2023年2月21日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#428 夭折の天才“エゴン・シーレ”展~28年の生涯で生み出した唯一無二の絵画世界~】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
イントロダクション『エゴン・シーレ展』
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今回は東京・上野の東京都美術館で2023年1月26日から4月9日まで開催の展覧会『レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才』についてまとめていきます。
エゴン・シーレは20世紀初頭のウィーンで活躍した”天才画家”です。
亡くなってから一時期忘れ去られていた時代もありますが(第二次世界大戦後)、1960年代から人気が出始めます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
70年代以降は大人気となり、死後105年経った今でも多くの人を魅了しています。
また著名人の中にもエゴン・シーレファンが多く、2016年に亡くなったミュージシャンのデヴィッド・ボウイや、漫画家の荒木飛呂彦氏らがシーレ好きを公言しています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
1980年に製作されたシーレを題材にした映画では、デヴィッド・ボウイがシーレ役を務める予定でしたが、スケジュールが合わず幻の主演話となりました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今回の展覧会は、シーレ作品の世界最大のコレクションで知られるウィーンのレオポルド美術館から約50点が来日しています。
日本では約30年振りとなるシーレの展覧会です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
またシーレだけではなく、クリムトをはじめとする同時代のウィーンで活躍した画家たちの作品も来日しており、そちらも見どころになっています。
ウィーンが生んだ若き天才
まずはシーレの若い頃の作品から見ていきます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらはシーレが自身の母親をモデルに描いた作品で、17歳のときに描いたものです。
シーレは幼い頃から”神童”と称えられるほど絵の才能がありました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
父親が鉄道員の仕事をしていた関係で、幼い頃は駅舎で暮らしていたシーレ。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そこから見える列車を描いたスケッチが残っています。
描いたのは10歳の頃といわれていますが、とても10歳の子供のものとは思えない出来栄えです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレというと”ウィーンの画家”というイメージが強いですが、生まれはウィーン近郊のトゥルンという小さな町です。
そこでシーレは14歳の時に父親を亡くしています。
父親を亡くしたシーレ一家を支えたのが叔父で鉄道技師の仕事をしていたレオポルト・ツィハチェックでした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレはその叔父さんの肖像も描いています。
なんだかお金持ち感がすごいですね!
この叔父さんはその見た目の通り成功した人物で、生活は裕福だったといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
早くに父親を亡くしましたが、特に経済的に困ることは無く、シーレは16歳でウィーン美術アカデミーに合格します。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こうして叔父のツィハチェックが住むウィーンへ家族で引っ越すことになるのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらの母親の肖像は美術アカデミー在学中に描かれたものです。
オーソドックスな描き方で、写実的に描かれた一枚です。
ウィーン美術アカデミーとは
シーレが入学した美術アカデミーは、美術を学ぶ場としては最高峰の場所です。
その教育内容は古典的なデッサンを延々とやるような、伝統的なカリキュラムを順守するものでした。
ですので若い学生にとっては、なかなか続けることが難しいような場所でもあったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレは早い頃からアカデミーに嫌気がさしており、19歳の時に自主退学してしまいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレが美術アカデミーで習っていた先生がクリスティアン・グリーペンケールという教授です。
彼は根っからのアカデミズムの画家でした。
この教授はとあることで有名となっています。それが…
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
シーレと同じ年とその翌年に美術アカデミーを受験したヒトラーを不合格にした教授なのです。
もしグリーペンケール教授がヒトラーを合格させていたら、歴史は変わっていたかもしれません。
「あそこで(ヒトラーを)合格させて、おとなしく絵を描かせておけば。
(グリーペンケール教授は)そんなことで名前を残しちゃった先生」(山田五郎氏)
今回の記事はここまでになります。