2019年11月3日にNHKで放送された「日曜美術館」の【天平の風 令和に吹きぬ ~第71回 正倉院展~】の回をまとめました。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
イントロダクション
画像出展元:第71回正倉院展図録より
奈良の正倉院。
その扉は年に年に一度、秋に開かれます。
天皇の勅使が扉の封印を解き、およそ二カ月の間、宝物の点検や調査が行われます。
同じタイミングで、奈良の奈良国立博物館では正倉院展が開催されます。
2019年で71回目を迎えた本展は、20日間で約27万7千人が来場しました。
特にこの71回目は「令和」という新しい時代の幕開けとあって、とりわけ豪華な宝物が出品されました。
宝物が作られたのは今からおよそ1300年前ですが、そうとは思えない美しい状態を今に伝えています。
宝物が正倉院に納められるようになったきっかけは、756年に聖武天皇が崩御したことでした。
聖武天皇の死後、ゆかりの品々が光明皇后によって納められたのです。
正倉院宝物《紫檀金鈿柄香炉》
画像出展元:第71回正倉院展図録より
読み方は「したんきんでんのえごうろ」です。
この宝物は、法要の際に僧侶が手に持つ柄のついた香炉です。
香炉とは、固体状の香料を加熱して香りを起こすための道具です。
紫檀は東南アジア原産の高級木材で、そこに金や水晶、色ガラスなどの装飾が施されています。
画像出展元:第71回正倉院展図録より
炉の縁には、ハスの花と水晶玉を見つめる金獅子が装飾されています。
一般的に柄香炉の多くは金属製であるのに対して、こちらの宝物は紫檀という木材を使用している点でも異彩を放つ存在といえます。
中国・唐代の制作と考えられるこの宝物は、正倉院宝物の中でも最も豪華な柄香炉です。
国家珍宝帳
画像出展元:第71回正倉院展図録より
読み方は「こっかちんぽうちょう」です。
《国家珍宝帳》は正倉院に納められた品々を記録したものです。
光明皇后によって最初の納められたおよそ600点の宝物の記録と、献物に込められた願い、及び宝物の詳細(その素材から由来まで)が事細かに残されています。
また《国家珍宝帳》が納められた同日に、《種々薬帳(しゅしゅやくちょう)》という献物帳も納められています。
《種々薬帳》には、東大寺に献納された薬物60種類が記載されています。
その《国家珍宝帳》の一番最初に記載されているのが、次に紹介する聖武天皇が実際に身に纏ったとされる「袈裟(けさ)」です。
正倉院宝物《七条刺納樹皮色袈裟》
画像出展元:第71回正倉院展図録より
読み方は「しちじょうしのうじゅひしょくのけさ」です。
赤・青・黄・緑・茶など、色形もばらばらな数百枚の絹が縫い合わされています。
衣服への執着を断つために、粗末な布切れを縫い合わせたのです。
聖武天皇は全国に国分寺を創建し、平城京には大仏と東大寺を建立するなど、仏教を厚く信仰したことで知られています。
754(天平勝宝6)年には、鑑真和上より大仏の前で菩薩戒(ぼさつかい)を授けられています。
歴代天皇の中で初めて出家した聖武天皇の仏教への信仰心が表れています。
正倉院宝物《赤漆文欟木御厨子》
画像出展元:第71回正倉院展図録より
読み方は「せきしつぶんかんぼくのおんずし」です。
こちらの宝物は《国家珍宝帳》で2番目に記載されている宝物です。
飛鳥時代の天武天皇の時代から六代に渡って使われた戸棚で、聖武天皇の身近に置かれていました。
材質は日本国有のヒノキを使っている事から、日本製と考えられています。
明治時代に行われた宝物整理の際に、本品はひどく破損した状態で発見されました。
しかし二度に渡る修復、また不足の部分を新たに制作し補う事で、今日の姿を我々に伝えています。
情報量が多くなりましたので、パート1は一旦ここまでにします(笑)
パート2では実際にこの戸棚に納められていた聖武天皇の愛用の品について、ご紹介していきます。
【日曜美術館】天平の風 令和に吹きぬ ~第71回 正倉院展~②【美術番組まとめ】
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