【美術番組まとめ】ゴッホ展②――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

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2021年9月25日にTBSテレビで放送された「ゴッホ展開催記念SP ~浜辺美波と辿る天才画家の軌跡~」をまとめました。

今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿ってそれでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

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理想を追求し続けた貪欲な芸術家

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
*「ゴッホ展」の出展作品ではありません

37歳の若さでこの世を去ったゴッホ
10年という短い画業の中で、約2000点の作品を描いたといわれています。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

まるで閃光のように駆け抜けた短い生涯の中で、彼の絵のスタイルは目まぐるしく変わっていきました

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

ゴッホは1886年、32歳のときに弟のテオを頼ってパリに向かいます。
そこで当時パリで新たに誕生していた”印象派””新印象派”の絵画に触れます。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

印象派の画家たちは「筆触分割」と呼ばれる、絵の具を混ぜずに細かなタッチでキャンバスを埋める技法で、明るい画面を目指しました。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

さらにその印象派の技法を発展させたのが、”新印象派”の画家たちでした。

新印象派の画家は、印象派の画家よりもさらに小さな点で画面を構成しました(点描技法)。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

様々な色の無数の点で画面をつくることで、離れて見た時に人の目の網膜上で色が混ざり合いより鮮やかな絵になると考えたのです。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

ゴッホは積極的に他の画家との交流を持ち、新しい表現技法を研究。自分の中に取り入れていきました。

パリにやって来たゴッホの作品は、それまでとは違う色鮮やかな画面の作品になっていくのです。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
*「ゴッホ展」の出展作品ではありません

ゴッホに影響を与えたのは、印象派・新印象派だけではありませんでした。
日本の浮世絵も大きな影響を与えていたのです

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

当時のパリでは、万国博覧会で日本美術が取り上げられたのを機に「ジャポニスム」と呼ばれる日本文化が大流行していました

なかでも浮世絵はその鮮やかな色彩、陰影を無視した色使いがヨーロッパの人には斬新で魅力的に映り、多くの芸術家がその虜になっていたのです。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
*「ゴッホ展」の出展作品ではありません

ゴッホもまた浮世絵を愛し、その数500点以上をコレクションしていたといわれています。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

また浮世絵の収集のみならず、自ら油絵で模写をして、色遣いや構図をそのまま再現しています。

ゴッホはジャポニスムを通じて、私たちの住むここ日本を”理想の場所”だと考え、憧れを抱くようになります。
そしてその思いから、活動の拠点を移す事になるのです。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

パリを後にしたゴッホが向かったのは、南フランスのプロヴァンス地方、ローヌ川が流れる美しい街アルルでした。

賑やかな中心地から一歩外れた、美しい原風景が広がる場所でゴッホは暮らし始めます。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
*「ゴッホ展」の出展作品ではありません

この地を日本に見立てたゴッホは、数々の傑作を描いていきます。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

ゴッホが当時使っていた家の写真が残っています。
2階が生活空間で、1階がアトリエでした。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

その家を描いた傑作が《黄色い家(通り)》です。
ゴッホはここにある有名画家を招きました。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
*「ゴッホ展」の出展作品ではありません

それがポール・ゴーギャンでした。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

二人はこの家で共に生活し、互いに刺激をし合いながら創作活動を行いました。

しかし個性の強い2人はすぐに衝突してしまい、共同生活はわずか2カ月で破綻してしまいます。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
*「ゴッホ展」の出展作品ではありません

それ以降、精神の不安定な日々が続いたゴッホ
しかし絵筆を置く事はしませんでした。

療養のためにアルルからサン=レミ、そしてオーヴェル=シュル=オワーズと拠点を変えながらも理想の絵を描き続けたのです。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

ゴッホがサン=レミで描いた《夜のプロヴァンスの田舎道》。
晩年の「糸杉」シリーズの中でも最高傑作の呼び声が高い一枚です。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

渦を巻いたような筆遣いは、ゴッホの内から発せられる強い叫びを表しているかのようです。

個人収集家ヘレーネ・クレラー=ミュラー

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

ヘレーネ・クレラー=ミュラー(1869-1939)はゴッホ作品の魅力に一早く気が付き、個人としては最大の収集家となり、のちの評価に大きな影響を与えた人物です。

今回、東京都美術館で開催される『ゴッホ展――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』では、彼女が初代館長を務めたクレラー=ミュラー美術館所蔵ゴッホ作品が展示のメインとなっています。

ここからはヘレーネ・クレラー=ミュラーの人生とゴッホとの関わりをまとめていきます。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

ヘレーネは1869年にドイツで生まれます。
1888年、結婚を機にオランダへ移住します(ゴッホはこの頃はアルルに住んでいました)。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

ゴッホより16歳年下で、同じ時代・同じオランダで生きたヘレーネですが、二人には面識がなくゴッホの作品を集め始めたのも、彼の死から18年後のことでした。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

まだゴッホの評価が確立していないこの時代に、なぜヘレーネは彼の魅力に気が付く事ができたのでしょう。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

東京都美術館学芸員の大橋菜都子氏はその理由を次のように話しています。

ヘレーネゴッホの作品に、”描かれたもの”だけではなくて、そこにゴッホの感情であるとか魂であるとか、そういったものが込められていると感じていて強く魅了されていました

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

ゴッホの魅力をできるだけたくさんの人に届けたい
そんな思いからヘレーネは自らクレラー=ミュラー美術館を設立します。

画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より

収集したゴッホのコレクションは260点以上に上ります。

ヘレーネゴッホに対する深い思いのおかげで、多くの作品が後世へと伝えられ、今の私たちが見る事ができているのです。

今回の記事はここまでになります

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コメント

  1. […] 今回の記事は一旦ここまでになります。 パート2へと続きます。 【美術番組まとめ】ゴッホ展②――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント […]

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