2022年3月29日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#403 今年イチオシ!メトロポリタン美術館展・後編〜フェルメールから印象派の巨匠たちまで!「西洋絵画の500年」完結篇〜】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今回はメトロポリタン美術館展に展示されている2人のフランス人女性画家の作品を見ていきます。
現在メトロポリタン美術館では女性画家の再評価が進み、注目を浴びているといいます。
まず取り上げるのがマリー・アントワネットの専属画家として活躍したヴィジェ・ル・ブランの作品です。
ヴィジェ・ル・ブラン《ラ・シャトル伯爵夫人》
《ラ・シャトル伯爵夫人》1789年
エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン
ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵
マリー・アントワネットにたいへん気に入られたヴィジェ・ル・ブラン。
山田五郎氏によると、少女漫画『ベルサイユのばら』にも彼女は登場するのだとか。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ヴィジェ・ル・ブランはフランス革命前の王立絵画彫刻アカデミーで、最後の女性会員になった2人のうちの一人です。
(ちなみにそのもう一人の女性画家は、アデライド・ラビーユ=ギアールという人です)
ヴィジェ・ル・ブランの夫は画商を営んでおり、本来、画商の関係者は利害関係の観点からアカデミーの会員にはなれないというのが規則でした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
しかし、時の権力者であるマリー・アントワネットがゴリ押ししたおかげで、ヴィジェ・ル・ブランはアカデミーへの入会が認められることになります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
マリー・アントワネットという大きな後ろ盾があったヴィジェ・ル・ブランですが、彼女が評価されたのはちゃんと”それ相応の実力があったから”だと解説の宮島綾子氏は言います。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ヴィジェ・ル・ブランをはじめ、当時の女性画家は絵画の最高ランクである「歴史画」は描かせてもらえず、その作品のほとんどが「肖像画」であったといいます。
なぜ歴史画が最高ランクかというと、画面に複数の人物を登場させ、物語を絵解きするために描くという点で、”最も難しい絵画”と捉えられていたからです。
そしてその為にはヌードデッサンなどをして人体の構造を解剖学的に学ぶ必要がありましたが、女性画家はそういったヌードデッサンをすることができなかったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ですが肖像画であれば目の前で止まっている人物を描くので、そういった解剖学的な知識がなくても描くことができたのです。
肖像画は歴史画に比べると絵画のランクとしては少し落ちますが、そこを女性の画家たちが引き受けて描いていったという経緯があるのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
宮廷画家だったヴィジェ・ル・ブランはフランス革命の際、国外へ亡命することでその難を逃れることができました。
イタリア、オーストリア、ロシアを転々としながらも、行く先々で肖像画家として活躍します。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
「(画家)本人もすごく美人で感じの良い人だったということもあるし、絵も本当に上手で、やっぱり『彼女に描いてもらいたい!』という女性が多かったんですよね」(主任研究員・宮島綾子氏)
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ヴィジェ・ル・ブランの作品の特徴であり、マリー・アントワネットをはじめ多くの貴族に気に入られた理由の一つに「モデルをナチュラルに盛って描いた」という点があります。
特に女性が「こう描いて欲しい」と思うような肖像画を描くことができる画家だったので、行く先々の王族・貴族から愛されたのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この《ラ・シャトル伯爵夫人》は、まさにフランス革命の年である1789年に描かれた作品です。
モデルのラ・シャトル伯爵夫人は結婚して伯爵夫人になりましたが、その結婚相手とは別に長く交際している男性がいました。
フランス革命後に離婚し、その長く付き合っていた男性と再婚しますが、この作品《ラ・シャトル伯爵夫人》はその長く交際していた男性が注文したものだと考えられています。
そういった背景もあって、とても可愛らしく温かみのあるタッチで描かれているのかもしれません。
マリー・ドニーズ・ヴィレール《マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ(1868年没)》
今回のメトロポリタン美術館展で、ヴィジェ・ル・ブランの作品の隣に展示されているのが次に紹介する作品です。
《マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ(1868年没)》
マリー・ドニーズ・ヴィレール
ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵
世代的にはヴィジェ・ル・ブランの一世代あとの時代に活躍した、マリー・ドニーズ・ヴィレール(Marie-Denise Villers、1774-1821)という画家の作品です。
肖像画にしては珍しい、逆光の中で人物が描かれています。
しかしながら、その光の効果も上手に使っているのがわかります。
マリー・ドニーズ・ヴィレールは18世紀末から19世紀初頭にかけて活動していた画家で、サインの入った作品が1点、ルーヴル美術館に所蔵されています。
サロンの記録などによると、存命当時は評価を得ていたようですが、時代の経過と共に次第に忘れ去られていきました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
じつはこの作品、長らく別の画家の作品とされていました。
フランス古典主義の画家で、ナポレオンの首席画家も務めたジャック=ルイ・ダヴィッドのものだと思われていたのです。
1917年にメトロポリタン美術館にこの作品が入ったときもダヴィッド作として収蔵されています。
ところが20世紀半ば、この作品が1801年のサロンに出展されていたことが分かりましたが、その年のサロンにはダヴィッドは出展しておらず、そこから作者不詳の状態となりました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
その後1996年にアメリカの美術史家であるマーガレット・オッペンハイマーが当時のサロンの批評などを基に、この作品の作者をマリー・ドニーズ・ヴィレールとしたのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今回のメトロポリタン美術館展では全部で65作品が展示されていますが、その中でこの2点だけが女性画家の作品です。
「女性の画家の研究は遅れており、また美術史の中にあまり組み込まれてこなかった」と解説の宮島氏は言います。
そしてそれを見直そうという動きが出てきたのが1970年代からでした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そういった動きがあったおかげで、今回の展覧会ではマリー・ドニーズ・ヴィレールの作品が来日し、鑑賞することができているのです。
「”女性の画家の見直し”という歴史を象徴するような、そういう作品というふうにも言えます」(宮島氏)
今回の記事はここまでになります。