2019年8月31日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【岸田劉生 近代日本美術史に輝く孤高の画家】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。
イントロダクション
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岸田劉生(1891~1929)
岸田劉生は大正から昭和初期にかけて活躍した洋画家です。
2019年は彼の没後90年の年でした。
彼は38歳という若さで亡くなりますが、絶えず新たな表現を模索し続けた画家でした。
そして描くジャンルも、風景画から人物画、静物画と様々な対象を描きました。
代表作《麗子微笑》
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《麗子微笑》1921年
岸田劉生
重要文化財
東京国立博物館蔵
描かれているのは8歳の麗子の姿です。
読み方は「れいこびしょう」。
岸田は娘の肖像を5歳から16歳まで描き、油彩・水彩・水墨と様々な技法で描きました。
《麗子像》の総作品数は100を超えます。
暗い背景に浮かぶ童女、薄く開かれた切れ長の目。
この不思議な微笑はあの《モナ・リザ》から着想を得たといわれています。
そして横に引き延ばしたような顔の描き方は、中国の古い絵画の影響です。
岸田は東洋と西洋の絵画の技法を融合させ、一度見たら忘れられない印象をこの作品に与えました。
また顔の表情のみならず毛糸で編まれた肩掛けも大変リアルな存在感で描かれています。
《麗子肖像(麗子五歳之像)》
《麗子肖像(麗子五歳之像)》1918年
岸田劉生
東京国立博物館蔵
こちらは5歳の時の麗子を描いた作品です。
ふっくらとした頬、健康そうな肌のつやがよく表されています。
写実的に描かれた子どもらしい麗子は、3年後に描かれた《麗子微笑》とは全く印象が異なります。
それではなぜ、岸田は愛娘を《麗子微笑》で、一見不気味ともいえる画風で描いたのでしょうか?
そこには彼独自の美学が反映されています。
「デロリとした美」とは?
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《湯女図》江戸時代、17世紀
重要文化財
この作品の読み方は「ゆなず」と読みます。
文筆も得意とした岸田は、作品のみならず芸術論も数多く残しました。
その芸術論の中で、浮世絵や歌舞伎などに見られる日本独自の美意識を「デロリとした美」と名付けました。
いったい、「デロリとした美」とは何なのでしょう?
岸田によると、それは肉筆浮世絵にみられる「洗練されていない濃厚な味わい」の事だそうです。
且つグロテスクやユーモアも重要な要素だと言っています。
じっとりとした湿り気のある日本独自の美学として提唱した「デロリ」。
この感覚を絵画で体現したのが、最初に紹介した《麗子微笑》なのです。
B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)
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《B. L.の肖像(バーナード・リーチ像)》1913年
岸田劉生
東京国立近代美術館蔵
これまでの《麗子像》の印象とはガラッと変わりますが、こちらも岸田劉生の作品です。
イギリス人芸術家で、岸田にとって西洋美術のナビゲーター的存在だったバーナード・リーチをモデルに描いた作品です。
短いタッチを重ねるような描き方によって対象を浮かび上がらせる手法は、セザンヌを彷彿とさせます。
岸田は友人や知人を次から次にモデルにして、立て続けに肖像画を描いていきました。
岸田劉生の生涯
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《自画像》1921年
岸田劉生
岸田劉生は1891年に東京の銀座に生まれました。
17歳の時に日本洋画界の重鎮・黒田清輝の元に弟子入りをします。
黒田の元で絵の研鑽を積みながら、白樺派と呼ばれる文学者のグループとも交流をしていきます。
白樺派は『白樺』という美術雑誌の出版をしていました。
『白樺』はゴッホやゴーギャン、ロダンといった当時の新しい西洋美術の流れを紹介していました。
岸田は当時の最新の西洋美術の影響を受ける一方で、西洋の古典美術にも目を向けていました。
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アルブレヒト・デューラー
特にドイツルネサンスの巨匠、アルブレヒト・デューラーには強い影響を受けました。
デューラーの持ち味は、徹底した自然観察とその描写力でした。
そのデューラーから学んだ岸田は一枚の傑作を生みだします。
重要文化財《道路と土手と堀(切通之写生》
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《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年
岸田劉生
重要文化財
東京国立近代美術館蔵
岸田20代半ばの作品《道路と土手と塀》。
《麗子像》に並ぶ彼の代表作です。
描かれているのは、タイトルの通りありふれた風景でおよそ絵になるモチーフとは考えられません。
しかし目を凝らしてよく見てみると、並々ならぬ迫力で迫ってくるのが分かります。
それを可能にしたのは岸田の徹底した細密描写です。
盛り上がる土、小石や雑草、そして坂の上に広がる澄み渡った青空。
その清々しさには自然にまっすぐ向き合った岸田の純な思いが反映されているようです。
岸田は38歳で病に倒れるまで、ひたすら学び続け次々と新しい表現を切り開いていきました。
彼はこのような言葉を残しています。
「目的は写実以上の所にある。云うまでもなく、深き美である」
没後90年記念 岸田劉生展
2019年10月20日まで東京ステーションギャラリーでは、
「没後90年記念 岸田劉生展」が開催されていました。
この展覧会ではほぼ制作年代順に作品が展示されており、岸田劉生の画業の変遷を辿ることができるできました。
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今回は以上になります。最後までご覧頂きありがとうございました(^^♪