【アートステージ】救世主の誕生を祝う「公現祭」【美術番組まとめ】

アート・ステージ

2019年1月12日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【救世主が現れたことを祝う「公現祭」】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

スポンサーリンク

イントロダクション

年明け間もない1月6日は、ヨーロッパの多くの国では祝日になっています。
それが「公現祭(こうげんさい)」です。
日本人には馴染みのない祭日ですが、キリスト教にとっては重要な記念日です。

クリスマスの日に生まれたイエス。
そのイエスの元を新年早々訪れた三人の博士。
「公現祭」はこの東からやってきた三人の博士(東方三博士)が幼子イエスに礼拝したことに由来しています。

クリスマスから12日後にあたる公現祭。
クリスマスの飾りはこの日までに片付けるのが習慣とされています。
この日は今ではガレット・デ・ロワというケーキを食べるのが習慣になっています。

今回はクリスマスや復活祭(イースター)に比べて、あまり知られていない公現祭を絵画でご紹介します。

ボッティチェリ《東方三博士の礼拝》


《東方三博士の礼拝》1475年頃
サンドロ・ボッティチェリ
ウフィツィ美術館蔵

ボッティチェリ(1445~1510)は、初期イタリアルネサンスを代表する画家です。
《東方三博士の礼拝》は初期の作品ですが、すでに自身の作風を確立しています。

描かれているのは、野外の廃墟のような場所。
中央に聖母マリアと幼子イエスが鎮座し、その周りに祝福する人々がいます。


聖母子の前に膝まずき、幼子イエスの足に手を触れているが、博士の一人であるカスパールです。


その前で深紅のマントをまとっている男性はバルタザール
彼も三博士の一人です。


そして最後の一人が、その隣にいるメルキオールです。

博士でありながら東方の王でもある三人は、救世主の誕生を告げる星が夜空に輝いているのを見つけ、イエスの元に礼拝に訪れました。

その三人の博士が到着したのが、イエスの生誕から12日後にあたる1月6日だったのです。


この作品は、三博士を底辺に、聖母子を頂点とする三角形の構図で描かれていますが、これは当時、非常に画期的なものでした。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

聖書の中でも重要なエピソードの一つである”東方三博士の礼拝”。
この主題は中世以来多くの画家が取り上げてきました。

そのほとんどが、聖母子に向かって三博士や民衆が列をなしているものでした。


しかしボッティチェリのこの作品以降、”三角形の構図”は東方三博士の礼拝を描く際の定番の構図となっていきます。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

あのレオナル・ド・ダヴィンチも、この三角形の構図を自身の《東方三博士の礼拝》に取り込んでいます。
(結局こちらは未完に終わりましたが)

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

また舞台が廃墟のような場所なのも、ちゃんと意味があります。
画面左端には古代ギリシャ風の神殿が見えます。

ここでボッティチェリは、古い異教徒の時代が終わり救世主の誕生で新しい世界が始まる事を示しているのです。


神殿の反対側にはクジャクが描かれています。
西洋では「クジャクの肉は腐らない」と考えられており、そこから”不老不死のシンボル”とされ、イエスの誕生や復活と結び付けられていたのです。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

そのクジャクの真下で、まっすぐこちらを見つめる男性。
この作品を描いたボッティチェリ本人の自画像だと言われています。

当時30歳の姿ですが、その表情からは若くして画家として成功した自信がみなぎっているようです。

デューラー《東方三博士の礼拝》

東方三博士の礼拝』を主題にした絵画は、数多くの画家によって描かれてきました。
「王の画家にして画家の王」といわれたルーベンス、スペインの宮廷画家として活躍したベラスケスなども描いています。

続いてご紹介するのは、北方ルネサンスを代表する画家、アルブレヒト・デューラーが描いた《東方三博士の礼拝》です。


《東方三博士の礼拝》1504年
アルブレヒト・デューラー
ウフィツィ美術館蔵

ボッティチェリの《東方三博士の礼拝》のおよそ30年後に描かれたこちらの作品。
デューラーは画の中の登場人物を聖母子と三博士に絞って描いています。


聖母子の前に膝まづくのは、白人のカスパール


バルタザールは中近東風の中年男性として描かれています。


そして若い黒人男性がメルキオールです。


三博士は年齢も人種も明確に描き分けられています
これは「キリストの誕生とその教えが、あらゆる年齢・人種に広まること」をデューラーは示しているのです。

三博士の豪華な装飾品の細密描写、そして聖母子の後ろの牛の表現など、デューラーの持ち味が存分に発揮された一枚です。

ヨルダーンス《豆王の祭》

「東方三博士の礼拝」は、公現祭の由来となりました。
続いてその祭日が庶民にとって、どのようなものだったかを描いた作品をご紹介します。


《豆王の祭》1640/1645年頃
ヤーコブ・ヨルダーンス
ウィーン美術史美術館蔵

17世紀にフランドルで活躍したヤーコブ・ヨルダーンス(1593-1678)が公現祭の庶民の様子を描いています。
画面からは賑やかな宴の陽気な声が聞こえてきそうです。

公現祭では、皆で豆が隠されたケーキを食べるのが習わしでした。
そして切り分けられたケーキの中から、その豆を見つけた人がその日の王様で、「豆王」と呼ばれます。


王冠を被って、グラスをかたむけるこちらの老人がこの日の”豆王”に選ばれたようです。
それを囲んでグラスを高々と上げる人々。
宴会の参加者は、「王は飲む」と豆王を称えてから、グラスをかたむけます。

王は飲む」という言葉は、一説によると東方三博士が聖母マリアの母乳を飲む幼子イエスを見て、こう言ったのが由来と言われています。


グラスや食器などの静物は、本物のようにリアルに描かれています。
フランドル地方特有の静物画の伝統を踏まえた、確かな技量で描かれた一枚です。


室内に掲げられた板には、「酔っ払いほど、狂人に近いものはない」という、戒めの言葉が書かれています。


しかし、この作品からは戒めや教訓よりも、人生を謳歌する庶民の喜びの方が伝わってきます。

ヨーロッパの新年の祭日である公現祭。
救世主の誕生を祝う日はクリスマスだけではなかったのです。

今回の記事はここまでになります

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

タイトルとURLをコピーしました