【ぶら美】ビュールレ・コレクション⑥【ピカソの静物画/モネの睡蓮】

ぶらぶら美術・博物館

2018年4月17日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#266 世界的収集家の慧眼!「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」~ルノワール、モネ、ゴッホ、ピカソ…誰もが知る傑作が勢揃い!~】の回をまとめました。

今回の記事はパート6になります。
前回のパート5はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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《花とレモンのある静物》パブロ・ピカソ

ビュールレ・コレクションは印象派、ポスト印象派だけでなく、20世紀初頭のモダンアートもコレクションに含まれています

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらはピカソの作品です。
ピカソはポスト印象主義の画家・セザンヌから影響を受けています。

この《花とレモンのある静物》は、戦時中の1941年に描かれた作品です。
当時パリはナチス・ドイツに占領されていましたが、ピカソはこの時もパリに残り続けていました。

戦時中という時代を反映してか、他の時代のピカソ作品と比較すると、どこか暗い画面です。


描かれているのは、花、花瓶、レモン。


そして手前に描かれている黄色い物体は貝殻(巻き貝)だといいます。

静物画というものは、単に花や果物を描いたというわけではなく、そこにちゃんと意味が込められていました

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物感」より

この作品では、描くモチーフで”五感”を表現しています

巻貝は”耳にあてると海の音が聞こえてくる=聴覚”を表しており、いけられた花は”嗅覚”、レモンは”味覚”をそれぞれ表現しています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

それらが意味しているのが、「ヴァニタス(メメント・モリ)」です。
現世の快楽的な感覚に溺れてはいけませんよ」というメッセージが込められていると考えられるのです。


五感になぞらえて考える事もできますが、他にも
花が咲いて実が出来る→その実がレモン→やがて空っぽの貝になる
という意味合いで捉えることもできます。

ピカソがキュビスムに力を入れていたのは1907年から10年代の半ば頃まででした。
この《花とレモンのある静物》が描かれたのは、それから約30年後になります。
画風の変化はあれど、ピカソにとって”キュビスム”はいつの時代にも重要な様式だったことが伺えます。

《睡蓮の池、緑の反映》モネ


《睡蓮の池、緑の反映》1920-26年
クロード・モネ
ビュールレ・コレクション

展覧会の最後に展示されていた作品は、モネの《睡蓮の池、緑の反映》です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

一つの展示室にこのモネの作品”だけ”が展示されていました。

豪華な展示ですね~


こちらの《睡蓮の池、緑の反映》は、当時スイス国外から一度も運び出された事のない、門外不出の作品でした。
もちろんこのビュールレ・コレクション展』が日本初公開です。

数あるビュールレ・コレクションの所蔵品の中でも、一番重要な作品といわれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

縦2メートル・横4メートルのサイズですが、こちらはオランジュリー美術館の『睡蓮の間』にある作品と同じサイズです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

睡蓮の間』の作品は、縦は全て2メートルで横幅は4メートルのものと6メートルのものがあります。
また、オランジュリー美術館の睡蓮は全部で22枚ありますが、この他にも同じサイズでオランジュリー美術館に飾られなかった睡蓮が20枚程あり、《睡蓮の池、緑の反映》もそのうちの一枚です。

今でこそ、モネといえば《睡蓮》は代表作ですが、実は当初はそれほど評価されていませんでした

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの睡蓮の花を見て頂いても分かる通り、非常に大胆な描き方で、まるで抽象画のようです。
ここがなかなか評価されず、買い手がありませんでした。

オランジュリー美術館に飾られていなかった約20枚の睡蓮も、モネの死後、ジヴェルニーのアトリエに置かれたままの状態だったのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

オランジュリー美術館の『睡蓮の間』はモネの死後間もなく公開されています。

今でこそ大人気の展示でいついっても多くの人がいますが、公開当初は全く人気がなく、お客も誰もいなかったといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その評価が変わってくるのは、第二次世界以降のことです。

1951年にジヴェルニーを訪れたビュールレは、モネの息子からこの《睡蓮の池、緑の反映》を直接購入しています。

この大きいサイズの『睡蓮』を個人で購入したのは、ビュールレが2番目でした。
1番最初に購入したのは、アメリカの自動車会社メーカー、クライスラー社の創業者の息子、ウォルター・クライスラー・ジュニアでした。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そのウォルター・クライスラー・ジュニアが、『まだジヴェルニーのモネの邸宅に睡蓮があるよ』とMoMAニューヨーク近代美術館)に推薦しました。

そして1955年にMoMAが「睡蓮」を購入した事により、評価が急上昇したのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その背景には当時アメリカで起こった「抽象表現主義」の存在がありました。

抽象表現主義」はアメリカ発祥の一番最初の美術動向でした。
その抽象表現主義のアーティストたちは、そのルーツをヨーロッパの絵画の伝統につなげたいという思いがあったのです。

いわばぽっと出の芸術ではなく、古代から続くヨーロッパ美術史のその延長線上であるという事で、「抽象表現主義」を権威付けしたいと考えたのです。

いかがでしたでしょうか。
今回の『ビュールレ・コレクション展』の特集記事は以上になります。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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