【ぶらぶら美術・博物館】KING&QUEEN展④【美術番組まとめ】

ぶらぶら美術・博物館

2020年12月1日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#362 上野の森美術館「KING&QUEEN展」~中野京子さん解説!知れば知るほど面白い!英国王室ドラマティックな500年~】の回をまとめました。

今回の記事はパート4です。
前回のパート3はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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イングランド王ジェームズ1世

エリザベス1世が亡くなり、テューダー朝は終焉を迎えます
そしてここから、ステュアート朝が始まります

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そのステュアート朝の最初の王様ジェームズ1世です。
元々はスコットランドの王様でしたが、遠戚にあたるという事で、イングランド王として迎えられました。

彼は「ヨーロッパ1賢いバカ」と言われたといいます。
学者タイプの人間で本も発表しますが、それが「悪魔学」などオカルト方面のものだったのです。
魔女も信じており、火あぶりもやっています。

また日本とも交流があり、徳川二代将軍の秀忠がジェームズ1世に鎧を贈っています

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ジェームズ1世は、国内の宗教的対立を治めるためにカトリック、プロテスタントの両極を弾圧しました。

プロテスタントの中でもピューリタン(清教徒)と呼ばれる人々を弾圧します。
ですので彼の治世に、ピューリタンの人々はメイフラワー号に乗ってアメリカへ渡るのです。

イギリス国教会は、立ち位置としてはカトリックとプロテスタントの中間的な感じでした。
ですので、どちらか一方だけを弾圧するという訳にはいかなかったのです。

特にピューリタンは、その語源は”pure”であるように、教えに対して特に厳しく、過激な存在でもありました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

カトリックとプロテスタントの両方を弾圧したジェームズ1世ですが、彼は処刑されたりすることもなく、58歳でその生涯を閉じるのです。

しかし彼の行った弾圧のしわ寄せが次の王を来るのです。

チャールズ1世


《チャールズ1世》1628年
ヘリット・ファン・ホルト

チャールズ1世は芸術好きな王でした。
あの”王の画家にして画家の王”と呼ばれたルーベンスを重用し、彼に貴族の称号を贈ったのもチャールズ1世でした。

しかし芸術好きの王様は、その治世に芸術は発展しますが、政治の方はイマイチの人が多いと中野京子先生はいいます。
そしてこのチャールズ1世も例外ではなく、イギリス国内はたいへんな状態となり、議会も全く開かれなかったといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

実は見かけによらず、チャールズ1世はかなり強気な姿勢の王だったのです。
王権神授説を強く信じており、「自分の権力は絶対なんだ!」と考えていました。

そして先代の王と同じくピューリタンを弾圧します

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そして彼の時代に、あの”ピューリタン革命”が起こるのです。
ピューリタンで地方の一貴族であったクロムウェルが民衆の代表になり、チャールズ1世クロムウェルに倒されます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

革命の結果、チャールズ1世は処刑されます。
今回の「KING&QUEEN展」では、その処刑のシーンの描いた作品も展示されています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

さらにここで皮肉なのが、チャールズ1世が公開処刑された後ろのある建物です。
そこの天井画を描いたのが、王が大事にしたルーベンスでした。
いわば自分が大事にした、その画家の絵の前でギロチンにかけられるのです。


チャールズ1世は芸術に関心が高く、また非常に目利きだった事もあり様々なものを収集しました。
しかしその後、ピューリタンによって作品は売却され、世界中に散逸してしまうのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今回の展覧会では、そのピューリタン革命を指揮したクロムウェルのデスマスクが展示されています。
この時のイギリスは長い歴史の中で、唯一の共和国時代(=王様がいない時代)だったのです。

教えに厳しいピューリタンなので、贅沢品はすべて売却、お芝居などの娯楽も禁じられました。

そうなってくると民衆も段々と嫌気がさしてきそうな気がしますが…

その後、クロムウェルは1658年にインフルエンザにかかり亡くなります。
その後を彼の息子が継ぎますが、父親のように上手くいかず、ここで共和制は終焉を迎えるのです。

《チャールズ1世の5人の子どもたち》


《チャールズ1世の5人の子どもたち》17世紀
作者不詳
(アンソニー・ヴァン・ダイクの原作に基づく)

共和制が終焉し、亡命していたチャールズ1世の子ども達がイギリスに戻り、王政復古となります。

それではこの作品に描かれている子どもたちを、一人一人を見ていきましょう。


まず一番左の女の子は、長女のメアリー・アンリエッタです。
彼女はわずか10歳でオランダ総督のウィリアムと結婚します。
彼は結婚当時15歳でした。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

結婚した二人の姿をアンソニー・ヴァン・ダイクが描いています。


次に左から2番目の子、女の子に見えますがじつは男の子で、チャールズ1世の次男で後のジェームズ2世です。


この中でも一番かわいそうなのが、一番右の2人の子どもです。
亡命中に幽閉され、幼くして亡くなってしまうのです。


そして真ん中にいるのが、王位に就く長男のチャールズ2世です。
彼についてはこの次のパート5で詳しくまとめていきます。

こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] 今回の記事はパート5です。 前回のパート4はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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