【京都国立博物館】2017年国宝展③【ぶらぶら美術館】

ぶらぶら美術・博物館

2017年11月17日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館スペシャル」の【#252 秋の京都で国宝ざんまい!~風神雷神図屏風に雪舟…奇跡の「国宝展」と東山の名庭~】の回をまとめました。

今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧ください。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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雪舟の国宝が全て一室に!

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この『国宝展』では、室町時代の画僧・雪舟の国宝指定作品、全6点が一堂に会しました
日本人画家で国宝に指定されている作品数は、雪舟の6件が最多になります。

その全てが見渡せるこちらの展示室は、まさに”奇跡の部屋”といっても過言ではありません。

今回の記事ではその6点の中から、《慧可断臂図》《秋冬山水図》《破墨山水図》の3点についてまとめていきます。

国宝《慧可断臂図》雪舟


国宝《慧可断臂図》室町時代・1496年
雪舟
斉年寺
愛知県・斉年寺蔵

先ずはこちらの作品からです。
タイトルは《慧可断臂図(えかだんぴず)》です。

雪舟77歳の時に描いた作品であることが、横の署名から分かります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

縦の長さは約2メートルもありますので、先ずその大きさ、そして迫力に驚かされます。


画面奥で白い着物を着ている人物が”禅宗の開祖”である達磨(だるま)です。


手前にいるのが後にその達磨の弟子となる慧可(えか)です。


達磨は少林寺で壁に向かって、9年に及ぶ座禅修行を始めます。
そこに慧可がやってきて、「弟子にして欲しい」と願い出ます。

しかし達磨慧可の事を全く相手にしません。
そこで慧可自分の本気を証明するために、自らの左腕を切り落したのです。

いやいや、怖いよ!

達磨慧可の決意を認め、弟子にする事を許したのです。
その後慧可達磨の後を継いで、二代目の禅宗の継承者となるのです。


作品だけ見ると静かな画面のように感じられますが、非常に劇的で激しい場面を描いた作品なのです。


達磨は太い、まるでマジックで描いたような線で表わされています。
そしてその線の外側をよく見ますと、ぼかしのような、オーラのようなものが見えます。


達磨慧可の周りには、重々しい岩壁が描かれています。


それとは対照的に二人の人物には全く動きがなく、それどころか表情がもありません。
慧可はちょっと痛そうにしているようにも見えますが…)

その対比により、画面には独特な緊張感が表現されているのです。


2人の視線も合っていませんが、互いの存在を把握しているような雰囲気が漂います。
達磨の表情は完全に後方の慧可の存在を感じているようです。
それがこの作品の真骨頂とも言えるのです。


ある意味、背景の方が強く、主役があっさりしているとも言えます。
しかし、もしここで主役も強く描いていたならば、画面はごちゃごちゃになっていた事でしょう。

この《慧可断臂図》では、主役の2人をあえて抑えて描く事で、逆にその存在感を主張しているのです。

国宝《秋冬山水図》雪舟

冬景 秋景
国宝《秋冬山水図》室町時代・15世紀
雪舟
東京国立博物館蔵

続いては《秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)》です。
元々は春と夏も含めた四図で一セットだったと考えられてますが、今はこちらの『秋景』と『冬景』だけが残っている状態です。

雪舟が中国に留学して、帰国した後に描かれた作品です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの《秋冬山水図》の『冬景』の方は切手にもなっており、たいへん良く知られた作品になっています。


雪舟の描き方の特徴は、輪郭線がものすごく太くガーーッと勢いで描いている所です。
またモチーフを手前から交互に重ねて描いていく事で、奥行きを表現しています。

解説の山本英男さんは「雪舟は”感性”で描いており、細かい事はあまり気にして描いていない」と言います。
勢いで描いて、もし失敗しても「まぁいいや」くらいな感じで絵を作っているとの事。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

例えば『冬景』の下部、黒い墨がベターと塗られています。
これは影を表していますが、その影を丁寧に描こうなどという気は更々ないのです。

勢いを大事にするタイプの人なのですね!

国宝《破墨山水図》雪舟


《破墨山水図》室町時代・1495年
雪舟
東京国立博物館蔵

読み方は「はぼくさんすいず」です。

画面上段は京都五山僧、中段は雪舟による書、そして下部は雪舟の水墨画が描かれているという、少し変わった作品です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

破墨”とは、まず薄い墨で輪郭を描き、それが乾く前に濃い墨でたたき込み、にじみやぼかしを表現する技法です。
「琳派」でいう所の”たらし込み”の技法と似ています。

薄い墨を濃い墨が破るようなイメージなので、「破墨」と呼ばれました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

雪舟が76歳の時に書いたものだと書かれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この絵は何のために描かれたものかというと、如水宗淵(じょすいそうえん)という鎌倉の円覚寺の画僧が、山口の雪舟の元に修行に訪れ、そこから帰る時にいわば”終了証書”のような形で描かれたものです。

「あなたはよく頑張りました」的な感じですね。

雪舟は、この”終了証書”を宗淵が誰かに見せるだろう、という事を踏まえて書も絵も描いているのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

書の部分には、先ず冒頭「宗淵が山口にやって来て修業を終えました。そこで絵を一つ描いて欲しいと言われたので描きました」と書かれています。

と前提を作った所で、雪舟の自慢話がひたすら書かれているのだそう(笑)
そこを要約すると、「水墨画の本場、中国・明で学んだんだ!」そして「自分の正当な師は如拙(じょせつ)周文(しゅうぶん)である」という事が書かれており、それがアピールしたい事だったのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そして、そのPR文を読んだ京都五山僧6人の書が画面上部に書かれています。
宗淵は京都にこちらを持っていき、色んな人に賛を書いてもらったのです。

つまり雪舟としては、「宗淵が京都に行き、自分の存在をアピールしてくれるだろう」という前提があり、こちらの作品を描いたのです。

また宗淵としても、「私はあの雪舟の弟子なんですよ!」という事を京都五山の重鎮に認めてもらうという狙いもあったのです。


雪舟の作品としては、比較的サラサラっと描かれた絵なのですが、そこに文章が入っているという事で非常に価値があり、国宝に指定されているのです。

今回の記事はここまでになります。
続くパート4では雪舟の残りの国宝作品3点についてまとめてまいります。
*現在記事作成中です。

コメント

  1. […] 今回の記事はここまでです。 続くパート3では、雪舟の国宝作品についてまとめていきます。 こちら☚からご覧頂けます。 […]

  2. […] 2017年に京都国立博物館で開催された『開館120周年記念 特別展覧会 国宝』では、雪舟の国宝作品6件が一堂に会しました。 そちらの記事もまとめておりますので、是非ご覧ください! 【京都国立博物館】2017年国宝展③【ぶらぶら美術館】 […]

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