【ぶら美】京都・智積院の名宝③【美術番組まとめ】

ぶらぶら美術・博物館

2023年1月10日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#424 寺外不出の国宝・重文!「京都・智積院の名宝」~長谷川等伯一門が描いた国宝障壁画ほか、多彩な名宝を一挙公開!~】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

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国宝《松に黄蜀葵図》長谷川等伯

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらも長谷川等伯作の国宝作品、《松に黄蜀葵図(まつにとろろあおいず)》。
今回が寺外初公開となる作品です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この作品は高さが3m30cmもあり、美術館の展示ケースもギリギリになっています。

サントリー美術館・学芸部長の石田佳也氏も「展示できるかどうか当日まで心配だった」と言い、今回寺外初公開となった理由も、そのサイズにあるといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

タイトルにある「黄蜀葵(とろろあおい)」とは花の名前で、画面左側にある白い花がそれになります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この《松に黄蜀葵図》はじつは上の部分が、後の時代に継ぎ足された状態になっています。

確かに不自然ですね!

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

現在画面上部に置かれている部分は、元々は向かって左側にあった松だと分かっています。

天保2年の火災の後、新しく再建された建物のサイズに合うように、このような処置が行われたと考えられています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この作品に描かれている黄蜀葵(とろろあおい)はアオイ科の植物で白い花を咲かせますが、その花は朝咲いても夕方には萎んでしまうといいます。

鶴松の菩提を弔う寺のモチーフには相応しいセレクトなのかな、という説もあります」(学芸部長・石田佳也氏)

国宝《雪松図》長谷川派

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらも国宝に指定されている《雪松図》という作品。
この作品の作者は”長谷川等伯”ではなく、”長谷川派”とされています。

画面左側には椿や梅の花が描かれており、清々しい冬の情景が表現されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

パート2のページでご紹介した長谷川等伯による《松に秋草図》と比較すると、どちらも”松”を主役にした作品ですが、どこか印象が違っています。

この点から研究者の中では「《雪松図》は等伯の弟子による作品ではないか?」と言われています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの作品もほかの障壁画同様に画面のつながりにおかしい箇所があります。
また、使われている金箔のサイズも違っています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その点から向かって右側の部分は、江戸時代の後補だと考えられています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

かなりの画面の改変が行われている智積院の障壁画作品。

「秀吉が建てた祥雲禅寺の時には、どのように配置されていたのか?」
これについては、今なお研究が進んでいるといいます。

《十六羅漢図屏風》長谷川等伯

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちら長谷川等伯の最晩年、71歳(亡くなる前年)の時に描かれた作品です。

長谷川等伯というと、今回の《楓図》や、東京国立博物館所蔵の《松林図屏風》など自然の情景を描いた絵師というイメージがあります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

しかし元々等伯は京都にやってくる前、故郷の能登にいた頃は仏画を描いており、本来得意なジャンルでもあったのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

羅漢と呼ばれる悟りを開いたお坊さんたちとその従者、さらに動物や子供も描かれています。

羅漢というのは人々から尊敬される存在であるため、その姿は通常厳しく威厳のある姿で描かれます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

しかし等伯が描いた羅漢は、どこかユーモラスな表情をしています。

*続きは現在作成中です。

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