【ぶらぶら美術・博物館】ブダペスト展④【世紀末と20世紀初頭の美術】

ぶらぶら美術・博物館

2020年1月7日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#334 ブダペスト展】の回をまとめました。

パート4でも引き続きハンガリーの近代絵画についてご紹介します。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。

前回(パート3)の記事はこちらからご覧頂けます☟☟
【ぶらぶら美術・博物館】ブダペスト展③【ハンガリーの近代絵画】

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《黄金時代》ヴァサリ・ヤノーシュ


《黄金時代》1898年
ヴァサリ・ヤノーシュ
ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー蔵

つづいてはハンガリーの世紀末(19世紀末)の美術です。
その代表的な画家、ヴァサリ・ヤノーシュ

描かれているのは古代の彫刻が並んでいる庭園の中で、男女がヴィーナスに供物を捧げているという場面です。
なんとも言えない神秘的な雰囲気に満ちた作品で、ハンガリー分離派を象徴する作品です。

ハンガリーにも分離派があったなんて
知りませんでした!

分離派」というのは、1892年に最初にミュンヘンで始まり、次いで1897年にウィーン、1899年にはベルリンで起こりました。
そもそも何から分離するかというと、アカデミーやそれまでの古い美術からの分離するという意味が込められています。

クリムトが有名な「ウィーン分離派」には、絵画・彫刻・工芸・建築など様々な芸術に携わる人が参加しました。
「ハンガリー分離派」もウィーンでの動きを取り入れており、この作品でも美術と工芸の融合が見られます。
絵画の周りの額縁は作者のヴァサリ自身がデザインしました。
ヴァサリは大変器用な人物で、絵画のみならず額縁やテキスタイル、家具のデザインまで手がけました。

この作品では額縁のデザインと絵画がマッチしています。
絵の中で供物を燃やして出ている煙が、額のデザインと呼応しています。
「総合芸術」を極めた作品と言えるでしょう。

《アテネの新月の夜、馬車での散策》チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル


《アテネの新月の夜、馬車での散策》1904年
チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル
ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー蔵

ものすごく覚えづらい画家の名前ですね(笑)

ものすごく独特な作風で異彩を放っている作品です。
画家が旅行で訪れたアテネの光景を描いています(屋根の上の方に神殿が見えますね)。
題名には「新月の夜」とありますが、三ケ月のように見えます。
そもそも新月であれば月が完全に隠されているので暗いはずなのに、空も明るいです。

よく目を凝らしてみると、馬や人も普通じゃないです。

チョントヴァーリは元々は薬剤師をしていました。
しかし27歳のある時、天のお告げを聞くのです。
お前はラファエロ以上の画家になる」と。

そして40歳ころまでお金を貯めて、そののち貯めたお金で世界中をあちこち回り絵を描きました。

作品全体のタッチはどこかアンリ・ルソーを彷彿とさせます。
一応ミュンヘンで絵画を正式に学びましたが、すぐにやめてしまったので、ほぼ独学で独自の画風を築きました。
ハンガリー美術史においても、分類することができない異色の画家とされています。

現代ではハンガリーでは知らない人がいないと言えるほど有名で、一部カルト的な人気があるようです。

《メルツ(ボルトニクのために)》クルト・シュヴィッタース


《メルツ(ボルトニク)のために》1922年
クルト・シュヴィッタース
ブダペスト国立西洋美術館蔵

作者のクルト・シュヴィッタースドイツ出身の前衛芸術家です。
ドイツのハノーファーという所に生まれて、そこで一人でひたすら前衛的な事に取り組んでいました。
山田五郎氏曰く、「ひとりダダ」だそうです(笑)

ダダダダイスム)とは、20世紀の前半に起きた芸術運動で、既成のあらゆる価値観の否定し、それに囚われない表現を目指しました。

この作品はコラージュを用いて作られています。
シュヴィッタースは元々は表現主義の芸術家でしたが、そこからダダへと移行しました。
当時ベルリンで活躍していたダダのグループに参加しようとするも、断られてしまいます。

それで生まれ故郷のハノーファーに帰り、そこで「ひとりダダ」を展開していきます。
彼は自分の作り出す作品の事を「メルツ」と呼びました。
メルツ」は幅広く、同名の雑誌を出版したり、メルツバウと呼ばれる建築まで展開していきました。

メルツ」やこの作品で大事な点は、「捨てるもので作る」という点です。
コラージュの構成物の中にはチョコレートの包み紙や、電車の切符などが含まれています。
ちなみに画面右下に見える[März]はドイツ語で三月を意味し、読み方も「メルツ」と読みます。
これは、シュヴィッタースが意図的に入れたものでしょう。

画面左下の筆記体の文字は、「ボルトニクのために」と書かれています。
ボルトニクは人の名前で、同時代にハンガリーで活躍した画家です。
この作品はそのボルトニク氏に捧げた作品なのです。

これは1922年の9月にドイツのワイマールという所で、「構成主義者とダダイストの国際会議」という(世界中からクレイジーな芸術家が集まる笑)集いが開かれ、そこでシュヴィッタースボルトニクは出会います。
それがきっかけでこの作品は作られたと考えられます。

シュヴィッタースのコラージュ作品は紙で作られている事もあり、長時間ライトをあてると変色したりという事からなかなか借りるのが難しいという事で、今回この作品が日本で見られるのは貴重な機会だと言えるでしょう。

《6人の人物のコンポジション》ボルトニク・シャーンドル


《6人の人物のコンポジション》1918年
ボルトニク・シャーンドル
ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー蔵

それでは次にそのシュヴィッタースが作品を捧げた相手、ボルトニクの作品を見てみましょう。
一見するとキュビスムのような作品です。

ハンガリーでは「行動主義」と呼ばれる芸術によって社会を変えていこう芸術運動が起こります。
様式としては、キュビスムや構成主義のスタイルを取り入れています。

この作品では6人の人物が抽象化されていて、闘争している様子を表しています。
これには「社会を変えていこう」というメッセージも込められています。

ボルトニクは晩年には、ブダペスト美術アカデミーの学長を務めています。

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