【フランスでの最期】レオナルド・ダ・ヴィンチ①【美術番組まとめ】

アート・ステージ

2020年3月28日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【天才レオナルド・ダ・ヴィンチ 最期の日々】の回をまとめました。

番組内容に沿ってそれでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

今回は番組が300回目の放送という事で、万能の天才と呼ばれた「レオナルド・ダ・ヴィンチ」について紹介されたので、それをまとめていきます。
2部構成で、今回のパート1ではドミニク・アングルの描いた作品を通してダ・ヴィンチの生涯を見ていきます。

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イントロダクション

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

フランス中部を流れるロワール川
そのほとりにアンボワーズ城というお城が建っています。

この城は15世紀以来、歴代フランス王の居城でした。
また美術史においても重要な場所でした。

じつは本日の主役レオナルド・ダ・ヴィンチが最晩年をこの地で過ごしたのです。
しかしダ・ヴィンチはイタリア出身で、アンボワーズ城はフランスの城です。

なぜ彼は異国の地で最期の時を迎えたのでしょうか。
今回はあまり知られていないフランスでのダ・ヴィンチ最期の日々をまとめていきます。

《レオナルド・ダ・ヴィンチの死》アングル

レオナルド・ダ・ヴィンチの終焉の地は、異国フランスでした。

僕も今回初めて知りました。

そんな万能の天才の最期の時を、格調高く描いた作品が残されています。


《レオナルド・ダ・ヴィンチの死》1818年
ドミニク・アングル
パリ市立プティ・パレ美術館蔵

ダ・ヴィンチが亡くなった1519年から約300年経った1818年に、ドミニク・アングルによって描かれたこちらの作品。
アングル新古典主義の巨匠として知られています。

舞台はアンボワーズ城にほど近い、クロ・リュセ城(クルーの館)の一室です。

ベッドに上に横たわる白い髭の男性が、ダ・ヴィンチです。
描かれているこの瞬間に天へ召されたようで、その顔面は蒼白です。

そしてその亡骸を抱き寄せる男性は、時のフランス王フランソワ一世です。
その周りで司祭たちが見守っています。

しかし実際の所、フランソワ一世ダ・ヴィンチ亡くなる際に立ち会う事ができなかったと言われています。
アングルは実現できなかった王と芸術家の最期の場面を、イマジネーションを元に描いているのです。

アングルはこの作品の画面構成に”ある仕掛け”を施しています。
この作品の主役となるダ・ヴィンチフランソワ一世以外、皆直立の状態で描かれているのです。
それは人物だけにとどまらず、ベッドの枠のラインにも及んでいます。

そうする事で、唯一身を傾けた主要人物の二人に目が行くようにしているのです。

そして二人のポーズに呼応するかのように、傍らに置かれた椅子のひじ掛けも斜めに描かれています
これには画面に安定感と調和を与えるという狙いがあります。

アングルも賛同した「新古典主義」はルネサンスに由来する”調和の取れた美”や”安定した構図”を目指しました。
この作品はまさにその理想を体現した作品といえます。
キャンバスからはダ・ヴィンチに対するアングルのリスペクトが感じられます。

それでもなぜ、イタリア出身のダ・ヴィンチは異国フランスで息を引き取ったのでしょうか。
続いてはその経緯を彼の生い立ちから見ていきましょう。

ダ・ヴィンチの生涯


レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年フィレンツェ郊外のヴィンチ村に生まれました。

1452年、日本では室町時代ですね。

ダ・ヴィンチはフィレンツェ、ミラノ、そしてローマなどイタリア各地を渡り歩きました。
彼は各地で傑作を残しています。

フランソワ一世(1494-1547)

1515年、フランス王のフランソワ一世はマリニャーノの戦いに勝利し、イタリア北部のミラノ公国を占領、スフォルツァ家を追放します。
その後ボローニャでその和平会議が開かれたのです。

その当時ダ・ヴィンチの名前はフランスまで届いていました。
追放されたスフォルツァ家に仕えていたダ・ヴィンチはフランスに招かれて、移り住むことになるのです。

芸術に造詣の深かったフランソワ一世は、40歳も年の離れたダ・ヴィンチを丁重に迎え入れました。
そして高い身分と年金を与えました。

レオナルドが1519年に息を引き取ったクルーの館。

画像出展元:wikipedia「レオナルド・ダ・ヴィンチ」より

1516年、居城のあったフランス・アンボワーズ城の一つを与えました。
クロ・リュセという名前のこの城は、幼少のフランソワ一世が過ごした懐かしい場所でもありました。

ダ・ヴィンチがこの世を去るまでのこの3年間の間に、王と芸術家は身分を超えた友情をこの地で育みました。
そして1519年に異国フランスで息を引き取るのです。

この関係性がアングルの作品ではよく表されているのですね!

パート1は一旦ここまでです。
パート2ではダ・ヴィンチが手掛けた絵画作品についてご紹介していきます。
こちら☚からどうぞご覧ください(*^^*)



コメント

  1. […] 今回の記事は前回からの続き、パート2です。 パート1はこちら☚からご覧頂けます。 […]

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