2025年5月6日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【楊洲周延】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
明治を描いた浮世絵師 楊洲周延
きら星のごとく輝いた天才絵師たちと、
今話題の蔦屋重三郎をはじめとする優れた版元の活躍により、
”江戸文化の花”と称された浮世絵。
中でも特に鮮やかなものを錦絵と呼ぶ。
楊洲周延(ようしゅうちかのぶ、1838-1912)は、この錦絵で”明治”という新たな時代を描きつくした絵師である。
周延は天保九年、越後高田藩の江戸藩士の家に生まれる。
幼少期は狩野派を学び、その後に浮世絵に転向。
武者絵の大家・歌川国芳や、後に”明治の写楽”と称される豊原国周に師事して腕を磨いた。
しかし時は幕末。
戊辰戦争が始まると高田藩出身の周延も筆を置き、旧幕府軍として参戦。
箱館に渡り新政府軍と激しく戦ったが、深手を負って撤退を余儀なくされた。
終戦した後は暫くの謹慎生活が続いた。
しかし明治四年に許されると、絵師としての活動も再開。
西郷隆盛が明治政府に反旗を翻した西南戦争の錦絵。
周延は戦場から届く速報のみを頼りに描いたにもかかわらず、戊辰戦争での実戦経験が生き、真に迫った傑作と称賛された。
さらに文明開花によって様変わりした街並みや、
庶民の憧れの的となった洋装の貴婦人など、新たな世相を色鮮やかに描き、名声を確固たるものとした。
洋館で慣れないダンスに興じる男女や、
明治天皇による大日本帝国憲法の発布は、まさに明治という時代を切り取った作品である。
印刷技術の向上に伴って浮世絵が次第に衰退して行くなか、
大正元年に亡くなるまで精力的に作品を描き続けた周延は、”最後の浮世絵師”とも称されている。
楊洲周延の浮世絵を繋げた絵巻物
改めて依頼品を見てみよう。
楊洲周延の錦絵30点をつなぎ合わせた絵巻物である。
すべて明治時代に描かれたもの。
いずれも大判の錦絵が3枚1組となって一つの作品を成している。
いくつかのシリーズが順不同で並べられていて、
2巻にわたり最多の21点を占めるのが、周延の人気シリーズの一つ『千代田之大奥』。
千代田とは江戸城のことで、場内にある大奥の様子が色鮮やかに描かれている。
湯上りでほてる御台所に手回しの扇風機で風を送る様子や、
優雅にほたる狩りを楽しむ奥女中たち。
江戸城に献上された巨大な鏡餅を、そりに乗せて引き歩く正月行事など。
江戸時代、大奥での生活は他言厳禁であった。
これらの作品は維新後に奥女中に話を聞いて描かれたもので、現在は貴重な資料となっている。
2組ある『千代田之御表』は、やはり周延の代表作。
将軍の生活や年中行事などを描いている。
こちらは河川での魚取りを視察の様子が描かれた一枚。
視察しているのは11代将軍の徳川家斉。
他にも江戸時代の貴婦人の様子や、
幕府の儀式を描いたものなど、
非常に見応えのある錦絵ばかりだが…
果して鑑定やいかに?
楊洲周延の絵巻物2巻 本物80万円

え~80万円!もっといくかと…
「楊洲周延が明治時代に手がけた錦絵で間違いありません」
「ただし皆様がご想像している値段よりは明治時代ですから、やはりちょっと低くなりますね」
「普通錦絵は一枚一枚で保存されておりますが、これは版元が表具して、巻物仕立て2巻として売ったものです」
「全体として巻き物に貼り込む時にトリミングを少しされているんですね。それから初摺りではありません」
「そういうようなことから少し減額になっております。ただ明治期の浮世絵として貴重なものです。大事にしてください」
今回の記事はここまでになります。