【ぶら美】佐伯祐三展③【日本時代~第二次パリ時代】

ぶらぶら美術・博物館

2023年2月14日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#427 夭逝の天才画家“佐伯祐三”展~傑作120点が一堂に!命を懸けた画業のすべて~】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

今回の記事はパート3になります。

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佐伯祐三が日本で見つけたもの

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

兄・佐伯祐正に連れられ日本へ帰国した佐伯祐三
日本に戻ってきた佐伯は渡仏前に暮らしていた新宿・下落合に住み始めます。

そこにはパリの街角にあるような洋館もありましたが、佐伯が絵のモチーフとして選んだのは、きわめて日本的な風景でした。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

下落合という場所は坂道が多く、この大阪中之島美術館所蔵の《下落合風景》という作品では、坂を上から見下ろすような構図で描かれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

またこちらのポーラ美術館所蔵の《下落合風景》では一本道を遠近法で描いています。
佐伯は日本の風景を描きながら、色々な実験・試行錯誤を行っていたのです。

《下落合風景(テニス)》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

大きなお屋敷の前で人々がテニスに興じています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この作品のポイントは、電柱や木などで表された”縦の線”です。

パリの街並みは高い建物が多く、パリ時代の絵の画面の大半は”壁”が埋め尽くしていました。
一方、下落合には背の高い建物はなく、その風景を描くときには必然的に空が画面の大半を占めていたのです。

佐伯はそこに電柱や木などを用いて”縦の線”を入れていくのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

実際、佐伯の日本滞在中の作品は電柱を描いたものが非常に多いのです。

とにかく電柱がつくる垂直線を描きたい!みたいな」(山田五郎氏)

《滞船》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの《滞船》という作品でも、真っすぐにのびるマストやロープの縦の線に注目しているのが分かります。
絵の舞台となったのは、佐伯の姉の嫁ぎ先である大阪の安治川付近です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

普通画家が船を描くとなると、この作品のように真横から描くことはそう多くはありません。
前から船を見て遠近法で描いたり、もっと画家の力量を示せるように描くのが一般的です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

佐伯が描きたいのは船そのものではなく、空の部分にある縦の線であり、それを描くための構図と言えるのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

またロープの線はスピード感のある筆さばきで、サッサッと描かれています。
このような軽快な線の表現も後の作品に繋がっていくのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

「日本で得たものをパリの風景で生かしたい」と佐伯は思ったのでしょう。
病状は悪化の一途をたどっていましたが、それをおして1927年、再びパリへと向かいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

パリに戻り、そこから佐伯の「第二次パリ時代」が始まります。

「第一次パリ時代」のキーワードが”壁”であるとすると、「第二次パリ時代」のキーワードは”線”になるのです。
日本で新たなものを得た佐伯にとって、こお一時帰国は決して無駄なものではなかったのです。

第二次パリ時代

1927年8月、29歳の時に再びパリに渡った佐伯
彼はこの二度目の渡仏から1年後に亡くなってしまいます。
ですのでこの「第二次パリ時代」は非常に短い期間なのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その短い間に怒濤の絵画制作を行った佐伯
友人に宛てた手紙には「5か月で107枚製作した」と書き記しています。

たくさん描くことによって彼はどんどんスタイルを作り上げ、変えていくっていうことをやるんですね」(東京ステーションギャラリー館長 冨田章氏)

もしかしたら自分の死期を悟っていたのかもしれませんね…

《ガス灯と広告》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

山田五郎さん曰く「日本でつかんだことをやってみたいんだ!が爆発している」というのがこちらの《ガス灯と広告》という作品。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

壁に描かれた”文字”の表現が一変しているのが分かります。
文字がそれまでと違い、踊り始めているのです。

この線の表現は”佐伯の代名詞”となりました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

「第一次パリ時代」の頃の作品と比べると、その文字の表現の違いは一目瞭然です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この生き生きとした文字の表現について解説の冨田章氏は「描くのが速いということが影響している」と語ります。

早く描くことによってこのような躍動的な表現が生まれてくるのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

壁の前には人物が描かれていますが、これも人物というより”垂直の要素”といった具合です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

女性のハイヒールもサッと描かれており、佐伯がいかに本質を捉えて描くのが上手かったか、見て取れます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ガス灯には日本で得た”垂直の線”の表現が生かされています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今までのように単に街中にある壁を質感豊かに描くのではなく、その上に生き生きとした線の表現を載せる、これが「第二次パリ時代」の佐伯作品の特徴なのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

佐伯の線の表現と日本の書道との関連性を指摘する研究者もいるといいます。

山田五郎氏は「この筆遣いは書道を知っている日本人じゃないと出せない。西洋の画家にはちょっと出せない線ですよね」と語っています。

今回の記事はここまでになります。

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