【京都・天下人が愛した美】②世界遺産 二条城【美術番組まとめ】

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2023年12月27日にBS日テレにて放送された【京都・天下人が愛した美 北川景子が迫る名宝の秘密】の内容をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

この記事では「世界遺産 二条城」についてまとめていきます。

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障壁画に隠された徳川家の思惑

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

今回取り上げるのは世界遺産にもなっている二条城です。

二条城は1603年に徳川家康によって築かれました。
この城にある障壁画には、徳川家の思惑が随所に見られるといいます。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

唐門』は国の重要文化財に指定されています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

近年の修復によって、造られた当時の鮮やかさがよみがえりました。
松竹梅や鶴と等のおめでたいモチーフが刻まれています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

唐門を抜けて、国宝の『二の丸御殿』へ向かいます。
ここには約3600面の障壁画が残されています。

ここ二の丸御殿は、様々な歴史上の出来事が起こった場所でもあります。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

800畳にも及ぶ部屋に描かれた襖絵などの障壁画。
これらを手掛けたのが、当時最も勢いのあった”狩野派”です。

遠侍

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

二の丸御殿は6つの棟から構成されています。
まずは最も入口に近い遠侍(とおざむらい)の障壁画から見ていきます。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

狩野甚之丞が手掛けた《竹林群虎図》です。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

この遠侍は、二の丸御殿を訪れた人が最初に通される部屋です。

そんな部屋にどうして虎の絵が描かれているのでしょう?
ここには「徳川家の権力を感じさせる」という狙いがあるのです。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

二条城に限らず、この時代の城郭の入り口には、虎や獅子といった力強い動物の絵が置かれていたといいます。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

強く獰猛なイメージの虎ですが、ここで描かれている姿は親虎にじゃれていたり、和やかに駆けている姿が表現されています。

これにも理由があり、「徳川が虎をもリラックスできるほどの安寧の世を作ることができる」というメッセージが込められているからです。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

このじゃれている子どもの虎は、豹のような模様をしています。
じつはこの時代、日本人は実物の虎を見たことがないため、虎と豹は同じ動物だと考えられていました。

大広間

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

続いては見ていくのは大広間
二の丸御殿の中心的な場所です。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

ここは将軍が来客者と対面する場所です。
あの大政奉還が表明されたのもこの場所になります。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

先ほどの遠侍とは、雰囲気がずいぶん異なります。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

将軍の後ろには大きな松の木が描かれています。
まるで松の巨木が、将軍を守るかのように描かれています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

障壁画に描かれる内容は、それぞれの部屋の用途に合わせて変えられています。
この大広間には床から天井まで伸びる大きな松の木が。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

こちらの鷹は実物よりも大きく、威圧感を醸し出しています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

孔雀など日本で見られない動物は”権威の証”です。

大広間は、将軍家の威厳を示す美で埋め尽くされているのです。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

細かなところの装飾も手を抜いていません。
こちらは『釘隠し』です。

牡丹の花を熨斗(のし)で包んでいるデザインです。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

鳳凰は”良き君主が現れる”という吉兆を表しています。
その上部には徳川家の葵のご紋が表され、その良き君主=徳川家であることを示しています。

黒書院

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

さらに奥の黒書院です。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

それまでの虎や大きな松の木の威圧感のある雰囲気と比べると、黒書院は落ち着いた雰囲気になっています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

この黒書院は長押(なげし)によって画面が分かれています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

長押の上部分の小さな松の絵は、どこか可愛らしい雰囲気になっています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

前に見た大広間は、将軍がさまざまな人と対面する場所でした。
しかし、この黒書院は将軍に近い大名や位の高い公家と会う場所でしたので、障壁画も威厳をアピールするようなものではなく、落ち着いた雰囲気のものになっているのです。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

同じ松でも大広間と黒書院ではこれだけ表現が違います。

確かに大広間の松の方が威圧感がすごいですね!

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

黒書院の対面用の部屋は、また違うモチーフが描かれています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

それがこちらの桜が描かれた障壁画です。
対面用の空間には桜を描くことで、来訪者がリラックスできる、和やかな雰囲気になっています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

二の丸御殿の障壁画は1626年、天皇を二条城に招いた寛永行幸に際して制作されました。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

黒書院はその寛永行幸の際に公家衆をもてなすための場所でしたので、障壁画にも細やかな気遣いが見られるのです。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

一の間と二の間は、春をテーマに”桜”が描かれています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

三の間は枯れ田に舞い降りた鷺(さぎ)を描いて”冬”を表現。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

四の間では菊と薄木で”秋”の空間を表現。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

夏は牡丹の間で表されています。

公家好みの四季の移ろいや花鳥風月が黒書院のテーマになっているのです。

白書院

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

さいごは一番奥にある白書院です。
ここには今までの部屋とは違う世界が広がっています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

きらびやかな障壁画はなくなり、穏やかで落ち着いた空間になっています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

白書院は将軍が日常を過ごすための場所でした。
ですので、”訪れる人に威厳を見せつける”ような部屋にする必要はなかったのです。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

障壁画には水墨画が描かれています。
こちらの絵の下半分は水辺になっています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

他の絵もすべて下の方が水辺になっているので、襖をすべて閉めると、室内は湖の中央にいるような構成になっているのです。

狩野派について

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

これらの障壁画を全て手掛けたのが狩野派でした。
3600面にも及ぶ障壁画をわずか2年で完成させました。

これだけの作品をどうして2年間で完成させることができたのでしょうか?

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

狩野派は”粉本制作”を基本としていました。
粉本とは絵手本のことで、これをたくさんの弟子に習わせることで、派として効率よく絵画制作を行っていたのです。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

たくさんの絵師がいる中で、名前が残るような絵師は特に重要な箇所を担当しました。
(例えば、作品全体の大きな構図や目立つ鳥を描くなど)

一方で色を塗ったり、金箔を貼ったりといった簡単な作業は弟子の人たちが手掛けたと考えられます。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

こちらの松の葉の部分も、パッと見は一つの塊のように見えますが…

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

じつは一本一本細かく松の葉が描かれているのです。

狩野派は総力を上げてこの障壁画の制作に取り組み、徳川側からの納期もしっかり守ることで、その信頼を得て、後世まで幕府から仕事がもらえるよう尽力したのです。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

当時最大の絵師集団だった狩野派
その中でも天才といわれたのが4代目の永徳でした。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

代表作はこちらの国宝《唐獅子図》。
その特徴が何と言っても力強さとその迫力です。

この絵は非常に大きく、絵の高さは約2メートル20センチもあります。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

永徳”大河様式”と呼ばれるスケールの大きい絵のスタイルを確立しました。
この《檜図》も巨木が画面からはみ出さんばかりに描かれています。

画像出展元:テレビ番組「京都・天下人が愛した美」より

永徳の豪快な画風は時の戦国大名に愛されました。
安土城や聚楽第の仕事を任され、その名声を確固たるものにしていきました。

今回の記事はここまでになります。

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