【ぶらぶら美術・博物館】ビュールレ・コレクション②【マネとモネ】

ぶらぶら美術・博物館

2018年4月17日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#266 世界的収集家の慧眼!「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」~ルノワール、モネ、ゴッホ、ピカソ…誰もが知る傑作が勢揃い!~】の回をまとめました。

今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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《ベルヴュの庭の隅》マネ

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ビュールレ・コレクションその核となるが印象派の作品です。
そして印象派を語る上で欠かせない画家が、エドゥアール・マネです。

マネは「印象派の父」という呼ばれ方をしますが、印象派展に参加した事は一度もないので、「印象派の画家」にはカウントされません

山田五郎さんはマネの画風について「一発で確信を捉える、独特のタッチ」が素晴らしいといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

当時まだ若手画家だったモネルノワールセザンヌドガ達がマネを慕って集まり、マネのアトリエ近くのカフェ・ゲルボアにたむろするようにようになります。

山田五郎さん曰く「カフェ・ゲルボアは今でいう、居酒屋の魚民みたいなところ」だそう。

その若手画家の集まりの中で「自分たちで展覧会を開こう!」という動きになり、印象派が始まるのです。


《ベルヴュの庭の隅》1880年
エドゥアール・マネ
ビュールレ・コレクション

その「印象派の父」であるマネの日本初公開作品です。
こちらは晩年、亡くなる3年ほど前に描かれた作品です。

マネは1879年頃から持病の足の痛みが悪化したため、パリ郊外のベルヴェにて静養を始めます。
この作品は静養先の庭を舞台に、当時のお気に入りのモデルであるマグリットを描いた作品です。

こちらの作品、見てみていかがでしょう?

あれ、完全に印象派のような感じがしますが…

筆触分割で描かれており、印象派の作品に見えます。
何度も書きますが、マネは印象派の画家ではありません


マネというより、モネの作品に見えるこちらの作品。
筆のタッチ然り、庭園で女性が座っているというシチュエーション然り、モネの作品のような感じられます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

女性の手元をよく見ると、本を持っているのが分かります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

マネの自画像と比べて見ると、タッチに違いがあるのが分かります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

マネモネルノワールといった若手の印象派の画家と交流する中で、彼らの手法を取り入れて描いた作品なのです。

1874年に第一回印象派展が開かれますが、その年にマネモネのところに遊びに行き、「俺だって(印象派っぽいの)描けるよ」という事で印象派風の作品を描いています。

こちらはアトリエ舟に乗って作品を描くモネを、マネが描いた作品です。
水面のタッチは印象派特有の筆触分割で描かれているのがよく分かります。

しかし以降、マネは印象派風の絵は描かなくなります。
それが《ベルヴュの庭の隅》の晩年の頃になると、また印象派風の作品を描くようになるのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

第一回印象派展を開催した当時は「未完成の壁紙の方が、この絵より仕上がっている」とまで批判された印象派ですが、それから6年ほど経った1880年頃から印象派が徐々に世の中に認められるようになっていきます。

それまで印象派に見向きもしなかった画家や、画壇の中心にいたアカデミックな画家も、印象派の技法を取り入れるようになっていったのです。

そういった時代の流れの中で、マネもまた印象派の技法を取り入れたのでは?と解説の深谷克典氏は言います。

《ジヴェルニーのモネの庭》モネ


《ジヴェルニーのモネの庭》1895年
クロード・モネ
ビュールレ・コレクション

では、続いてモネの作品を見てみましょう。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

マネの作品と比べてみるとどうでしょう。
タッチは非常によく似ていますが、よく見てみるとモネのほうがタッチが細かくマネのタッチは一つ一つが大きく描かれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

それにより、モネの作品の方が画面がより鮮やかで光が感じられるになっているのが分かります。

モネという画家は、やはり”真の印象派”なんだなというのが、こうして比べて見る事で分かるのです。

画風が近いように見えて、やっぱり違うんですね!

モネが描きたかったのは色と光の変化で、人を描きたいわけではありませんでした。
一方のマネが描きたいのは「庭で読する女性」であり、彼が一貫して風俗画家であったことが伺えます。

今回の記事はここまでです。

続くパート3では、今回の展覧会のメインビジュアルにもなっている、ルノワールの《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)》についてまとめていきます。
こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] 今回の記事はここまでです。 次のパート2では、マネとモネの作品についてまとめていきます。 こちら☚からご覧いただけます。 […]

  2. […] 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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