【国宝《曜変天目》】三菱の至宝展②【ぶらぶら美術・博物館】

ぶらぶら美術・博物館

2021年8月10日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#382 まるで国宝展?! 三菱一号館美術館「三菱の至宝展」~奇跡の茶碗、国宝「曜変天目」が登場!刀剣に俵屋宗達、東方見聞録も~】の回をまとめました。

今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

この記事では三菱商会第四代社長の岩崎小彌太と、国宝《曜変天目》についてまとめいていきます。

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第四代社長 岩崎小彌太

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

岩崎小彌太(いわさき こやた)第二代社長・彌之助の息子にあたる人物で、父親が設立した静嘉堂を引き継いで拡充、さらに財団法人として公開しました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらは小彌太が収集した茶道具です。

小彌太は1923年の関東大震災の後に京都に移り、その間に表千家の先生についてお茶を習っていました。
それにまつわるものとして、今回の展覧会ではこちらの茶道具が展示されています。

小彌太は特に焼き物を収集していました。
曜変天目》も小彌太の代で岩崎家の所有となるのです。

国宝《曜変天目(稲葉天目)》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらが今回の三菱の至宝展」の目玉ともいえる作品、国宝《曜変天目》(通称:稲葉天目)です。

作られたのは中国は宋の時代(日本の鎌倉時代の頃)で、今の福建省の建窯という窯で焼かれたものと考えられています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

非常に美しい名品で、見る角度によってその輝きが変わります。

”曜変天目”と呼ばれる茶碗で完全な形を留めたものは世界に3点しかなく、その全てが日本にあります
ちなみに残りの2点は、大阪の藤田美術館と京都の大徳寺龍光院(りょうこういん)にあります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

なぜこのような模様ができるのか、その詳しい理由は分かっていません。

こちらは構造色(こうぞうしょく)と呼ばれるもので、釉薬の表面に薄い膜が形成され、そこに光が干渉し、ヒトの目に青色や虹色に見えるといいます。
これはシャボン玉やCDの表面と同じものなのだそう。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

最初は恐らく偶然できたもの。
それを技術的に『だいたい曜変(天目)ができるだろう』というところまで高めて、曜変ができるのを期待したんじゃないかと思います
(静嘉堂文庫美術館学芸員・山田正樹氏)

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

曜変天目》の名が最初に資料に登場するのは室町時代です。
日本に伝わったのもその頃だと考えられます。

その後の所有者の変遷は不明ですが、江戸時代初期には徳川将軍家に伝わっており、3代将軍の家光が乳母である春日局(かすがのつぼね)にこの《曜変天目》を贈りました。

春日局

その春日局の嫁いだ家が淀藩主の稲葉家であり、そこから代々稲葉家に伝わりました。
通称である『稲葉天目』はここから来ているのです。

しかし大正7年、稲葉家が経済的に苦しくなり、この《曜変天目》は売り立て(今でいうオークション)に出され、横浜の実業家である小野光景(おの みつかげ)の手に渡ります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ちなみにこの時の小野光景の購入金額は、当時の金額で16万7000円だったといいます。
これは現在の貨幣価値に換算すると、数億円から数十億円にのぼるといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その後、1934(昭和9)年に小彌太の所有となります。

小彌太は「名器を私に用うべからず」と言い、実際に使用することは一度も無かったといいます。

なぜ中国に曜変天目が残っていないのか?

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

中国では完全な形を留めた《曜変天目》は残っていません。
それには様々な説が唱えられました。

中でも有力視されていたのが、「窯の中で人の手を介さず変化するものを不吉な物とした」という説でした。
実際に過去の文献にもそのような記述が残っており、(ただしこの記述の指すものは曜変天目ではない)、それを論拠として、窯から出された時点で破棄されていたと考えられていました。

その中でも運よく壊されず残った曜変天目が日本に輸出されたと考えられていました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ところが中国で近年、曜変天目の破片がかなり残った状態で発見されました。

曜変天目の部分的な破片はそれより前にも見つかったいましたが、この2009年に見つかったものは、発掘された場所がそれまでの定説を覆す場所でした。

宮廷近くの迎賓館のような場所で見つかったのです。
そしてここは曜変天目の産地から離れた場所だったのです。

これにより、「わざわざ宮廷、あるいはその近くまで運ばれた」=「中国でも大事なもの」とされていたのではないかと考えられるようになり、それまでの定説が揺らぐ事となったのです。

もしかすると、今後発掘調査が進めば中国からも完璧な形の曜変天目が見つかるかもしれません。

今回の記事はここまでになります
続くパート3では、小彌太の父である第二代社長・彌之助の収集した美術品について見ていきます。
【岩崎彌之助の至宝】三菱の至宝展③【ぶらぶら美術・博物館】

コメント

  1. […] 今回の記事は一旦ここまでになります。 続くパート2では第4代社長の岩崎小彌太と、彼が収集した国宝《曜変天目》についてまとめていきます。 ⇒【国宝《曜変天目》】三菱の至宝展②【ぶらぶら美術・博物館】 […]

  2. […] 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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