2021年4月6日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#375 東京国立近代美術館「あやしい絵」展~神秘・退廃・グロテスク…蕭白から松園まで、名画で辿る”あやしい”の系譜~】の回をまとめました。
今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
谷崎潤一郎『人魚の嘆き・魔術師』 (春陽堂、大正8年)「人魚の嘆き」 水島爾保布 口絵、扉絵、挿絵
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらは谷崎潤一郎の小説『人魚の嘆き』、その単行本の挿絵として描かれたものです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
作者は水島爾保布(みずしまにおう)という大正・昭和に活躍した日本画家、小説家、漫画家、随筆家です。ちなみに本名は読み方が同じ爾保有(におう)です。
山田五郎さん曰く「元祖キラキラネーム」だとか。
水島は東京美術学校で元々日本画を学んでいましたが、本の挿絵を手掛けて有名になった人物です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
彼の作品からはイギリスで活躍したオーブリー・ビアズリーの影響が感じられます。
じっさいに水島爾保布は「日本のビアズリー」と呼ばれていたそうです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この物語に登場する人魚は魔性のもの。彼女に惚れた男は死んでしまいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
『人魚の嘆き』がどういうストーリーかご紹介します。
主人公は裕福な貴公子で、この世のありとあらゆる贅沢を味わい尽くして退屈な日々を過ごしていました。
そんなある日、異国から商人がやってきます。彼は貴公子に人魚を売ろうと考えていました。
人魚の美しさに心奪われた貴公子は、商人から人魚を買い取ります。
しかし人魚は「海に帰りたい」と嘆き、最終的には海に帰す、といったストーリーです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
舞台設定が南京なのも、物語をよりエキゾチックなものにしています。
水島爾保布の挿絵もどこか怪しげです。
小説自体もかなり凝った文体で書かれており、官能的な雰囲気が漂っているといいます。
こういったファムファタル、魔性の女的な人魚のイメージは、西洋からのものです。
谷崎の小説も、水島の挿絵も「西洋から輸入したものをどのように取り入れよう、アレンジしよう」という事を考えていたのです。
『ステューディオ』創刊号 オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー 挿絵「オスカー・ワイルド『サロメ』より
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今回の展覧会では、水島爾保布に影響を与えたオーブリー・ビアズリーの挿絵も展示されています。
ビアズリーは白黒の線画で、これまでにない世界観を描き上げました。
この作品はオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』をもとに描いた作品です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
確かによく似ていますね!
実のところ、ビアズリー自身も日本の浮世絵から影響を受けています。
この挿絵を見たオスカー・ワイルドは「日本的過ぎる」と言ったといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今日の私たちからすると「これが日本的?」と感じますが、当時はビアズリーの奥行き感のない平面的な構成や、流れる線の描写は、浮世絵を彷彿とさせたのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ビアズリーや彼と同時代のミュシャも日本美術に影響を受けた画家です。
その彼らの作品がヨーロッパから日本に入ってきて、そこから日本美術も影響を受けているのです。
《水魔》橘小夢
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
橘小夢(たちばなさゆめ、1892~1970)は秋田県出身の画家で、雑誌の挿絵画家として活躍しました。
山田五郎さん曰く、「大正期のあやしい絵を語る時には欠かせない画家」。
河童にしがみつかれた女性が、水中に沈んでいく様子が描かれています。
溺死の様子が非常に甘美に表現されている作品です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この作品は当時、橘によって自費出版が予定されていましたが、内務省の取り締まりで発禁処分の憂き目にあってしまいます。
その理由は諸説あり、「死」というものを美しく描いているからといったものから、裸の女性を描いているから、などといわれています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この作品が描かれた当時は、日本は軍部の力が強くなり、軍国主義・戦争へと向かっていた頃でした。
その一方で庶民の間では”エロ・グロ・ナンセンス”と呼ばれる、退廃的な社会風潮が広がっていき、雑誌などの発行物にはかなりきわどいものもあったといいます。
そういった風潮の中、取り締まりが強くなっていった結果、この《水魔》も取り締まりの対象になってしまったのです。
今回の記事はここまでになります。
続くパート4では、今回の展覧会のメインビジュアルにもなっている、甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)の作品についてまとめていきます。
パート4は、こちら☚からご覧いただけます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
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[…] 今回の記事はパート4になります。 前回のパート3はこちら☚からご覧いただけます。 […]