっと控えめ」

「小ぶりな器なのでシンプルな色で抑えてるっていうのが、好ましいなというふうに思います」

今回の記事はここまでになります。

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