【ぶら美】佐伯祐三展④【《郵便配達夫》と絶筆《扉》】

ぶらぶら美術・博物館

2023年2月14日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#427 夭逝の天才画家“佐伯祐三”展~傑作120点が一堂に!命を懸けた画業のすべて~】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

今回の記事はパート4になります。

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《郵便配達夫》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今回の記事では佐伯祐三が亡くなる年(1928年)に描かれた作品を見ていきます。
体調はますます悪くなる一方ですが、佐伯の絵を描くペースが落ちる事はありません。

そんな中、雨でずぶ濡れになりながら制作をしたことで肺炎を患い、外に出られない自宅療養の日々を送ることになります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その自宅療養中に描かれたのが佐伯祐三の代表作である《郵便配達夫》です。

ある郵便配達夫に一目惚れをした佐伯が、その配達夫にモデルを依頼して描いた一枚です。
東京ステーションギャラリー館長の冨田章氏曰く、「おそらくほんの数時間、2~3時間で描いている」。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

じつはこの《郵便配達夫》のモデルとなった男性は、モデルを務めた以降一度も佐伯家に姿を見せる事はなかったといいます。

佐伯の妻は「あの郵便配達夫は佐伯に名画を描かせるために現れた神様だったのでは…」と残しています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

佐伯はこの時《郵便配達夫》の他に、上半身だけのバージョンとスケッチの計3点を制作しています。
外に出られないほど体調が悪い状態でも、これほどの傑作を描く事ができたのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

一度見ると、強く印象に残る《郵便配達夫》。
その秘密は”構図”にあります。

向かって左側の体のラインが階段上にカクカクと描かれていますが、反対側は真っすぐ描かれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

体を少し傾けているのも含めて、その構図全てが計算し尽くされているのです。
不安定に見えるけど、画面としてはすごく安定している。ものすごくまとまりのある構図なんですね」(解説:冨田章館長)

ゴッホとの関連性

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ゴッホも同じような郵便配達人の絵を描いています。
男性の長いひげや帽子をかぶっているところなど、共通点があるように見えます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

じつは佐伯ゴッホに強い憧れを持っており、実際にゴッホの絵をよく勉強していたといいます。
描き方は異なっていますが、作品を早く、勢いを持って完成させるというスタイルは、ゴッホへの憧れから出たものだとも考えられるのです。

冨田章館長は「この《郵便配達夫》は、最後の最後に佐伯ゴッホに捧げたオマージュだったのかな、っていう気がするんですね」と語っています。

《扉》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

最後に紹介するのは佐伯の絶筆の2作品です。
左側が《黄色いレストラン》、右側が《》という作品。

この頃の佐伯は体がかなり弱っていましたが、わずかに調子が良くなった時に外出してこれらの絵を仕上げました。
それでも家に戻ると筆も握れないほど弱っていたといいます。

佐伯はこの2枚の作品について、「最高に自信のある作品だから売らないでほしい」と言い残したといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今回はこちらの《》という作品についてまとめていきます。
亡くなる数か月前に描かれたといわれる作品。

絵のモデルとなった『扉』は、佐伯のアトリエからほど近いカンパーニュ・プルミエール通りにあった扉だと特定されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

佐伯作品の特徴でもある”正面性”がこの作品でも見られます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

扉の模様やその周りには線が描かれていますが、これは「第二次パリ時代」に追求してきた表現です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

それまでの作品では壁の上に文字や線を描いていましたが、ここでは全体の構図、輪郭線として”線”を使っているのです。

一つ一つの線が迷いなく描かれており、そこから独特のリズムが生まれているのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

外に出るのもやっとの状態で描いたとは思えない迫力のある一枚です。
これまでの作品とは一線を画す、次の段階に向かっているような作品といえます。

もしここで佐伯がこの世を去っていなかったら、この《》から「第三次パリ時代」が始まっていたかもしれません。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

》描いてから数か月後、佐伯は30歳の若さでこの世を去ります。

佐伯祐三という画家は、パッと見だとどれも似ているような画風にも見えますが、じつはその都度スタイルを変えて新しいものを生み出していて、それがいつも高みへと向かっているのです。

そしてそれを短い人生の中でやり遂げた、偉大な画家でもあるのです。

今回の記事はここまでになります。

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