2021年9月25日にTBSテレビで放送された「ゴッホ展開催記念SP ~浜辺美波と辿る天才画家の軌跡~」をまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
イントロダクション
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
*「ゴッホ展」の出展作品ではありません
37歳の若さでこの世を去った、画家フィンセント・ファン・ゴッホ。
彼の情熱的な作品は見る人の心を揺さぶり、世界中の人はもとより、ここ日本でも愛されてきました。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
日本で本格的なゴッホの展覧会が開催されたのは1958年でした。
45日間の会期で45万人超の来場者数を記録。貴重な作品を一目見ようと、多くの人が詰めかけました。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
また1987年には、あの有名な《ひまわり》がオークションにかけられ、約58億円で落札。
購入したのは日本人でした。
この《ひまわり》は現在、東京・新宿のSOMPO美術館に収蔵されています。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
そして2021年、東京・上野の東京都美術館にゴッホの貴重な作品群が展示されています。
ゴッホ作品が52点のほか、ミレー、ルノワール、スーラなどの作品が20点、計72点の作品が展示されています。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
展覧会ではゴッホの初期から晩年まで、様々な時代の作品が展示されます。
その劇的に変化する作風からは、彼の激動の生涯までもが感じられるようです。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
ゴッホが晩年に何度も描いた”糸杉”。
それを描いた傑作《夜のプロヴァンスの田舎道》。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
鮮烈な黄色が印象的な《黄色い家(通り)》。
どちらの作品も来日は16年ぶりのことです。
ゴッホの死から今年で131年。今も見る人を魅了するゴッホの凄さに迫ります。
無名の画家が世界的巨匠になる道のり
今では世界的な画家のゴッホですが、生前に売れた絵はわずか数枚で、評価を得ることはありませんでした。
そんな画家がどうして絵画史にその名を残すほどの存在になったのでしょう。
《夜のプロヴァンスの田舎道》1890年
フィンセント・ファン・ゴッホ
クレラー=ミュラー美術館蔵
今回の展覧会の目玉ともいえる《夜のプロヴァンスの田舎道》。
描かれているのは、渦巻く夜空の下、ゆらゆらと天に伸びる一本の糸杉です。
大胆な構図とタッチが印象的な、ゴッホ晩年の傑作です。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
*「ゴッホ展」の出展作品ではありません
こちらはゴッホ初期の作品《雪の中の鉱山労働者》。
黒チョークや水彩で描かれた、とてもシンプルな作品です。
人物と背景がぼやけており、また人の動きもぎこちなく、あまり上手いとはいえないでしょう。
どちらもゴッホの手によるものですが、作風は全く異なっています。
なぜこんなにも大きく変化したのでしょう。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
ゴッホは1853年、オランダの田舎町ズンデルトの中流家庭に生まれます。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
父親が牧師という事もあり、一家はキリスト教を篤く信仰していました。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
ゴッホは両親の期待を受け、有名な寄宿学校に入学します。
しかし途中で中退。ここで人生最初の挫折を味わいます。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
その後16歳の時に叔父が経営する画商で、見習いとして働き始めます。
しかし牧師をしていた父の影響もあり、次第に信仰の世界に関心を抱くようになります。
「絵を売るよりは人々を救う聖職者になりたい」
人付き合いが決して上手ではなかったゴッホは、画商の仕事を解雇されます。
そんな彼が次に目指したのが牧師でした。
両親のいる故郷に帰り、熱心に聖書の勉強に取り組みます。
しかしその努力もむなしく神学校の受験に失敗してしまいます。
ここでもゴッホは挫折を味わうのです。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
それでも信仰の道を捨てきれなかったゴッホは、ベルギーのボリナージュに向かいます。
ここで弟のテオに次のような手紙を書いています。
「僕の唯一の関心はどうしたら世間の役に立つ身になれるかどうか、ということ」
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
ゴッホは伝道師の見習いとして、厳しい環境の中で働く炭鉱夫たちを救うべく奔走します。
時には自分のわずかな持ち物や下着までも与え、さらにけが人を看病するなど献身的に働きます。
しかし、そんなゴッホの行為は”行き過ぎたもの”と受け取られ、伝道師としての正式採用は見送られました。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
自分が信じた「信仰の道」さえも否定されるという、決定的な挫折をゴッホは味わうのです。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
人生の希望を見失うゴッホ。
そんな彼に救いの手を差し伸べたのが、4歳年下の弟・テオでした。
彼がゴッホに画家になるよう、助言しました。
こうして絵を描き始めたとき、ゴッホはすでに27歳になっていました。
初期のゴッホ作品について、東京都美術館学芸員の大橋菜都子氏は「(ゴッホは)最初の頃は絵が上手くなかった」といいます。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
今回の展覧会に出展されているゴッホ初期の作品《耕す人》。
腰を曲げて作業する二人の女性は大きさもバランスもおかしく、手の長さも不自然です。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
さらに作品を間近で見ると、何度も描き直しをして試行錯誤した跡が見られます。
ゴッホは美術書を読み漁り、時には知人の画家に教えを請うなどして、ほぼ独学で絵画を学んでいきました。
これらを踏まえて大橋氏は「元々ゴッホは天才だったのではなく、努力した人だった」と言います。
懸命に働く人を愛する慈悲深さ
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
この2枚は今回のゴッホ展に出展されている作品です。
彼が描いたのは自然の中で働く人々の姿でした。
ゴッホの手紙に次のよう文言があります。
「貧しく無名の労働者に、僕は感動する」
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
ゴッホの原点には「人間愛」がありました。
「弱い立場の人を救いたい」「彼らの心の慰めになる作品を描きたい」
ゴッホは聖書から絵筆に持ち替えて、人々の心の慰めになる作品を作ろうとします。
そんな彼の”弱い立場の人を救おう”とする性格は、自身の恋愛にも影響します。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
ゴッホは父親の分からない子を身籠った娼婦の女性と恋に落ち、生活を共にした時期がありました。
この時代、ゴッホのように中流階級の出身の人が娼婦と暮らすというのは考えられないことでした。
彼は恋愛においても、「弱い立場・困難な状況に置かれた女性を助けたい」という思いがあったのです。
しかし周囲からの猛反発もあり、この同棲生活はほどなくして終わりを迎えます。
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
ゴッホの慈悲深い性格は、その作品からも見て取ることができます。
こちらの《ジャガイモを食べる人々》では、農民たちの姿を美化することなく、ありのままに描いています。
この作品について、ゴッホは手紙の中でこう記しています。
「僕はこういうことをはっきりさせようと思ったのだ。ランプの明かりの下でじゃがいもを食べる、こういう人は皿をとる同じ手で土を掘ったのだ、と。
つまり、この絵は手仕事というものを語っている」
画像出展元:テレビ番組「ゴッホ展開催記念SP」より
季節がめぐり、毎年の農作業を繰り返し、そしてそれが何代にも渡っていく。
「農民の生活=不変的なもの」と考えていたゴッホ。
そうした生活のあり方にゴッホは強い関心を持って、農民の生活やその姿を描いていきます。
今回の記事は一旦ここまでになります。
パート2へと続きます。
【美術番組まとめ】ゴッホ展②――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント
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[…] 今回の記事はパート2になります。 前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。 […]