【京都国立博物館】2017年国宝展②【ぶらぶら美術館】

ぶらぶら美術・博物館

2017年11月17日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館スペシャル」の【#252 秋の京都で国宝ざんまい!~風神雷神図屏風に雪舟…奇跡の「国宝展」と東山の名庭~】の回をまとめました。

今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧ください。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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国宝《普賢菩薩像》


国宝《普賢菩薩像》
平安時代、12世紀
東京国立博物館蔵

こちらの国宝普賢菩薩像》は絵画で一番初めに国宝指定された作品です。

戦後の1950(昭和20)年に文化財保護法が制定されます。
この法律では、それまでの戦前に国宝に指定されていた作品(旧国宝)を全て一旦重要文化財にして、そこから新たに国宝(新国宝)を選び直しました。

そこで一番最初に選ばれたのが、こちらの《普賢菩薩像》というわけですね!

日本の仏画の美の極地」として高く評価されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

衣の部分には截金(きりかね)と呼ばれる、金箔を細く切って貼り付ける技法が使われています。


全体の色彩は、中国・宋時代の仏画の影響が見られ、緑・青といった寒色系で、更にそれを日本向けに柔らかくした色調で表現されています。
中国の文化をよく取り入れ、日本向けにアレンジしようという意識が見られる作品です。

海外流出の危機

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

国宝第一号にも指定された《普賢菩薩像》ですが、明治時代に海外へ流出してしまう危機があったといいます。
元々は、近畿地方のお寺あるいは神社にあったと言われていますが、廃仏毀釈の影響で売りに出されそうになっていたのです。

そこで当時の帝室博物館(現在の東京国立博物館)の山辺某(やまべ なにがし)が購入しました。
(*山辺某の某(なにがし)はもちろん本名ではなく、フルネームが分かっていないので、便宜上”某(なにがし)”と表記されています)

当時その山辺某は、十何円でこの作品を購入しています。
今の金額でいう所の150万円くらいだそう。

国宝第一号の作品にしては安すぎるくらいですね!!

しかしこれだけ貴重な作品がそのような値段で売りに出される事はおろか、市場に出回ることも二度とない事だといいます。
逆に言えば、それくらい安い金額でも売りに出したいほど廃仏毀釈の影響が大変だったこともここから分かるのです。

国宝《聾瞽指帰》空海筆

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

続いての国宝作品は《聾瞽指帰(ろうこしいき)》と呼ばれる書で、あの弘法大師、空海の直筆のものです。

「弘法も筆の誤り」でお馴染みのあの空海ですね!

空海は平安時代の字の上手い三人、「三筆」に数えられる一人です。
(ちなみにあとの2人は嵯峨天皇橘逸勢(たちばな の はやなり)です)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらは空海のいわば「出家宣言」のようなものだと言います。

空海は今の香川県に生まれ、15歳の時に京都に上り、18歳で官僚を目指して大学に入ります。
しかし「仏教の道を極めたい」という思いから、中国に行く事を決意します。

この《聾瞽指帰》ではいかに自分が仏教を篤く信仰しているかを、書にしたためたのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

三筆」に数えられるだけあって、非常に上手い字ですが、学芸員の方によると「ちょっと力がまだ入っており、字が全体的に右肩上がりになっている」と言います。
中国から帰国した後の空海の字はもう少し、柔らかい字をしているといいます。

この《聾瞽指帰》からは空海の「中国に行きたい!仏教を学びたい!」という意気込みが感じられるのです。
ちなみにこちた書は空海中国に行く前に書かれた唯一現存する直筆の書だといいます。

国宝《尺牘(久隔帖)》最澄筆

学生の頃、空海とセットで暗記させられたのが最澄です。

高野山の空海、比叡山の最澄で習いましたね!

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この『国宝展』では最澄の書も展示されていました。

尺牘(せきとく)”というのは、漢文で書かれた手紙の事をいいます。
()で書かれた”久隔帖(きゅうかくじょう)”というのは、この手紙の冒頭に「久隔清音(きゅうかくせいおん)」と書かれており、尺牘の呼び名はたいてい最初の何文字かを取って付けられることから”久隔帖”と名付けられています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この手紙は最澄が愛弟子の泰範(たいはん)に宛てた手紙です。
この時泰範空海の下で修業していました

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

最澄空海親しい間柄にありました。
しかし最澄の方がエリート色が強いと言います。

最澄は正規の遣唐使として唐へ渡りますが、空海は勝手に唐へ行ったのです。

この手紙の内容は、最澄が空海から漢詩を受け取りましたが、その意味が一部分からなかったので、その内容を空海に聞いて欲しい、と弟子にお願いしている内容になっています。

最澄の方が7歳年上ではありますが、空海に対する尊敬の念が込められています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

特にそれが表れているのが、この書の2行目から3行目にかけての所です。

2行目の下の部分にスペースがあるのが分かるかと思います。
その次の3行目、冒頭は「大阿闍梨」と書かれており、これは空海の事を指します。

そこで最澄「大阿闍梨」を二行目の途中ではなく、三行目の頭に持ってくることで空海に対する尊敬を表したのです。

書の楽しみ方は、このように書き方などから人となりや性格が分かるというのも一つなのです。

今回の記事はここまでです。
続くパート3では、雪舟の国宝作品についてまとめていきます。
こちら☚からご覧頂けます。

コメント

  1. […] 今回の記事は以上になります。 続くパート2では、国宝第一号に指定された《普賢菩薩像》についてまとめていきます。 こちら☚からご覧頂けます。 […]

  2. […] 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☚からご覧ください。 […]

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