2021年4月20日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#376 府中市美術館「与謝蕪村展“ぎこちない”を芸術にした画家」~江戸三大俳人・蕪村の趣ある絵画 ヘタウマの元祖、ここにあり!?~】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
学芸員/金子信久氏
イントロダクション
今回は東京・府中市の府中市美術館で2021年3月13日㈯から5月9日㈰まで開催の展覧会『春の江戸絵画まつり 与謝蕪村 「ぎこちない」を芸術にした画家』についてまとめていきます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
与謝蕪村(1716~1784)は江戸時代の俳人で、また画家としても人気がありました。
展覧会のサブタイトルに『「ぎこちない」を芸術にした画家』と入っているように、蕪村の作品は一見すると、少々ヘタな感じだったり、動物を描けばアンバランスだったり、とあれれ?な印象があります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
「蕪村が下手だといっているわけではなく、”ぎこちなない”という普通には褒められないものを使って、見事な芸術を作り上げた。『蕪村はすごい!』という意味なのです」と学芸員の金子信久氏は言います。
蕪村の作品は「味」がありますが、その一言で片づけるのではなく、「味の中には何が含まれているのか?」を紐解いていく展覧会となっています。
《方士求不死薬図屛風》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
展覧会の第1章は『「ぎこちない」からのスタート』と題されています。
蕪村の初期の作品は、かねてより非常に低い評価を下されていました。
その理由は「単に下手だから」と長らく言われてきましたが、作品をよく見ると、ただ下手なだけではなく、何かやりたい事や”普通じゃないもの”へのこだわりがあるといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
蕪村は大阪で生まれ、20歳の頃に江戸へ出て、俳諧の道に進みます。
それと同時に絵も描くようになります。
その後36歳で江戸から京都へ。京都で3年ほど過ごしたのちに、天橋立のある丹後地方へ赴きます。
同地で3年ほど過ごし、再び京都へ戻るのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この作品は丹後地方にいる頃に描かれた作品で、現在は京都府・与謝野町の施薬寺というお寺が所蔵、京都府指定文化財に指定されています。
京都で本格的に絵描きとして活躍する以前の作品です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
描かれているのは、秦の始皇帝が不死の薬を求めて、日本に派遣した使者の徐福(じょふく)が来日した場面です。
徐福が来日した伝説は日本全国に残されており、蕪村のいた丹後地方にもその言い伝えが残されていました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
左隻に描かれているのがその徐福で、後ろの二人は徐福のお付きの人です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
右隻に描かれれているのが、日本の仙人。
この仙人が不死薬を持っているのです。
不死薬は壺に入れられ、その上にはなにか網のようなものがかけられているようです。
しかし学芸員の方によると、これは網ではなく、絵を見る人に「ここに壺がありますよ」というのが伝わるように、スケスケのイメージで描かれたものではないか、と言います。
さっそく、ぎこちない感が伝わってくる作品です。
仙人が腰かける台座も線や輪郭がたどたどしく、服の線もなんだかぎこちないです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
お付きの人の顔も、なんともいえない表情をしています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
また背景も非常に殺風景です。
もし狩野派の画家がこのような作品を描いたならば、人物はもっと大きく、余白を綺麗にみせるなど工夫をしたでしょう。
「蕪村は、作品を上手にかっこつけて描こうという意識がなかったのでは?」と金子信久氏は言います。
「言い方悪いですけど、よくこのレベル(画力)で堂々とこの画面を描くっていう、(蕪村は)肝の座った、大きな人だったんですね」(山田五郎氏)
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
蕪村は絵を独学で習得したと考えられています。
しかしそれ故に様々なもの吸収する事ができ、一つの画風に縛られず、自由な絵を描けました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
衣服の線のよれよれ具合も、もしかすると”あえての表現”かもしれないといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
古い狩野派の描き方に、急波点(きゅうはてん)という独自の画法がありました。
蕪村はその画法を意識して描いている可能性があるのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
木の描き方もどこか狩野派のような印象を感じられます。
蕪村は決して画力が追い付かずにこのような作品になったのではなく、様々なものを吸収した結果、一つの表現としてこのような作風になったのかもしれません。
《採薬図》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
これもなかなか味のある作品ですね~
タイトルの通り、仙人が薬(薬草)を採っている場面を描いたこちらの作品。
見ればみるほど、”ぎこちない感”に目がいきます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
仙人の顔はユーモラスで、すごく良い顔をしています。
けれども、ひげの描き方はどこか非常に頼りないです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
足の部分もなんだかごちゃごちゃとなっています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
お付きの人の顔もなかなか、ぎこちないです。
この作品は京都に戻ってすぐの頃に描かれました。
普通このような仙人の姿を描く時、例えば狩野派の絵師であれば、シャキッとした姿で描くでしょう。
しかし、蕪村はそのようには描かず、ある意味”仙人をリアルに”描いているのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
18世紀の京都では、このような蕪村の画風は受け入れられ、人気画家になる事ができました。
蕪村は生涯に渡って、”ちょっと変な人物像”作品を描いていきます。
禅画の世界では、「世俗を超越した存在」として仙人を不気味な姿で描く事はありました。
しかし蕪村の場合はその域を超え、さらに頼りない線であったり、よれよれの身なりで描いたのです。
重要文化財《寒山拾得図》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
不気味な姿で描かれる人物と言えば、『寒山拾得図(かんざんじっとくず)』が知られており、蕪村以外にも、狩野山雪や顔輝といった名だたる絵師が作品に取り上げています。
寒山と拾得は中国、唐の時代の高僧です。
山田五郎さん曰く「ちょっとおかしなお坊さん」でしたが、じつは寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の生まれ変わりだと言われています。
寒山と拾得は元々貧しい身なりで描かれることが多く、蕪村のテイストで描いたとしても不思議ではありません。
しかしそれ以外の画題、例として中国古代の詩人や、高貴な人物までも蕪村は不気味な人物像で描いているのです。
このスタイルが蕪村の持ち味ということですね!
今回の記事はここまでです。
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