【アートステージ】ミュシャ【美術番組まとめ】

アート・ステージ

2019年7月20日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【アルフォンス・ミュシャ 時代と国を越えて受け継がれる、その美学】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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イントロダクション

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

アール・ヌーヴォーの旗手」や「グラフィックアートの先駆者」と呼ばれるアルフォンス・ミュシャ(1860~1939)。
19世紀末から20世紀にかけて活躍した彼は、時代や国を超えて、今もなお、多くの芸術家に影響を与え続けています。

今回は”商業ポスター”を芸術の域にまで昇華させたミュシャの魅力についてまとめます。

ミュシャの出世作《ジスモンダ》

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

ミュシャの成功は一枚のポスターから始まりました。
それが1894年、35歳の時に描かれた《ジスモンダ》です。

モデルの女性は当時の人気女優サラ・ベルナール
等身大の姿で描かれています。

それまで無名だったミュシャが、大女優のポスターを手掛ける事になったきっかけ。
そこには幸運の女神の後押しがありました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

舞台は1894年の末。
サラ・ベルナールは急遽、舞台公演のポスターを作らなければなりませんでした。

しかし年の瀬という事もあり、ほとんどの画家がパリにいませんでした。
サラはポスターを書いてくれる画家をパリ中探し回り、やっと見つかったのが、当時印刷所で夜遅くまで働いていたミュシャだったのです。


この《ジスモンダ》でミュシャの名はパリ中に広まり、一夜にして時代の寵児となったのです。

その後パリの街中に貼られたこの《ジスモンダ》のポスターは、一夜のうちに全て盗まれてしまったといいます。

ミュシャの再ブレイク

ベル・エポックの寵児となったミュシャですが、彼の死後、その存在は次第に忘れられていきます。
そんな中、1960年代にミュシャブームが起こります。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

きっかけは1963年にロンドンで開催されたミュシャの回顧展でした。
それは彼が亡くなってから24年経った時の事でした。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

回顧展はセンセーションを巻き起こし、当時のアーティストたちに多大な影響を与えました。
ミュシャから影響を受けた若いアーティストによって、ミュシャ作品を彷彿とさせるCDジャケット、コミック、グラフィックデザインが街中に溢れました。

ミュシャ作品の異世界的なイメージと、独特の線の表現は、新しい芸術を生み出そうとする若者たちに受け入れられたのです。

そしてその影響は、亡くなっておよそ80年経った今でも残っています。

ミュシャが受けた影響

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

現代のアーティストにも影響を与え続けるミュシャですが、そのミュシャもまた様々なものからインスピレーションを得ています。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

ミュシャのアトリエには様々なものが置かれていたといいます。
祖国チェコの工芸品、ロココ調の家具、中国の美術品などで埋め尽くされていました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

さらに日本の美術品や工芸品も、ミュシャは所有していたといいます。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

こちらはミュシャが若い頃に描いた風刺画です。
線だけの表現で、生き生きとした躍動感を表しています。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

この風刺画には、日本の北斎漫画の影響が見られるという説があります。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

北斎漫画』とは、葛飾北斎が森羅万象のあらゆる姿を描いたもので、”江戸の百科事典”とまで呼ばれるほど、様々なものが描かれていました。

ミュシャは線だけで全てを描こうとする北斎の心意気に共鳴したのかもしれません。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

祖父はジャポニスムから大きな影響を受けている
ミュシャ財団の代表を務める、孫のジョン・ミュシャもそう語っています。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

こちらは、1889年にミュシャの故郷で開催された展覧会のポスターです。
「マーネス協会展」はチェコ最大の美術家集団による展覧会です。

描かれているのは、船と人を襲う大波。
若者は首までどっぷり波にのまれていますが、その若者を助けるべく船から浮き輪が投げかけられています。


波の描写は葛飾北斎を彷彿とさせます。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

ここにはミュシャジャポニスムへの傾倒を危惧するメッセージが込められているといいます。
押し寄せるジャポニスムの大波から若者たちを救え!

その危険なジャポニスムの波をいっぱいに浴びたミュシャは、彼独自の美意識を花開かせていったのです。

ミュシャが日本に与えた影響

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

日本からの影響を受けたミュシャもまた、リアルタイムで日本の芸術家たちに影響を与えています。
ミュシャが活躍したのは、日本でいう明治初期の頃にあたります。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

この頃の日本は、欧米諸国に追いつき追い越せの勢いで、積極的に西洋の技術や文明を取り入れていました。
もちろん芸術の面でも同様で、多くの日本人芸術家が海を渡りました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

その頃ミュシャはパリで絵画講座を開いていました。
そこには日本人画学生も参加していたといいます。

彼らが持ち帰った展覧会の図録や美術誌は、当時の若い芸術家たちに強いインパクトと影響を与えました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

そんなミュシャの影響を受けた日本人画家の作品で有名なのがこちらです。
洋画家・藤島武治が描いたもので、歌人・与謝野晶子の歌集『みだれ髪』の表紙のデザインです。


ハートの形の中に描かれた優美な女性の横顔。
波打つ髪の表現は、ミュシャからの影響が感じられます。


「みだれ髪」の文字はデザイン的に描かれています。
文字もグラフィックの一部として重視したのも、ミュシャ芸術の特徴です。

女性の地位がまだ低かった時代に発表された、与謝野晶子の『みだれ髪』。
その表紙が、美しくも自信に満ちた女性像を描いてきたミュシャ風である事は、決して偶然ではないでしょう。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

ミュシャの芸術は、今でも多くの芸術家に影響を与えています。
それは現代の日本の漫画やゲーム、アニメなどにも及んでいるのです。

ベル・エポックとは?

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

ミュシャが生きた時代はベル・エポックと呼ばれます。
ベル・エポック(Belle Époque)はフランス語で「美しい時代」という意味で、19世紀末から第一次世界大戦が始まる1914年までの約25年ほどの期間を指します。
この頃はパリが最も繁栄した、華やかな時代でした。

パリで活躍していたロートレックミュシャといった画家のみならず、彫刻家のロダン、音楽家のドビュッシー、文学者ではプルーストなど、名だたる芸術家が活躍しました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

文化の面ではかなり花開いた時代でしたが、政治的には激動の時代でした。
ベル・エポックは”戦争までの一時的な逃避的な平和”という見方もあります。

展覧会『みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ―線の魔術』

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

2019年には渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムミュシャの展覧会が開催されました。

副題に『ミュシャからマンガへ』とあるように、ミュシャの作品のみならず、ミュシャから影響を受けた後世のアーティストの作品も展示されており、その中には日本の漫画家の作品もありました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

ミュシャは元々日本美術の勉強をしていた画家です。
そのミュシャの作品に、今度は日本のアーティストが影響を受けるというのはとても面白い巡り合わせです。

ミュシャの20代の初期の作品も展示されており、創作の歴史から後世のアーティストまでの大きな流れを体感できる展覧会でした。

今回の記事はここまでになります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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