2019年7月14日にNHKで放送された「日曜美術館」の【松方コレクション】の回をまとめました。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。
イントロダクション
明治から大正にかけて活躍した実業家、松方幸次郎(1866-1950)。
彼は事業で成功した富で、多くの西洋美術をコレクションしました。
その数、なんと10年間でおよそ3000点。
しかし収集したコレクションは、災害や戦争、世界恐慌などでバラバラとなり、その全貌は謎に包まれていました。
《睡蓮》1916年
クロード・モネ
国立西洋美術館(松方コレクション)
この作品は松方コレクションを代表する一枚で、上野の国立西洋美術館に収蔵されています。
光の変化や時間の経過を捉えようと、モネは《睡蓮》の作品だけでも200点以上描きました。
特にこの国立西洋美術館の《睡蓮》はモネのお気に入りであり、自身の手元に置いておいた作品でした。
そのお気に入りの《睡蓮》を松方が頼み込み、譲りけることとなりました。
《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》1872年
ルノワール
国立西洋美術館(松方コレクション)
豊かな女性の金色の髪や絨毯の色使いなど、ルノワールらしさが随所に見られます。
レオンス・ベネディットとの出会い
およそ3000点に上るコレクションを10年間で築いた松方ですが、生前「私には絵は分からない」と語っていたといいます。
実際に収集する絵画のジャンルもバラバラで、宗教画・水彩画・静物画・風景画、そして彫刻やタペストリーと多岐に渡りました。
作品を購入する際には、画商に作品を一列に並べさせて「ここからここまで」とステッキで指して、まとめて購入したという逸話も残っています。
すごいい~!一度でいいからそんな買い物してみたい(笑)
そんな松方のコレクションに対しては、
「収集に一貫性が無い」
と批判されることもありました。
画像出展:美術展ナビより
しかし、近年そんな松方のイメージを覆す資料が発見されました。
それはレオンス・ベネディット(Léonce Bénédite)にあてた手紙でした。
レオンス・ベネディットはフランスにあるロダン美術館の館長も務めた人物で、フランスにおける松方の作品購入のアドバイザー的存在でした。
そんなベネディットに宛てた手紙の中で、松方は具体的な画家の名前を挙げながら、作品を手に入れられた事への感謝を述べています。
《室内の少女》
アマン・ジャン
国立西洋美術館(松方コレクション)
《パリジェンヌ》
エミール・ベルナール
国立西洋美術館(松方コレクション)
これにより、松方が当時の最新の情報をチェックしていた事、そして闇雲に絵画を収集していたわけではないことが分かりました。
共楽美術館
画像出展:美術展ナビより
さらにその手紙には松方が美術品をコレクションする目的についても書かれていました。
松方は日本に自分のコレクションをベースとした美術館を造ろうと考えていたのです。
名前は「共楽美術館」とし、建設予定地も決まっていました。
フランク・ブラングィンとの出会い
この設計図を描いたのが、イギリスで活躍した芸術家のフランク・ブラングィン(Frank Brangwyn)でした。
松方とブラングィンを結び付けたものは「船」でした。
松方は川崎造船所の社長であり、ブラングィンもかつては船乗りでした。
ブラングィンの作品には数多く、海や船舶をテーマにした作品が見られます。
最初にご紹介したレオンス・ベネディットがフランスにおける松方の作品購入のアドバイザーだったのに対し、ブラングィンはイギリスにおける松方のとってのアドバイザー的存在でした。
《あひるの子》
ジョン・エヴァレット・ミレイ
国立西洋美術館(松方コレクション)
ブラングィンはのアドバイスのもと、イギリスのラファエル前派の画家、ミレイの作品を購入しています。
では、なぜ松方はそもその膨大な数の美術品を収集したのでしょう。
その真意を次のように語っています。
「日本の人々が、西洋人の心を理解する手助けをしたい。
そうすれば西洋的なものづくりや生活様式を自在に取り入れる手助けになるから」
素晴らしい人ですね!自分の欲求で作品を集めたのではなく、日本人の為を思っていたなんて!
パート1は一旦ここまでです。
パート2へと続きます(^^♪
【日美】松方コレクション展②【美術番組まとめ】
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