2020年6月20日にテレビ東京にて放送された「新美の巨人たち」の【伊藤若冲・長沢芦雪…天才絵師が遺した「ゆるい」が魅力の日本絵画】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
イントロダクション:伊藤若冲
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
今回取り上げる画家は伊藤若冲(1716-1800)。
江戸時代中期、京の町で活躍しました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
若冲の凄さはなんといってもその超細密描写。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
そして目が眩むほどのあでやかな色彩です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
ひとたび展覧会が開催されれば、ご覧の人だかり。
常に驚異的な入場者数を記録し、その盛況ぶりはニュースになるほどです。
その人気は国内のみならず、海外でも高い人気を誇ります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
見る者を圧倒する若冲の作品。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
しかしその裏で、若冲は意外なものを描いていました。
肩の力の入っていない”ゆるい絵”です。
今回の記事では日本美術の奥底に流れる不思議なDNA。
現代の「ゆるキャラ」にもつながる”ゆるい絵”、その源流を探っていきます。
天才絵師・伊藤若冲 迫真の描写力!
伊藤若冲は1716年、京都錦小路の青物問屋「枡源」の長男として誕生します。
20代で家業を継ぎますが、40歳で絵師に専念するために家督を弟に譲り隠居します。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
しかし若冲はすぐには絵筆を取りませんでした。
自宅の庭に鶏を放し飼いし、その姿をなんと一年の間観察したのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
そこから今度は10年の歳月をかけて、臨済宗の名刹である相国寺に奉納するための大作《釈迦三尊像と動植綵絵》を描き上げるのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
釈迦三尊像の三幅と動植綵絵の30幅、計33幅から成る大作です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
中央に釈迦三尊を配し、その周りを動植物、生きとし生けるものが描かれた世界が広がります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
中でも有名なのが、こちら『群鶏図』。
13羽の鶏が描かれたこの作品です。
今にも鶏の鳴き声が聞こえてきそうな臨場感に溢れています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
こちらのひまわりを描いた作品。
中心部分は一つ一つオレンジや緑の点描で表わされています。
その大きさわずか1ミリほど。
まるで顕微鏡を覗いて描いたような、驚くべき細密描写です。
そんな絵師が約20年後に、あの”ゆるい絵”を描くのです。
一体何があったのでしょう?
なぜ野菜で仏画を描いた?
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
京都にある誓願寺は若冲のゆかりの寺院です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
若冲の”ゆるい絵”は《果蔬涅槃図(かそねはんず)》という題で、この寺に寄進されました。
「果蔬」とは、果物と野菜の意味です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
描かれているのは、若冲の生まれ故郷の京都で採れる伝統的な京野菜です。
その京野菜を使って、”涅槃図”が表されているのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
「涅槃図」とは、釈迦がこの世を去る場面を描いた仏教絵画のことで、古来より多くの絵師によって描かれてきました。
釈迦の弟子をはじめとする関わりのある人々から動物まで、皆その死を嘆いています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
仏教において、非常に重要な場面を描いた作品です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
ですが若冲は、あろうことかその”重要な場面”をすべて野菜で表してしまったのです。
お釈迦様は大根に見立てられ、中央で寝そべっています。
大根の先は割れ、まるで足を投げ出しているかのようです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
釈迦を囲み嘆き、悲しむ弟子たち姿も野菜の姿で表わされており、まるで一種のゆるキャラのようです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
『動植綵絵』の表現と比べると、まるで別の絵師の作のようです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
緻密な筆さばきは影を潜めています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
仏教の重要な場面である『涅槃図』を、若冲はどうして”ゆるい”野菜の姿で描いたのでしょう?
ど迫力!禅画ワールド
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
そのヒントは大分市の中心部にある万寿寺(まんじゅじ)にありました。
鎌倉時代につくられた由緒ある臨済宗の寺院です。
この寺に通常非公開の”秘蔵”の一枚があります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
白隠慧鶴(はくいん えかく)が描いた《達磨図》です。
高さ2メートルほどある大画面いっぱいに、力強い線で禅宗の開祖である達磨が描かれています。
厳格さはあまり見られず、どこか軽妙な面持ちです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
白隠慧鶴(1685-1768)は江戸時代中期の人です。
本職は禅僧であり、絵師ではありません。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
絵師ではないのに絵を描いたのは理由があります。
白隠慧鶴は禅宗の教えを広める目的で、禅画を描いたのです。
その数は生涯で1万点に及ぶと言われています。
独特のタッチで描かれた、”ゆるい”禅画で人々の心を掴み、衰退していた臨済宗を立て直すことに成功します。
その事から白隠慧鶴は「臨済宗 中興の祖」と呼ばれました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
こちらも白隠慧鶴の作品です。
描かれているのは、お多福が金の亡者の尻にお灸をすえているところ。
この絵では人間の欲望を戒めているのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
仙厓義梵(せんがいぎぼん、1750-1837)も白隠慧鶴と同じく、禅僧でありながら絵も描いた人物です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
時代的には白隠慧鶴より少し後の人物ですが、彼と比べてもさらに”ゆるい”、それを通り越して、自由で気の抜けた画風になっています。
しかしこの気の抜けた画風だからこそ、江戸時代の町衆の心を掴んだのです。
実際義梵は非常に人気のある絵師だったといいます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
府中市美術館学芸員の金子信久氏は、禅画の影響について次のように話しています。
「じつは禅の歴史の中で江戸時代は、「禅が普及した時代だ」という風にも言われます。絵を使って「禅の世界の何たるか」を知らせていく。(白隠も仙厓も)庶民への普及は大いに力を入れたところ」
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
若冲が《動植綵絵》を寄進した相国寺にも大典(だいてん)という名の禅僧がいました。
この大典と若冲は非常に親密な交流がありました。
「(若冲は)白隠に思想的な影響は受けている」(金子信久氏)
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
若冲は民衆に広く伝えるための手段として、ゆるいタッチの禅画にあやかって、《果蔬涅槃図》を描いたのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
《果蔬涅槃図》を研究している椙山女学園大学教授の伊藤信博氏は、描かれている野菜の”ある共通点”を見つけました。
それは「すべて漬物の材料になっている」ということでした。
いわば保存食として大切にされているものだったのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
若冲が生きた時代の日本は、天候不順や天災の影響による食糧不足が深刻な問題でした。
実際に京都でも飢饉が起きていたといいます。
そんな状況下でも米や麦は年貢として取られてしまい、唯一残るのが野菜だけだったのです。
当時の庶民はこの野菜を長期保存できるように漬物にして、飢えをしのいでいました。
「生き残れる可能性を啓蒙したかった、という風に思います」(伊藤信博氏)
若冲はなけなしの食料だった漬物で使われる野菜を使って、ありがたい涅槃図を描いたのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
「明日をも知れぬ日を送る庶民に向けて、たくましく生きる力を届けたい」
《果蔬涅槃図》はそんな若冲の想いが込められているのかもしれません。
人々に寄り添うゆるい美術
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
晩年、若冲は天明の大火(1788)により住む家を失います。
そこで身を寄せたのが京都・伏見区の石峰寺でした。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
境内にある『五百羅漢像』。
若冲が10年以上に渡ってこつこつと原画を描いては、石工にそれを彫らせました。
『五百羅漢』とは釈迦の教えを伝える仏教の聖者たちのことです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
ほのぼのとした表情の五百羅漢は、大火で疲弊した人々の心を癒し、京の町の復興の後押しになったことでしょう。
今回の記事はここまでになります。